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 航介は、二週間ほどで、すべての観世音菩薩との対面を果たした。滴石号との吟行の成果は、縄紐で吊り下げられたペットボトルに、心地よい適度な重さをもたらせていた。はじめのうちは、神仏から与えられている限りある時間を贅沢に使うことこそが目的だったりもしたが、その行程の半分もすぎると、自身のより内面的な探索を、観世音菩薩というメディアを通しておこなうようになっていた。

 航介は、第三十三番札所桂清水観音の石段を下りてくる時に捻った左足を少し引きずりながら、五芒星で封印されたあの課題を出した大山杢蓮への返歌を持って、鳩尾山白澤寺を訪れた。

 JR八戸駅を見下ろす台地の端に立つ白澤寺は、その鼻先を洗う浅水川の切替工事により、最近移転してきた寺院である。住職の杢蓮は、積極的に墓地開発をしたり、盆踊りや灯篭流しを主催するなど、清貧を旨とする禅宗の僧侶にはみられないユニークなタイプという評判だった。

「ごめんくださーい。」

 航介は、本堂の前で大きな声を出し、あの大柄な杢蓮の姿を期待した。しかし、なかなか奥から出てこない。しばらくしてから現れた杢蓮は、航介の顔を見るなり明らかに表情を変え、住居の部分との渡り廊下で足を止めた。以前はしていなかった眼帯をしている杢蓮の足元が不自由なのかと思って航介が駆け寄ろうとすると、杢蓮は、何事もなかったかのようにつかつかと歩を進めてきた。

「どちらさんでしたかな。」

杢蓮は、目を合わせずに座布団の用意をする。

「市野沢と申します。御前神社で受け取った課題の解答を、持参してきました。」

航介は、あの茶封筒を、伊達政宗のような隻眼の杢蓮に示して、彼の長期記憶の復活を刺激した。

「どうだね。私が言いたかったことがわかったかい?」

杢蓮は、なおも航介と目を合わせようとせず、茶を出す準備をはじめている。

「『栗の木』のところは、てこずりましたよ。」

航介は、半紙に書き上げた「解答」を提出した。


・矢と松尾 大きな栗の 木の下で

・法螺吹きの 舌に止まった 蚊が運ぶ

信じられない 消えた杉沢  (杢蓮)


・夏の朝 スタンプ目当ての 子熊たち

・法螺吹きの 眼下に見ゆる 三つ星が

信じられない 消えた杉沢  (航介)


「答えは、斗賀観音でしょう?あの霊験堂です。」

「『でしょう』とは、どういうことかい?」

「和尚は、僕にクイズを出したのではないんですか。」

杢蓮は、声を出して笑いながら否定した。

「それはちがう。私も答えを知らないんだ。」

杢蓮は、桔梗紋がほどこされた急須から、ゆっくりと茶を注いだ。

「さあ、君の頭の中を見させてもらおう。」

杢蓮は、航介にこの句と歌の解説を求めた。

「僕にとって、霊験堂は小さいころからの縄張りです。そこにある栗の木の下で、よくおとぎ話を聞いたものでした。つい最近気づいたことなんですが、栗の木は、男根の象徴になるのかなと思ったんです。」

「あのニオイな。」

「ええ。子供のころには気づかなかったんですが、あの臭いを発する大木は、成人の立派なチンポです。」

「『矢と松尾』とは?」

「それは『矢と的』、すなわち男と女の表象でしょう。的の中心部は、『ツボ』といいます。矢が的の中心部であるツボに射し込まれた結果、生まれてくるのがかわいらしい子熊たちなんです。」

二人は対面してやりとりをしている。その間に坐す本尊の釈迦如来が、まるで、この二人の審判をしているかのようだ。

「子熊が生まれてくるということは、その両親も熊なのだろう。なぜ斗賀に熊がいるのだ?」

航介は、その問いが出るのを待っていた。

「熊の正体は、熊野(和歌山県)の修験者なんです。山にこもって自然と一体となることを修行してきたたくましい男が、熊野の本尊である観世音菩薩を小脇に抱えて斗賀まで下ったというわけなんです。」

「ほう。男くさい山伏だから、精液の臭いをプンプンさせているというわけだな。ハハハ…。」

杢蓮は、航介のユーモアを豪快に笑った。

「この修験者という存在が、次の『法螺吹き』に掛かります。斗賀から真東を望んだときに見える旧杉沢村周辺の様子を、年中真東から昇ってくるオリオン座の三つ星に当てはめたというわけなんです。」

