84話 小さな機長
「――きて、起きて……お兄ちゃん起きて!」
遠くで聞こえていた声が、体を揺らす振動となって脳を覚醒させて行く。
……いや、実際に揺らされていたか。
上に跨っているシュアンへと手を伸ばすと、そのまま体を起こした。
「お兄ちゃん起きた!」
手をパタパタとさせるシュアンに苦笑する。
「どうしたんだ?」
「あのね、外見てみて!」
ぼやけていた視界が段々定まって来る。
「おお、夜景か……」
小さな窓には、黒いキャンパスとそこに映る無数の輝きがあった。どうやら、だいぶ長い間寝ていたらしい。その景色を見ながら、ファスの持って来た蒸しタオルを受け取った。
「あとどれ位で着く?」
「十分少々です」
どうやら、思ったよりも寝ていたらしい。
「みんな休めていたか?」
「うん、休めたの!」
ファスに聞いたつもりだったが、手を上げて答えたシュアンを撫でると言った。
「それで何してたんだ?」
「あのね、皆でお話ししてたの。あと、ぷりんを食べてお昼寝もしたの!」
視線をずらすと、未だ横になっている子も見えた。
「そうか、楽しかったか?」
良かったなと頭をぐりぐりすると、そのまま抱き着いて来た。
どうやら、どの位楽しかったかを体で表現したらしい。
一向に離れる気配は無かったが、そのまま好きにさせておく事にした。
「それで、操縦の方は良いのか?」
記憶が正しければ、離着陸の際は自動操縦から手動操縦に変わる筈で、その操作は機長と副機長の"二人体制"で行う決まりだったと思うが……。
操縦席に居るであろうグラハムを思い浮かべながら聞くと、ファスが答えた。
「それでしたら、私の代わりに"小さなパイロット"が居ますので」
どういう事かと思ったが、そこで顔を上げたシュアンが言った。
「あのね、シェル姉が手伝うんだって!」
キラキラした瞳で「カッコいいね!」と言ってくるので、それに頷くとファスへ確認を取った。
「そうなのか?」
頷いたファスが答える。
「グラハムは、『今日のメインはシェルリーだ』と」
手伝うにしても"補佐"だと思っていたが、どうやらメインで舵を取るらしい。一瞬不安を覚えた正巳だったが、直ぐに考えを改めた。
「そうか、頑張ったんだな……」
指導が厳しいと言うグラハムから、"任せられる"程なのだ。呟いた正巳に、何を思ったのかジッと見つめたシュアンが言った。
「あのね、きっとプリンが良いと思うの!」
「うん? ……ああ、ご褒美か?」
頷くシュアンに苦笑すると、そうだなと答えておいた。
その後、「着陸態勢に入るので準備をして下さい」と機内アナウンスがあった。
アナウンスの声は、少し緊張した少女の声だったが、きっとアナウンスを切るのを忘れていたのだろう。無事アナウンスし終えると、「やった!」と小さく声が聞こえて来た。
笑みを浮かべた正巳だったが、そこにインシュンがやって来た。
「ちょっと良いか?」
「……どうした?」
「いや、ユンファがな」
「ユンファが?」
視線を向けると、寝たままのユンファが見える。
「起きないのか……」
頷くインシュンに、シュアンを任せると仕方ないなと立ち上がった。しかし、それを見てファスが「正巳様、私が起こして来ますので」と歩いて行った。しかし――
「むっ……なに? ……仕方ないですね」
どうやら、ダメだったらしい。
ユンファの口元へ耳を近づけたファスが、渋い顔をして戻って来た。
「どうしたんだ?」
「いえ、どうやら正巳様が良いみたいでして」
「俺が良いって、どういう……?」
疑問しかなかったが、もうそれ程時間も無いだろう。
シートベルトを付け始めた子供らを見て、先に座っている様にと言った正巳は、ファスを残してユンファの元まで歩いて行った。
「ユンファ、起きてシートベルトを――」
頭から毛布を被っていたユンファに言うと、もぞもぞと動いた毛布の端から顔が覗いた。
「……して」
「うん?」
声が小さかったからか、聞き取れなかった。
そこで、仕方なく屈むと再び耳を近づけた。
「どうした?」
耳を近づけ過ぎたのかも知れない。
若干と息がかかってくすぐったかったが、今度ははっきりと聞こえた。
「抱っこして」
どういう意味かと思考停止した正巳だったが、直後入ったアナウンスに体が動いた。
『目的地上空に辿り着きました、ので、これから着陸に入ります……ふぅー……はー……』
アナウンス自体は、たどたどしくも緊張が伝わる内容だった。
別に、それは良いのだが、ここ半年の内に飛行機関連で少々よろしくない記憶――乱高下する機内、墜落しそうになる機体、目の前で落ちて行った機体――があった為だろう。
ちょっとの事にも敏感になっていた。
「悪いな!」
そう言って、寝ていたユンファを毛布ごと抱え上げると、座席まで運んだ。そして、一度毛布を横に置くとシートベルトを締め、再び毛布を掛けてやった。
「これでよし」
一人呟くとその隣に座った。
シートベルトを締めた処で、何となく視線を感じた。そちらを見ると、リーナの横に座っていたリュウアンが、こちらを驚いた顔で見ていた。
「……どうした?」
どうしたのかと思ったが、どうやら正巳がユンファを、軽々と運んでいた事に驚いたらしかった。
「力持ちなんだな」
目を丸くしている。
確かに、リュウアンからしてみれば、ユンファを持ち上げるのは"力持ち"の内に入るだろう。しかし、大人からしてみればユンファを持ち上げる事ぐらい、簡単な事だ。
確かに、フォンファと比べると、女性らしい分だけ少し重さはあるかも知れないが。
(こんな事聞かれたらリンチに遭うな……)
変な事を口走らない様気を付けながら、答えておいた。
「まあ、このくらいはな」
その後、傾き始めた機内に自然と口を閉じた。
途中ユンファへと視線を向けると、そこには満面の笑みを浮かべたユンファが居た。ユンファは本当に、ジェットコースターの類が好きらしい。
ユンファを見ながら、きっとこの笑顔にはフォンファと会える喜びも有るんだろうなと思った。
◇◆
着陸は無事――と言うより、"完璧"に終えていた。
変な振動も無く、不快感も無かった。到着のアナウンスは、興奮した様子の伝わる中々ハートフルなアナウンスだったが……それもまたご愛敬だろう。
「正巳様、迎えが来ました」
予め、最初に降りるのは正巳と言う事になっていた。
これは、インシュンや子供達への配慮だったが……どうやら、子供達は早く下りたくて仕方が無かったらしい。開き始めた扉の前に立った正巳の後ろから、服を掴んで覗き込んでいる。
「……乗るか?」
てっきり、見知らぬ土地に降りるのは怖いと思ったが、どうやらそんな事は無いらしい。早速、手を伸ばしてきた二人を抱えると、タラップを降り始めた。
正巳が抱えたのは右にシュアン、左に"ホアン"だった。
機内を出る時、チラッとレフィーナの手を握るインシュンの姿が見えたが……後は、二人に任せれば良いだろう。こちらを見て頷くリーナに視線で返すと、再び降り始めた。
足を進める度、風がふわりと頬を撫でる。
「帰って来たな……」
少し前までとは明らかに違う空気に、懐かしさを覚えていた。
やっと、戻って来ましたね。次話で章を終える予定ですが……果たして、日本に残っていたメンバーや、改築中のコンビニはどうなっているのでしょうか。次話をお楽しみに!