81話 一緒に行く!
手術を終えたファスが、ソファでぐったりとしている。始まってから約二時間、時間的には特別長いと言う訳では無かったが……きっと、通常とは違った種類の"集中"が必要だったのだろう。
「お疲れ様、本当に何でもできるんだな」
感心しながらコップを差し出すと、姿勢を正そうとするファスにそのままで良いと言った。中身はココアだが、疲れている時には甘いものが良いだろう。
「頂きます」
口を付けたファスが、ほうっと息を吐くのを見ながら言った。
「ヒュームは邪魔にならなかったか?」
見学を勧めたのは正巳なのだ。邪魔になったのであれば、謝らなくてはいけないと思った。しかし、どうやら余計な心配だったらしい。
「ええ、途中から入ってきた少年ですね? 落ち着いていて、集中力もある子ですね。普通目を逸らすような場面でも目を離さずにいて、感心しました」
最後に何か言葉を交わしていたのを見ていたが、どうやらファスから見ても好印象だったみたいだ。何を話したのかは分からなかったが、きっと悪い話では無かったのだろう。
出て来たヒュームの目が、何処か輝いて見えたのを思い出しながら頷いた。
「それで、無事終えたのは知っているが……今後の予定はどうなる?」
当初の予定では、ファス達が帰り次第直ぐ帰国する予定だった。
しかし、現状それは難しいだろう。
ファスは手術したばかりだし、救出して来た女性も憔悴して見えた。
「そうですね……」
少し考えてファスが言う。
「詳しい内容は、ミヤが来てからでも良いでしょうか?」
調整が必要なのだろう。頷いて答える。
「勿論構わない」
「ありがとうございます」
「いや、礼を言うのは俺だと思うが……。そうだな、今後の予定についてはミヤも交えてになるが、それ以外の処――例えば、インシュン含めた子供達の事は――」
そこまで言いかけて、ふと視線を感じた。
「……お兄ちゃん、しゅあんたち置いて行くの?」
そこに居たのはシュアンだった。ファスも気付いていた筈だが、何も言わなかったのを見ると、これから正巳が話そうとしていた"根本"を理解しているのだろう。
不安げな瞳を浮かべるシュアンに手招きすると、小さい歩幅で近づいて来た。
「……お兄ちゃん」
たまらず、膝の上に抱えたくなった。
しかし、グッと堪えると言った。
「シュアンは前に『ここに居たい』って言ってたよな?」
頷くのを見て続ける。
「それは、"安全な場所"が欲しいって事なのか? それとも……」
何となくずるい質問の様な気がして、言葉を詰まらせる。
しかし、それを見たシュアンが何を思ったのか頷くと答えた。
「あのね、しゅあんはお兄ちゃんと一緒が良いの。お兄ちゃんと一緒で、皆とも一緒なの」
瞳を潤ませるシュアンに頷きかけるが、これ迄シュアン達が送って来た生活を考えて言った。
「そうだな……シュアンは、これから言う"どちらか"だったら、どっちが良い?」
正巳の言葉に、シュアンがじっと聞く姿勢を取る。
「一つは、シュアン達が一緒に居られるような大きな家に住む事。みんな一緒で、安全でご飯にも困らない様にちゃんとある。また前みたいにシュアン達"家族"で、幸せに過ごすんだ」
マサミの言葉に、何か言いたげに口を開いたシュアンだったが、直ぐに口を閉じて頷く。
「もう一つは、絶対に安全とは言えないかも知れない。でも、そうだな……きっと、面白くてわくわくする――。まぁ、何と言うか……俺達と一緒に"日本"に行くって事だな……」
公平に話すつもりが、正巳自身の願いが出ている事を自覚した。苦笑しながら取り繕うと、目の前のシュアンがどちらを選ぶのかと目を向けた。
てっきり悩むものだと思っていたが、顔を向けた正巳にシュアンが言った。
「かぞくって……」
「うん?」
頬を膨らませたシュアンに首を傾げる。しかし、それを見たシュアンがますます頬を膨らませて行き……ついに"ふすー"っと、膨らませ過ぎた頬から息を漏らした。
その様子が可愛くて頬を緩めかけたが、直後の言葉に胸が刺された。
「なんで? "家族"は、シュアンもおにいちゃんも……かぞくなのに!」
どうやら、感情の高ぶりが許容量を過ぎたらしい。
言葉になる前に感情が溢れてしまっている。そんなシュアンの様子に、どうしたら良いのかとあたふたしていると、脇で見守っていたファスが言った。
「正巳様、きっと『家族』から正巳様ご自身を除いていたのが、お嬢さんにとってはショックだったのかと。それに、正巳様の居られる場所には私共もいますので……微力ながら"安全"は確保させて頂きます」