「それだけかい?」

「…。」

航介は、黙り込んだ。本当は、水星でもあるという仮説を持っていたが、わざわざそのことを言う必要はなかった。窮地に陥った航介は、反転攻勢に出ることにした。攻撃は最大の防御である。

「和尚は、『杉沢村』という限定的な地名情報をどこから得たのですか?」

「ある古文書と旧日本軍が遺した報告書からだ。」

「旧日本軍?」

「実は、大正から昭和のはじめに、参謀本部があの辺りを極秘に発掘調査させたらしい。君は、長慶天皇の墳墓に関するエピソードを知っているかね?」

現在、第九十八代天皇として皇統譜に記載されている南朝方の長慶天皇は、長らく実在が疑われていた。しかし、櫛引八幡宮が所蔵していた「赤糸威鎧、兜、大袖付、附唐櫃」や「白糸威褄取鎧、兜、大袖付、附唐櫃」が当代随一の豪華絢爛さを誇り古くから聞こえていたことから、親南朝でもあった南部氏の領内にまで長慶天皇が落ち延びたという説が、まことしやかに伝えられてきたのだ。

 近代国家が整備されていくなかで、国家統合の精神的支柱として確立するために、宮内省によって天皇家の歴史を再検証することがすすめられ、歴史から消されていた長慶天皇は、大正十五年(一九二六)に正式に皇統譜へ記載された。当時、宮内省は嵯峨東陵(京都市)を長慶天皇の墳墓としたが、この天皇の渡御伝説を信じる各地の人民からは、政府に対して再調査の請願が出された。この再調査に対応したのが、各地の地図を作成していた内務省から権限を奪った軍だったのである。

「正直に言おう。杉沢村ブームをつくったのは私だ。世の中はすぐに騙された。」

杢蓮は、懇意にしている広告代理店や地下人脈をつかって煽動したことを自慢した。

「テレビ局などいい加減なもんだ。いい加減なヤツが、いい加減に番組をつくっているのだよ。ひとつ覚えておくがいい。」

「なぜ、そんなことをされたのですか?」

一連の自惚れぶりをみて、しだいに航介の目には、杢蓮が生臭坊主に見えてきた。

「優秀な者の頭脳を借りたかったんだ。結局、軍は何も発見することができなかった。別の古文書には、『杉澤村を探せ』と明記されているのに。」

「その古文書とやらを拝見させていただきたい。」

「私の手元にはない。櫛引八幡宮に行けば、宮司が出してくれるだろう。連絡しておくよ。」

杢蓮は、懐からブランド物のシガレットケースを出し、やおら、メンソールの効いたタバコに火を点けた。

「ただし、条件がある。この条件が飲めなければ、宮司への紹介はできない。」

「条件ですか?」

「あの宮司さんが、一見の若者にお宝を見せることはないはずだよ。」

「その条件にもよりますが。」

「今日から私の子になることだ。君には、しばらく、この白澤寺で修行を積んでもらう。私にも息子が一人いるが、こいつがバカでしょうがない。二十歳にもなるというのに。」

「息子さんがおられるんですか?」

航介は、杢蓮がいよいよ胡散臭い男だと感じ取った。禅宗の坊主なのに妻と子がいる所帯持ちとは、野狐禅も甚だしい。それだけならまだしも、口添えの条件に仏門に入れだの、養子になれだの、まともな人間の思考回路ではない。

「お断りします。僕には、執着心はありません。」

「その古文書を解読できれば、驚くほどの価値があるお宝と名声を手にすることができるはずだ。」

「結構です。僕以外の人間にどうぞ。」

航介は座布団を退いて、釈迦如来に線香を一本あげて合掌したあと、杢蓮に背中を向けた。

「君は、神の子だ!」

杢蓮の言葉に、航介は足をとめる。

「南部総鎮守の宮司として君を推薦する。そのためにも、私に身を預けてくれ。悪いようにはしない。」

航介は、仏の前で大声を張り上げる杢蓮の本性を確信した。

「このオッサンは卑しい。まるで信用ならない」

航介は振り返ることなく、薄暗い本堂から、太陽が差し込んでいる明るい出口へと向かった。

 そのとき、住居の方から見覚えのある男が、慌てた様子で松葉杖を抱えながら走ってきた。同級生の三浦だ。

「火事だぁ!オヤジ、火事だぁ!」

声の方向を見ると、離れ屋が、強い風に煽られて炎につつまれているではないか。航介は、繋いでおいた滴石号を思い出し、全速力で駆け出した。

 同じくして、ラッキー・ストライクを手にした少女と勇敢な猟犬も、駅へ向かって駆け出していた。



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