85話 ヒトミの勘違い
タラップを降りると、そこには一台のバスが停まっていた。
どうやら、全員が一緒に乗れるよう用意したらしい。
車と言うと、車屋ジンギスカンの店主を思い出すが、元気にしているだろうか。出発前、新型車のコンセプトを考えてると話していたが……。
未だ名前を聞いていない、気の良いオヤジの事を思い浮かべていた正巳だったが、どうやらその様子を見てシュアンとホアンの二人は不思議に思ったらしい。
シュアンは首を傾げて、ホアンは手を伸ばしながらジッと見つめて来ていた。それに苦笑すると、二人を下ろしながら言った。
「着いたぞ」
二人を下ろすと、其々片手で正巳の服を掴んだまま、ジッっと視線を前に向ける。
後ろからユンファやファス、リュウアン、リーナ、ヒューム……と降りる中、二人の視線の先――何故だか目を潤ませた女性が近づいて来た。
その様子に、何と声を掛けたものかと思ったが、その後ろバスの横に控えたミヤは、苦笑いをして首を振っていた。どうやら、黙っていた方が賢明なようだ。
一歩、また一歩と近づいて来た女性が、腕を伸ばせば触れる距離まで来ると、口を開いた。
「本当に、一年くらい帰って来ないかと、もう帰って来ないのかと思いました……」
顔を俯かせ、声を震わせている。てっきり、寂しかっただけかと思ったが、どうやら何か大きな勘違いを拗らせていたらしい。
相変わらずなヒトミに、懐かしくも苦笑すると言った。
「はぁ、どうしてそうなるんだ?」
「だって、わたし……。私が言ったから、……帰って来なくて良いって」
まったく、手のかかる奴だ。
「あのな、一応俺の家はここに有るんだが?」
「それでも、その……。子供までいるし、……沢山」
やっと顔を上げたと思ったら、今度はおかしな事を口走る。
「あのなぁ……」
呆れて、説明する気も薄れて来てしまった。しかし、気を抜いたのがいけなかったのだろう。ヒトミが再び、その"妄想機関車"に火をくべ始めた。
「あ、ああ、やっぱりです! ……そうなのです。やっぱり、私よりもいい女を見つけて……。そうなのです、ほら後ろに綺麗な女性が……えっ? あんなに大きな男の子まで?!」
息を吸って頬を膨らませたり、それを吐きながら妄想を吐き出したりしている。きっと、綺麗な女性とはレフィーナの事だろう。となると、"大きな男の子"と言うのは――
「ふふ、貴方"男の子"ですって」
「う、うるせぇな! レフィーナ、お前だってその綺麗な……って、なんで俺がそんなこと言わないといけねえんだよ!」
いちゃつき始めた二人に若干イラっとしたが、今は構っている場合ではない。普通途中で止まる"妄想"も、ヒトミの場合は止まるばかりか加速して行くのだ。
どうしようかと、視線を戻した正巳だったが……
「あのね、大丈夫だよ?」
「おちつくイイ」
いつの間にか移動したシュアンとホアンが、ヒトミの事を落ち着かせていた。
「大丈夫って、本当に大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だよ」
「正巳さん盗らない?」
「……おにいちゃんは、お兄ちゃん」
膝を屈め、二人に頭を撫でられていたヒトミだったが、満足したのか目元を拭った後で立ち上がった。幼児に慰められる大人と言うのは、何とも言えない物があったが……
「なんだ、大丈夫か?」
頬を引きつらせながら言うと、頷いたヒトミが言った。
「はい、大丈夫です! "お兄ちゃん"としてらしいので!」
ヒトミの"大丈夫"の定義がさっぱり分からなかったが、元からよく分からなかったのだから、納得の仕方もこんな風に緩くて良いのだろう。
ニコニコしながら歩いて来たヒトミに苦笑した正巳は、自然に手を伸ばしていた。
数秒何も考えずに居たが、ふと背後からの視線と、ちびっ子の視線を足元から感じて脂汗が出て来た。どうやら、無意識のうちにヒトミの事を撫でていたらしい。
「あー、そう言うのは他所でやってくれるかぁ?」
「ですね、只でさえお腹いっぱいなのに……十分です」
「ふむ、正巳殿は何処でも同じじゃのぅ」
慌てて取り繕うとした正巳だったが、ちびっ子たちの要求にただ頷く事しか出来なかった。
