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声が聞こえる。ぼそぼそと、耳元で呟いているような小さな声だ。なんて言っているのかは、はっきりとはわからない。
でも、その声には聞き覚えがあった。
「とう、さま?」
掠れた声で、アリーは呟く。その時にはもう、声は聞こえなくなっていた。
古びたベットの上で身を起こし、辺りを見渡す。まだ明朝前なのだろうか、外はほの暗い。部屋の中に浮かぶ影は、ベッド以外には小さなテーブルと鏡に洋服棚、小さな本棚くらいか。どれも物の影ばかりで、人影はない。
――そう、この家には、もう自分以外いない。
そこで初めて、アリーは自分が夢を見てたことに気づいた。
ふと、頬に冷たいものが流れているのを、アリーは感じた。今流したのか、それとも眠っている間に零れたのかはわからない。ただ、寂しい夢に心が泣いていたのだけは、間違いないだろう。
父が死んだのは、もう十七年も前のことだ。アリーが生まれて一年が経った時に、王国の人間に襲われ、母とアリーを逃がすために命を落とした。
――いや、人間だけではないのかな。
この国に存在しているのは、人間ばかりではない。人という区別の中で、大きく分けて、三つの種族がこの国には生きている。
その一つが、魔族と呼ばれる種族である。見た目としては人間とさほど変わらないが、魔法のような不思議な力を備えている、特殊な存在だ。
父は、その魔族の王だった。たった一年しか共に過ごす時はなかったが、普通の赤子ではなかったアリーには、その父がとても強くて優しく、皆に慕われていたのがよくわかっていた。
そんな王でも、禁忌を犯せば容易く断罪される。
だが、仕方がなかった。父は、人間族の母と燃えるような恋に落ちてしまったのだから。
ゆっくりとベットから降り、アリーは鏡を覗き込む。鮮やかすぎる深紅の瞳に、背中まであるまばゆいほどの銀の髪色。本来ならば、この瞳の色と血のように紅い髪が、禁忌の子の証である。人間族も魔族も、決してそれらを持つことはない。
人間と交わり、二つの種族の血を併せ持つ混血児。これがこの国に生きるもう一つの種族であり、世に不幸をもたらすと忌み嫌われる、人間族でも魔族でもない存在だ。
曖昧な噂に過ぎないけれど、国を滅ぼせる魔法が使えるとか人の命を吸って生きているなど、色々と言われて嫌悪されているが、本当のことはあまりわからない。ただそれでも、人間と魔族が交わることは禁忌とされ、破った者はひどい迫害を受けるのだけは知っている。
父が死んだのもそのせいであり、その後に母がアリーを連れていたせいで苦労したため、身をもって理解していた。
今、アリーは王都の平民街の外れに居を構えているが、ここに辿り着くまでは流浪の日々だった。
混血のアリーを連れているせいで、母は訪ねた村々であるかなきかの差別を受けた。宿はぼろぼろの部屋しか借りられず、食材を得ることも難しい。石を投げつけられることだってあった。時々、受け入れてくれる人もいたが、決まって密告する人もいて、母はそのたびに幼いアリーを連れて逃げた。
この王都に辿り着いたのは今から四、五年くらい前だろうか。王都もまた差別に満ちていたが、下民と蔑まれる貧しい人々が暮らす場所があったせいもあり、アリーの存在はそこまで目立つことはなかった。
いや、目立たなかったというのは、少し語弊があるかもしれない。
――私は、なんでみんなと違うのかな。
自分の髪をそっと撫で、アリーは小さく溜息をつく。
アリーは、紛れもなく人間と魔族の間に生まれた混血児だ。それなのに、髪色は紅ではなく銀色である。
違うのは、それだけではない。魔族の血の影響のためか、それなりに強い魔法を混血児は使えると聞く。けれどアリーは、魔法を一切使えなかった。魔法を使う時に、不思議な力の流れを体の中で感じるらしいのだが、何も感じない。自分の命の拍動を、悲しいほどはっきりと感じるだけだ。
何故違うのかは、わからない。母に聞いても答えはなく、自分の中にある知識の山を巡り歩いても、その片鱗さえ掴むことはできなかった。
尤も、人と違っていたからこそ、母とアリーはあの程度の差別で済んだ。
けれど、寂しかった。受け入れてくれる人があまりいないということより、自分の存在が世界でたった一人のような気がして、アリーは寂しくてたまらなかった。
それでも、慰めてくれる人は、もういない。守ってくれていた母も、三年前に病気で死んでしまった。
胸に閉まっていたはずの思いに、自然と涙があふれてくる。でも、拭うことはしない。流れるままに任せ、アリーはしばらく鏡の前で、声もなく泣いた。