表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を忘れて  作者: 千変万化
序章 「回顧」
4/125

0-3

「ここは、俺の故郷の自室だ。まさかこんな所に戻ってるとは、あいつらも思わねえだろ。見つからないうちは、しっかり体を休めとけ」

 父の声は、どこか疲れていた。

 やはり、さっきの瞬間移動が堪えたのだろうか。どさりと腰を下ろして壁に背中を預けてから、父は大きく息を吐いた。一人ならともかく、三人も運んだのだ。もしかしたら、想像もつかないほどの魔力を使ったのかもしれない。

「もちろん休むけど、よかったの? 瞬間移動だなんて、絶対に使わないって言ってなかったっけ?」

 母は、ちょっとむくれながら言ったようだ。

「そりゃ言ったけどさ、あの状況じゃ仕方ねえだろ。お前たちを連れて逃げる方法なんざ、あれ以外になかったし」

「わかってるわよ。ちょっと、からかっただけ」

 くすくすと笑う母に、父はもう一度大きく息を吐いた。

「ったく。でも、あの場所には悪いことをしちまったな。多分、しばらくは枯れ果てて、何も生み出されない。あそこが人の立ち入る場所じゃなくて、よかったな」

 少し寂しそうに、父が言う。その言葉の意味は、赤子にはよくわからなかった。

「それより、お前たちは大丈夫か?」

「私は大丈夫。だけど、この子は大丈夫なのかな。生まれてすぐにこんな目に遭って。怖がっていないかしら」

 母の心配が嬉しくて、赤子は少しくすぐったかった。けれど、ちょっとだけ、喋れない自分が恨めしかった。

 ――母様、大丈夫だよ。私は平気。平気だから、心配しないで。

 胸の内で呟く。そんな言葉が、この時言えたら良かったのに、と寂しげに思う。

「まあ、多分大丈夫だろ。あれだけ騒がれても泣かなかったんだ。きっと、俺に似て強い子なんだろうな」

「あら、あなたに似ちゃったら、この子はきっと無茶しちゃうわ。それは嫌よ?」

「うるせえ」

 悪態をつきながらも、父は小さく笑っているようだった。母も、また静かに笑っている。

 その父の声が、不意に止まった。

「……すまない、少しだけ眠る」

 心の底から疲れたようなか細い声が、父の口から洩れた。

 わかった、と言った母だったが、何かを思い出したように小さく声を上げた。

「待って」

「……何だ」

 父の声は、どこか物憂げな感じだ。

「この子に、名前をつけなきゃ。あなたが決めるって言って、ずっとつけてくれてないもの。今日こそ、決めて」

 自分にまだ名前がないことを、赤子はそういえば、と思い出した。母がつけてくれようとしたが、父が強情にも自分が決めると言って聞かなかった。聞かなかったのに、あちこち飛び回って留守にしていたため、結局今の今までつけてくれなかったのだ。

 父は、しばらく何も言わなかった。聞いてるの、と痺れを切らした母が困ったように言うが、やっぱり父は何も言わない。

「もう」

 諦めたように溜息をついて、母が私が考えるからね、と言ったところところに、父の小さな呟きが聞こえた。

「……アリー」

「えっ?」

「お前がマリーだから、娘のコイツはアリー。ずっと、そう呼ぼうと思ってた」

 何だか適当な付け方だったが、その名前は嫌いじゃなかった。それに何よりも、母に似た名前というのは、赤子に取っては嬉しいものであった。

「アリー、かぁ。そうね、この子はアリー。私とあなたの、大切な娘」

「わかりきったことを言うな」

「もう。相変わらずの憎まれ口ね。でも、決まってたのに、なんで早くつけてくれなかったの?」

「それは、だな」

 父の言葉は、どこか歯切れが悪かった。

「……自分が本当に父親になったってのが信じられなくて、少し、恥ずかしかったんだ。だから、自分とちゃんと向き合えたら、アリーに名前を贈ろうと思ってた」

「もう。本当、あなたってバカなんだから。どうしようもないくらい不器用の、おバカさん」

「おい、馬鹿馬鹿うるせえよ」

「本当のことでしょ? あなたの気持ちのせいで、ずっと名前がなかったアリーがかわいそうよ」

 呆れたような母の言葉に、父は何も返せないようだった。

 そんな母から、小さな笑い声が漏れる。幸せそうな気持が、伝わってくる。なんだかんだ言っても、母は父のことが大好きなのだろう。多分今、幸せに満ちた笑みを浮かべていると思うと、あまり目が利かない自分を、アリーは恨めしく思った。

 実際に、見てみたかった。母の、幸せそうな笑顔を。

「これからはきっと大変な日々が続くだろうが、俺がきっと、お前達を護ってみせる」

「ええ。期待してるわ」

 母が言った直後に、父の寝息がすぐに聞こえてきた。おやすみ、と言って、母が毛布を掛けてあげているのを、アリーはぼんやりとした視界の中で見ていた。


 それからは、しばらく父の部屋で過ごした。時々、少し若い見た目の村の長が様子を見に来たが、それ以外は特に変わったことはなかった。

 長は、父に好意的に接してくれて、食べ物や衣類などを定期的に届けてくれた。時々、母に抱かれたアリーを、いたずらっぽい笑みを浮かべながらあやそうともしてくれた。

 村人たちも、両親を邪険に扱うことはなかったのか、干渉してくる者はない。ひそと陰口を叩いているような険悪な空気も、アリーはないように思っていた。

 アリーは、この時は幸せだった。一日一日が、楽しくてしょうがなかった。父も母も笑ってくれているこの時間が、たまらなく好きだった。

 しかし。

 幸せなど、そう長く続くものではない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