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私を忘れて  作者: 千変万化
序章 「回顧」
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0-2

 生まれてから半年くらいは、少し慌ただしいが平和な日々を送ることができた。

 赤子が魔王と人間の子ということで、父は自分たちが暮らす場所を、人気のない所に定めた。その場所を探し当てるのに二、三日を要し、そこに移住するのには、もっと長い日数がかかった。

 ただ、その甲斐あってか、平和な時間を得ることができた。

 身を置く場所が人気の少ない所であったのもそうだが、父である魔王が、赤子の居所を巧妙に隠してくれたからというのが、一番大きかった。

 強力な魔力を持つ父は、魔法で色々なことができるようだ。自分や任意のものの気配を消したり、実際とは違うものを見せたりと、不思議なことができる。

 ただ、そういった魔法を使っている間の父は、赤子には酷く疲れているように思えた。

 まだ、目はちゃんと見えてはいない。開いてみても、ぼんやりと霞んでしまっている。その代わり、他の感覚は十二分に発達している。父の気配が微かに弱っているのは、いつも何となく感じていた。

 この異能を、嬉しいと思ったことは一度もない。寧ろ、半年の間、赤子は恨めしく思っていた。普通の子どもに生まれていれば、嫌な気持ちを抱いて苛むこともなかった。

 そして、自身がいることで平穏な日々が壊れてしまう恐怖を、強く抱くこともなかった。

 だが、その日は突然やってきた。

 たくさんの慌ただしい足音が、刺々しい雰囲気と共にその場所へと押し寄せてきた。

 丁度昼食を終え、楽にしているところだったが、父は咄嗟に身構えた。すぐに母の前へと庇うように出て、相手をキッと睨んでいる。

「いたぞ!」

 明らかな敵意を孕んだ声に、うとうとしていた赤子は一気に目が覚めた。うっすらと目を開けると、騎士風の男たちが、剣を構えながらこちらを睨んでいるのが辛うじて見えた。見えるだけで、十人くらいいるだろうか。それが少し怖くて、赤子は泣き声を上げようとしたが、声を失ったかのように何も口からは出なかった。

「静まれ」

 騎士の中から、低く落ち着いた声が聞こえてきた。

 片手を上げ、周りを制するように、中年の騎士が前へと出てくる。耳が、人間よりいくらか長く、尖がっている。

「女、そして王よ」

 騎士が、抑揚のない声で言った。

「あなた方は、大罪を犯しました。このままでは、死罪は免れません。ですが、その赤子をこちらに引き渡すというのならば、その罪を幾分か軽くすることを、私の命に懸けてお約束しましょう」

 騎士が言い終え、父と母の答えを待つかのように、口を真一文字に引き結んだ。

 赤子は、騎士の言葉に一種の絶望を感じた。父も母も、保身のために自分を引き渡すのではないか、と思ってしまった。自身が忌み嫌われた存在であるがゆえに、二人とも赤子を煙たく思っているのでは、と赤子は嫌でも勘繰ってしまう。

 赤子は、幼いながらも死を覚悟した。そうなるのも仕方がない、と諦めかけた。

 しかし、父と母を一瞬でも信じられなかった赤子は、本当に愚かだった。

「断る、と言ったら?」

 間を開けることなく、父が即座に返す。その言葉は、一切のためらいを感じさせなかった。

 父には、赤子を捨てる気がなかったようだ。瞬間的に引き抜いた剣が、相手の騎士に向けて突き出されている。

 母も、同様の気持ちのようだった。赤子を抱きしめる腕の力が強くなっていくのを、確かに感じた。

 騎士が、父の言葉に溜息を吐く。そして、腰の剣を一息に抜き払った。

「致し方ありません。赤子もろとも、ここで死んで頂きます」

「やってみろよ」

 父の言葉と同時に、騎士が右腕を掲げては一気に降ろす。何人もの騎士が、一斉に迫ってきた。

 赤子は、恐ろしくなって目を閉じた。まだぼんやりとしか見えなくても、ぎゅっとつぶった。単純に、怖い。乾いた金属音も、血の降る音も、断末魔の叫びも痛いほど聞こえてきて、それだけでも赤子は十分に怖かった。

 次第に音は止んだが、戦いが終わったのとは違ったようだった。

「王よ、何故そこまで抗う! その赤子の血が何をもたらすか、知らぬあなたではないでしょうに!」

 父は、何も答えなかった。多分、答える気がなかったのだろう、と赤子は何となく思った。

 断る。それ以上の答えなどなく、理由さえもない。断りたいことに、理由などいらない。そういうことではないだろうか。

「お前たちは、確かまだ独り身だったよな」

「それが何か?」

 父の不意な問いかけにも、さっきの騎士は抑揚のない声で返した。

「いやなに。お前らも、妻と子を持つようになれば、俺の気持ちがわかるだろうさ」

 微かに笑ったような声で、父が言った。

 言葉が告がれた瞬間、沈黙が流れた。いや、沈黙とは少し違う。制止、だろうか。父以外の全てが、何かに呑まれた様に動きを止めた気がした。

「行くぞ」

 不意に、赤子は頭を撫でられた。その手は母の華奢で柔らかなものとは、大分違った。大きくて、ごつごつしている。しかし、温かくて落ち着いて来る。それは、母と一緒だ。

 うっすらと目を開けると、目を瞑った父が母を抱きかかえているのが目に映った。何かを念じているのか、聞き取れないほどの小さな声で、ぶつぶつ呟いている。 

「まずいぞ、王を止めろ! 瞬間移動をする気だ!」

 誰かが慌てて言って、制止を振り切って駈け出そうとしたが、遅かった。

 父の目がかっと開かれたかと思えば、突然、不思議な感覚に見舞われた。なんて言えばいいのだろうか。そう、浮遊感に似たもの、とでも言うのだろうか。

 それを感じたのも束の間で、すぐに消えてしまった。ばかりか、さっきまでの喧騒が、嘘みたいに静まり返っていた。

 ぼやける視界を左右に巡らすと、そこは見慣れない場所だった。少し大きめのベッドと一つの文机しかない、簡素な部屋の中だった。

 少なくとも、さっきいた場所の近くには、こんな部屋がある所はない。

 あまりにも不思議で面食らったが、それでも赤子は、咄嗟に理解した。これが瞬間移動というものなのだ、と。

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