77話 正巳の一日
ファス達が出発してから、保養所の敷地内を散策していた。
ジョンが案内してくれると言うものだから後を付いて行ったが、その結果半分まで来た頃には既にヘロヘロになっていた。
只の散歩でもこうなのだから、これが訓練ともなると辛いを通り越すに違いない。
ただ、疲れたからと言って、リタイアする訳にも行かなかった。
出発する前、冗談にしてもリュウアンに対して「鍛えてやる」と言う趣旨の事を言ったのだ。リタイアしては、リュウアンへの示しにならない――と、正巳の意地が顔を覗かせたのだ。
途中、ジョンの心配そうな視線が目に入ったりもしたが、それには気が付かない振りをして、どうにかこうにか進んだ。
その後、体力を振り絞って戻って来たが、途中で歩きたくないと言ってしゃがみ込んだ子供を其々、大人のメンバーと年長メンバーで背負っていた。
正巳の背にも、一番懐いていたシュアンがおぶさっていたが正直、幾ら子供で"軽い"とは言っても、自分の服すらも鬱陶しく思うレベルで疲れていたのだ。
本音では勘弁して欲しかったが、それでも最後まで下ろさなかったのは、間違いなく背中におぶさったのがシュアンだったからだろう。
励ますタイミングや話題の振り方など、こちらを気遣う様子が伝わって来て、辛くなる度奮起していた。ログハウスが見えて来た処で、ジョンが言った。
「皆さんお疲れ様でした。シャワーがあるので、そちらで汗を流して下さい。着替えの方も用意しておきます。夕食までもう少し時間がありますので、ゆっくりとして下さい」
正巳達と丸っきり同じコースを歩き、子供を二人抱えていたにも関わらず、疲れた様子が無いのは流石だった。その様子に僅かな敗北感を覚えたが、シュアンを下ろすと言った。
「どうだった?」
なるべく笑顔を作るよう気を付けながら言うと、シュアンが笑顔で返して来る。
「楽しかった!」
即答したシュアンに、笑顔で「良かったな」と返した。しかし、それに対して何やら俯いて悩み始めたかと思ったら、シュアンが言った。
「あのね、面白い遊び場も沢山あったし、きっとシュアンはここで楽しく暮らせるの!」
てっきり感動したのだと思ったが、どうやらそれだけでは無かったみたいだ。相づちを打っていた正巳の服の、裾を掴むと言った。
「だからね、もう少しだけ一緒に居させて欲しいの」
その複雑な色をした瞳に、どう答えたものかと思った。
「そうだな、それが出来れば良いんだけどな……」
正直な所、確約できないのが現状なのだ。
一応、ファスにはシュアン達の問題――いつまでも続くであろう逃亡生活――について相談はした。しかし、それは相談と言うには余りにも淡白で、二言三言のやり取りでしかなかったのだ。
何にしても、全てどうなるかはファスが帰って来てからになる。
正直に"分からない"と答えようとした正巳だったが、目を合わせたシュアンの瞳が、何かを悟ったように色を変えるのを見て言った。
「何も心配する必要はない。大丈夫、心配なく過ごせるようになるさ」
そう言ってその小さな頭をぐりぐりと撫でると、ログハウスへ着いた面々が手を振っているのを見て、一緒に汗を流して来るようにと送り出した。
途中まで走って出ていたシュアンだったが、何を思ったのか途中で引き返して来ると言った。
「約束?」
小指を出しながら微笑む様子に頷いた。
「ああ、約束だ」
小さくて大切な約束を交わした正巳だったが、その輝く瞳に"嘘にしない"と誓った。
◇◆
指切りをした後、満足げに駆けて行く後ろ姿は子供だったが、そのやり取りを横で見ていたジョンは苦笑した。
それと言うのも、約束した本人には到底その方法も手段も、知らず持っていない事が明白だったからだった。いや、正確には違うかも知れない。
本人が持たなくても、その配下が持っていれば、それすなわち持っているのと同じ事なのだ。
「旦那様もまた、随分と仕えがいのある方を"主人"に決められましたね……」
音が聞こえたのかも知れない。
振り返って、どうしたと首を傾ける雇い主の主人、正巳の顔を見て答えた。
「いえ、何でもありません。ただ、正巳様は随分と"運の良い方"だな、と思いまして」
少しぶしつけだったかなと思ったが、ジョンの言葉に苦笑した正巳は言った。
