83話 白い絨毯の上で
直ぐに刺した光が、雲の白さを際立たせている。
厚みのある白い膨らみに、弾力がありそうな張り。
集めて詰めれば、ふかふかの枕や布団になりそうだ。
それに、目の前の大きな雲は絨毯の様で……ふむ。
じっと見ていると、何となく上に乗れそうなそんな気さえして来る。
そんな、窓の外を過ぎて行く雲を眺めていた正巳だったが、ふと何時の事だったか、子供の頃同じ様な事を考えていた気がして、懐かしさを覚えた。
あれはそう、確か夏の日の夕方頃、友達と行ったプールの帰りで……。
「はは、年食っても中身は変わらない、か」
デジャブに感じた原因を思い出して、スッキリした。
正巳の様子を見ていたのか、ちょこちょこと移動して来たシュアンが膝に乗って来る。ここ二か月強の間で、正巳の膝の上はすっかりシュアンの定位置となっていた。
「何食べるの?」
首を傾げたシュアンが、不思議そうに聞いて来る。
どうやら「年食った」と言ったのを聞いて、勘違いしたらしい。
「いや、何かを食べる訳じゃ無いんだけどな……。そうだ、ほらあれ"わたあめ"に似てるな」
説明するのが難しそうだったので早々に諦め、そのまま、窓の外に見える雲を指して誤魔化した。しかし、それを見たシュアンは、今度は首をさっきとは逆に傾げていた。
「わたーめ?」
「ああ、そうか……」
どうやら、シュアンは"わたあめ"と言う物を知らないらしい。
「"わたあめ"って言ってな、こうふわふわしてて、食べると甘くて美味しいんだ。確か簡単に作れたはずだから、向こうに着いたら作ってやるな」
そう言って約束すると、「甘い?」とニコニコしていた。
昔、父親にお手製の"わたあめ機"で作って貰った事がある。あの時は、確か空き缶に穴を開け、缶の上にモーターを付けて回るようにしていた筈だ。そこに、砂糖を入れ下から炙れば……
「うん、出来そうだな」
改めて、シュアンに楽しみにしている様にと言うと、頷いたシュアンが上目遣いに聞いて来る。
「あのね、皆にも教えて良い?」
「もちろんだよ」
即答した正巳は、小走りで歩いて行く後ろ姿を見送ると、自分の頬が緩んでいる事に気付いて苦笑した。どうやらシュアンの"お願い"には、人をダメにする力があるみたいだ。
その後、子供達の前で"わたあめ"について、身振り手振りで説明するシュアンを見ながら、その横で柔らかい表情を浮かべる男を確認していた。
「調子、良さそうだな……」
そこに居たのはインシュンとレフィーナだった。
二人とも、ひと月前とは比べ物にならない程に、顔色も表情も明るくなっている。一時、土気色になった時など気が気では無かったが、完全回復と言っても良いだろう。
やがてシュアンのわたあめの話が終わると、興奮した子供達が二人へと駆け寄っていた。
中には、インシュンの両腕に抱えられ、笑顔で話す子供もいる。そんな、賑やかで微笑ましい様子を見ていた処に、音もなく近づく人影があった。
わざと視界に入るように来たからだろう、その人影には正巳も気が付いていた。
「新しい"腕"の方も、すっかり慣れたみたいですね」
その正体はファスだったが、手にはグラスを持っている。どうやら、飲み物を持って来てくれたらしい。差し出されるグラスを、受け取りながら頷く。
「ユンファがまた手を加えたらしくてね、"反射反応の再現が出来た"って言ってたよ。ほんと、最初の義手でも十分凄いと思ったけど。ここまで来ると、何だか義手も悪くない気がしてくるね……」
腕を失ったインシュンの為に、ファスは義手を用意していた。
当然初めから使いこなせるわけもなく、慣れるまでは苦労したみたいだった。それでも数日で使いこなしていたのだから、さすがインシュン相当器用なのだろう。
その後、実際に使いながら慣らして行きたいと言う本人の希望もあり、リハビリと称した墜落した機体の"解体撤去"に参加していたりもした。
しかし、流石に精密機械だなのだ。負荷のかかる労働の後、義手が破損する事も何度となくあった。そんな時、義手の修理担当をしたのがユンファだったのだ。