ファスの言葉を聞いて、シュアンに目を向けると、涙をぽろぽろと溢しながら頷く姿があった。
「わ、わかった。分かった。そうだな……皆にも確認は要るだろうが、シュアンがついて来たいなら構わないさ。それで良いか?」
「ぐずっ……いっしょ」
鼻水まで流しながら頷くシュアンに、悪かったと手を広げた。
「そうだな悪かった。一緒だよな、俺も皆もな……」
泣いているシュアンをあやしていると、それを聞きつけたのだろう。子供達が集まって来た。
全員集合状態になってしまったが、折角なのでここで聞くつもりだった質問をする事にした。聞いた内容はシュアンにしたものと同じで、平たく言えば「一緒に来るか否か」だった。
一緒に来なくても、安全に生活を送れるようにサポートするとは伝えた。しかし――
「いっしょに行きたい!」
「一緒に行く、手伝いするよ?」
「いくー!」
「ここに居られないの?」
中には、この"保養所"が気に入った子も居たみたいだった。それでも、ここは飽くまで借りているだけだ。いつまでも居座る訳には行かないだろう。
そこに居た殆どが、少なからず反応していたが……そんな中、普段から余り話す事の無い少女が俯いていた。何か言いたい事があるのかと声を掛けると、眉を寄せて言った。
「まだ、教えて欲しい事ある……」
「そうか、シェルリーは操縦を習っていたもんな」
少女はグラハムから操縦を習っている。
どうやら、もう直ぐ習えなくなるのではと思ったらしかった。
「大丈夫、それは何とかするさ」
本人には了承を取っていなかったが、後で頼みこんでどうにかしよう。
そんなこんなで、子供達の意志は確認出来た訳だが……この後はどうしたものかと、そんな風に考え始めた正巳にファスが言った。
「お任せください。――ミヤ!」
ファスが声を掛けると、ミヤがケースを持って来た。
「正巳様、こちらを皆さんに……」
ファスの開いたケースを見ると、そこにはメモ帳サイズの手帳があった。
「これは……まさか、パスポートか?!」
驚いた正巳にファスが頷く。
「実は、正巳様から指示をお受けした際に、根回しをしておきました。偽造では無く、本物ですのでその辺りもご安心ください」
どうやったのかは分からないが、ファスの顔の広さは今に始まった事でも無いだろう。驚きつつも、集まって来た子供達に一つ一つ渡して行った。
「ほら、これはシュアンのだぞ」
「シュアンのー!」
すっかり涙が引いて笑顔に変わっている。
子供達が自分の顔写真の入ったパスポートを手に、はしゃいでいるのを見ながらファスに聞いてみた。そう、そもそもこの子達はインシュンが親代わりで、保護者なのだ。
「なあ、インシュンに確認は――」
「お二人とも、『世話になる』だそうです」
短い言葉ではあったが、その意味を理解して(まったく、この男はどれだけ先を考えていたんだ)と苦笑と共に納得した。
「それは……俺が、子供達に確認とった意味はあったのか?」
インシュンと救出して来た女性――保護者である二人が"世話になる"と言っている時点で、半ば子供達も一緒に来る事が決まっていたのだろう。
もちろんファスの事だ。ここで正巳が拒否すれば、何事も無かったかのように無かった話にするのだろう。それでもだ、仕事が出来過ぎる男と言うのは少し怖い。
若干引いていると知ってか、苦笑を浮かべたファスが答えた。
「勿論です。私共が出来るのは"準備"と"お手伝い"です。飽くまでも、それをするのは正巳様なので……ここで、こうして皆が居るのは、正巳様だったからに違いありません」
真っすぐ言うファスの言葉に、若干照れが入った正巳だったが、それでもしっかりと受け取る事にした。頷いた正巳が「これからも宜しくな」と言うと、「承知しました」と頷いていた。
その後、顔を見せたグラハムが夕食を運んで来た。
少し早い夕食だったが、今朝より少し人数の増えた食卓は、お腹を膨らませると同時に心も満たしていた。本人達の強い要望と言う事で、安静状態のインシュンとレフィーナも食卓に着いていた。
インシュンは、麻酔の為か上手くしゃべれないようだったが、誰よりも幸せそうだった。レフィーナとはまだゆっくりと話した事は無かったが、その優しそうな顔から微笑みが絶える事は無かった。
そんな二人を見ていた正巳は、自分の頬を雫が伝うのを感じた。
その日のカレーは、ちびっ子に合わせて甘口だったのだが……
何故か、正巳のカレーだけ少し塩辛かった。