「そうだな。ずっと悪かった分が、ここ一年で全部十倍以上になって、帰って来てるみたいだ」
笑いながら言う正巳に、普通は怒るだろうに……と、感心した。
それ迄、自分の雇い主を通して見ていた目の前の男を、初めて少しだけ気になった瞬間だった。
それは飽くまでその人格への興味だったが、それがいずれ"信頼"と"友情"を育む"種"だとは、この時はまだ知らなかった。
その後歩きながら、途中で入っていた通信の事を正巳に伝えた。
「――……と言う事で、旦那とインシュンの二人でそのまま救出へ。残りの三人は、帰還途中と言う事です。旦那であれば、大抵の任務は問題ないと思いますので、我々は吉報を待つ事にしましょう」
「まじか……。と言う事は、フォンファの妹が付いて行かなくても良い、何か解決案が出来たんだな……、うん。待ってる間、身体でも鍛えようかなぁ……」
後半は最早独り言だったが、そんな正巳を見てジョンは言った。
「それでしたら、私が責任をもってメニューを作りましょう!」
「お、それじゃあお願いしようかな」
何でもない会話をしていた二人だったが、ジョンの心の中はやる気に溢れていた。
そう、ファスの雇っている三人は、三人が三人とも少し特殊な部隊出身だった。その為、基本的な技術は一般基準より高かった訳だが、それに加えて各々が得意とする分野があったのだ。
グラハムは"操縦"、リーナは"整備"、そして海兵隊としてキャリアをスタートさせていたジョンは"教練"だった。
兵士の基礎体力を底上げし、戦闘技術を叩き込むプロフェッショナルは、その胸の奥に眠っていた情熱に火を灯し始めていた。
若干微笑みの混じった顔を向けて来る正巳に、手を出したジョンは言った。
「お任せ下さい。一人前の兵士に仕上げます」
その言葉に、戸惑いを見せた正巳だったが、そんな様子に気が付く様子もなくジョンは続けた。
「それでは、明日起床時間05:30――寝坊しない様にお願いします」
「えっ――い、いえ、そうですね。分かりました」
「今は良いですが、訓練中は了解しましたでお願いしますね」
「えっ、ああ分かりまし――了解しました!」
その後、訓練外では今まで通りで良いと伝えたジョンだったが、戸惑いと若干の後悔を浮かべた表情には気付く事は無かった。
◇◆
――夕日が沈んだ頃、戻って来た機体の中からリーナとグラハム、そしてユンファが降りて来た。
ユンファと自己紹介を交わした正巳だったが、時折当たり障りない質問をするものの、一向に離れようとしないユンファに苦笑していた。
その後、ようやくソファに寝たユンファに、近くに寄って来たシュアンと話をした。
シュアンが満足した所で、リーナとグラハムの話を聞いたが、凡その所はジョンを通して聞いた通りだった。ただ、正巳が"明日からジョンの訓練を受ける事になった"と若干笑いを交えながら言うと、二人揃って微妙な顔をしていた。
二人とも口を揃えて「大丈夫です、旦那様は仕事が早いので直ぐに戻って来ます」と言っていたが、その必死な様子から何処か明日からが、少しばかり不安になり始めた。
結局、嫌な予感が的中する事になるのだが……そんな事、この時の正巳が知る由も無かった。
視界の端で、リュウアンが半強制的に"皆の推薦"として、訓練に参加しているのを見て苦笑した。どうやら、その他のメンバー(主に子供達)は、料理や片付けなど基本的な生活周りの手伝いをするらしかった。
早速、シュアンが"お手伝い着"を着て来るのを見て呟いた。
「明日以降が辛くても、これを見てれば頑張れそうだな。それに、きっとファスが早く帰って来てくれるだろうしな……少しは気合いを入れてみるか!」
気合いを入れている正巳を視界の端に、経験者二人は、人知れず呟いていた。
「やり過ぎないと良いのぅ」
「そうね、旦那が帰って来た時"性格"が変わってたら困るわ」
「旦那も結構な"鬼"だけど、ジョンはのぅ……鬼と言うか、悪魔じゃからのぅ」
「まったくね。まぁ、いざとなったら、体張って止めるしかないわ」
「そうだのぅ……。ううむ、気が重いわい……」
不穏な会話をしていた二人だったが、その視線の先に居た正巳は、考えても仕方ないと割り切ると、ユンファをベッドに運んでおくように頼んだ。
その後、自分の部屋に寝に向かうと、若干の不安をスパイスに夢の中へと沈んで行った。