当のユンファも、しばらくは"新しいおもちゃ"とばかりに熱中していた。
そんな、壊れては改良してを繰り返していた物で、今インシュンが使っている義手の耐久性は相当な物だろう。少なくとも、少し乱暴に扱ったぐらいでは壊れる事は無いはずだ。
レフィーナと、子供達に囲まれているインシュンを見ながら、(助けて良かった)と心から思った。その後、こちらへと移動して来た子供達のリクエストで、向かっている国について話をする事になった。
子供達の中には、何故かユンファも混じっていたが……そのキラキラと輝く瞳を見てしまっては、とてもでは無いがダメだと言う事は出来なかった。
「――と言う事で、今向かっている国は豊かで安全な国だ。それに、基本的に便利ではあるんだが、住む場所によっては不便で……まぁ、俺達が向かう先は、便利になる予定だから心配ないけどな!」
「予定なの?」
「そうだぞ。何でも揃う便利な店があってな、"コンビニ"って言うんだ」
「"こんびに"って何?」
「コンビニって言うのは……そうだな、必要な物が何でも揃うお店だな」
正巳の言葉に、子供達は興味津々と言う様子だった。向こうに着いたら、タイミングを見て店に連れて行ったら良いかも知れない。
子供達は兎も角インシュンには、何らかの形で仕事をして貰う事になるだろう。何をして貰うかは分からないが、取り敢えず初めはレジ打ちからだろうか。
「……ふむ、そう言えば改修したんだったか?」
レジ打ちをするインシュンの姿を思い浮かべていた正巳だったが、出発する前設計のヒノキやフォンファに"依頼"していた事を何となく思い出して、首をひねっていた。
それでも、二か月以上前の話である事と、短期間でそれほど変わる事は無いだろう――という思い込みがあった正巳は、重要な事を思い出したにも拘らず、唯一の進捗の確認機会を失ったのだった。
何か引っかかりを感じながらも、気のせいだと思う事にした正巳は、再び始まった質問攻めに答える事にしたのだった。
「お兄ちゃんのお父さんも居るの?」
「そうだな、今は居ないかも知れないな」
「朝ご飯はなにー?」
「朝は、コーンフレークとかパンになるかもな」
「こーんふれーく?」
「そうだ、牛乳をかけて食べるんだがな、お手軽で美味しくて――」
その後、しばらく続いた質問攻めも、やがて満足したのか少しずつ収まって行った。すっかり疲れ切った正巳に、ぶどうジュースを差し入れたファスが言った。
「お疲れ様です。もう数時間掛かりますので、正巳様もどうぞご寛ぎ下さい」
それに頷いた正巳は、席を移動すると体を横にしたのだった。
◇◆
主とする男が寛ぐ様子を見て、人知れず安堵の息を吐いていた。
(これで、一先ず腰を下ろせますかね……)
既に、一週間ほど前に事が済んだと連絡があった。しかし、完全な処理を確認するまでは数日置かなければいけなかった。
そして、それを確認するのは今日何事もなく出発できる事が、その最終確認項目だったのだ。
一週間ほど前――
墜落した機体の"撤去"を行っていたファスは、緊急通信から作戦が終了した事を確認していた。
(ようやく帰れますね……)
既に、予定より一週間帰国時期を延長していた。これ以上伸びるとなると、流石に主人へ説明をしない訳には行かなかっただろう。何にせよ、"武力行使"が必要な危機も過ぎたのだ。
(一先ず喜んでおきましょうか)
端末からの一方的な"報告"を確認しながら、頷いていた。
途中で途切れる事なく、最後まで一息に報告がされたのを確認し通信を開いた。
「了解 ご苦労 解散」
返したのは僅かに三語だけだったが、それを以て通信は終了された。
情報の整理をしていたファスは、大量に得た情報の取捨選択を一瞬にして終えると頷いた。
(これで、"表"も"裏"も終わりましたね)
その意味を知るのは、かつて"死神"として恐れられ、様々な依頼を一つも落とす事無く成功させ続けて来た男――ファスのみだった。