「こっち!」
「……わたしも」
その後、頬の熱が引くまでの間、子供達の相手をしていた。引継ぎを終えたらしいリーナと、その後を付いて来るリュウアンを見ながら言った。
「全員揃った事だし、向かおうか!」
案内しますと張り切っているヒトミに、それじゃあと言って任せる事にした。
それ程荷物は無かった――大きな荷物は、予め別の車両で運ぶ事になっていた――が、ちょっとした手荷物を持った一同は、ヒトミの案内でバスへと乗り始めていた。
一人ひとり乗る中、ユンファは最後まで隣に居た。
何となく、その横顔が寂しげに見えたが……どうやら、姉であるフォンファの姿が無かった事が原因だったらしい。正巳としても、てっきり迎えに来るものだと思っていたのだが。
首を傾げていた正巳に、近づいて来たミヤが耳打ちして来た。
「実は、重要な部分の開発をしているとかで、ここ数日籠りっきりなんです」
どうやら、来なかった訳では無かったみたいだ。
うっすらと唇を噛んでいるユンファに、手を差し出した。
「これから家になる場所だがな……」
「いえ?」
不思議そうに顔を向けるユンファに、なるべく自然になるように言った。
「ああ、これから住んでもらう場所だが、そこはお姉ちゃん達が一生懸命造ってる場所なんだ。今も頑張ってるみたいだし、そうっと戻って驚かしてやらないか?」
正巳の言葉に、少し考えた様子のユンファだったが、直ぐにコクリと頷いた。
「やる、驚かす」
手をパタパタとさせ、バスに入って行くのを見送ると、そこに残っていたファスに言った。
「ジョンは荷物か?」
「はい、予定通り荷物を運んで来るそうです」
予め聞いてはいたが、変更は無いらしい。
頼りになる男の事を思い浮かべながら、気になっていた事を口にした。
「本当に良かったのか?」
何がとは言わなかったが、伝わったらしい。
「はい。グラハムを初め、リーナもジョンも私の"私兵"ですので。当然私のと言う事は、正巳様がその主人と言う事になります。それに、バックアップも居りますので」
問題無いと言う事は分かったが、バックアップの意味はよく分からなかった。恐らく、聞けば答えるのだろうが……。頷いた正巳は、「それなら良いんだ」と言うまでにしていた。
知っておかなくてはいけない事もあるが、きっと知る必要のない事もある。
「それじゃあ乗るか!」
未だ外に居たのは正巳とファス、それにミヤの三人だった。
歩き始めた正巳は、横を歩くファスに言った。
「運転はミヤに任せる」
「……承知しました」
一見普段と同じ調子にも見えるが、若干残念そうにしている。
「と言う事だ、頼むなミヤ」
そう言って視線を向けると、会釈したミヤがその頬を緩ませる。
正巳には分かったが、これはミヤの安堵と感謝の表れだ。何故そんな事が分かるのかと言うと、ファスの運転は少々刺激的なのだ。いや、完璧だが……時に刺激的なのだ。
恐らく、ミヤであれば丁寧な運転をしてくれるだろう。
仮に有事の際でも、ファスやインシュン、リーナやグラハムが居る。例え運転技術でずば抜けていなくとも特に問題は無いのだ。
ファスに知られぬよう息を吐くと、ゆっくりとステップを上がり始めた。そんな中、背後からミヤの言葉が聞こえて来たが、それには片手を上げる事で答えておいた。
「正巳様、お帰りなさいませ」
やがて走り始めたバスの中、隣に座ったヒトミから質問を受け始めた。
その内容は、何を食べたかとか、楽しい事は無かったのかとか、皆とは何処で出会って、なんで一緒に来る事になったのかとか……それはもう様々な内容だった。
中には、そのまま答えると少々支障の出て来る内容もあったが、そん時は決まってシュアンが助けに入ってくれた。相変わらず、妙に鋭い所のあるヒトミだったが、それを上手い事受け流すシュアンは流石だった。
結局最後の方は、正巳を介す事無く直接話していた二人だったが……その様子を一歩引き、見守っていた正巳は――年齢こそ離れているが二人は仲良くなれる、そんな気がした。
は、ははは……今話で終わると言うのは夢なのだよ!
と言う事で、次話で本当に章最後になると思います。