73話 地下住みのユンファ
気のせいでは無いだろう。
折り返し地点で休憩した後から、進むのが楽になった。
それ迄入り組んでいた壁が、下の階ではそれ程入り組む事無く歩き易くなったのだ。通常、上の階での情報を以て、更に精神がすり減る作りに変わるのだが……。
(調整してくれたみたいですね)
心の中で、家主であるユンファに感謝する。
この家の壁は可動式で、何回来てもその都度壁の位置も形も違う。
その為、地図を作っても無意味なのだ。もし作って来た地図などを持ち込めば、逆に混乱し、やがて気力が果てるのが関の山だ。
一方、家主の意思次第では、只の"少し長い廊下"になる事もある。
今回がそのパターンだ。
途中の問いが一度も無かったが、恐らくファスが同行していた事もあって、様子を見る事にでもしたのだろう。途中、酸素量の調整や微妙な床の傾斜を付けられていたのは、分析する為に違いない。
「そこを下りれば直ぐです」
銃弾さえ弾く特殊なコーティングのされたアクリル壁。その先に、コンクリート造りに見える階段が見えて来た。これで階段を下りるのは三度目だ。
普通に考えれば地下三階へと降りると言う事になるのだが、如何せんこの家は一筋縄では行かない。実際に、どれ位地中に居るかは家主しか知らない事だろう。
二人が頷いたのを確認して下り始めた。
◇◆
階段を下りるとそこには、六畳ほどのフロアと四方をコンクリートの壁に囲まれた場所があった。
「行き止まり……だぜ?」
不安そうな顔を向けて来るが、きっと下に落とされた時の事でも思い出したのだろう。確かに、床を見ると微かに切れ目が入っていて、この場所も"開く"事が分かる。
「旦那?」
不安そうに目を向けて来るリーナに、頷いて安心させる。
「ええ、着きました。あとは、招かれさえすれば――」
言い終える前に変化があった。
『"ズッズズズ……"』
正面の壁が左右に開いている。
開いたと言う事は、審査に通ったと言う事なのだろう。扉の向こうは明るく日が指していたが、これもユンファの発明の一つ。人工的に、自然光とほど変わらない光を生み出せるのだ。
「――この様に道が開ける訳です。進みましょう」
頷いたリーナはファスに続いていたが、どうやらインシュンにはそう簡単な一歩では無かったらしい。足を留めたまま心配そうに言う。
「だけど、勝手に入ったりして良いのか?」
「ええ、開きましたので」
「その、"入って良い"とも、"危害を加えない"とも言われて無いんだぜ?」
「大丈夫です。落とす気なら、今頃は下水の中です」
「それはそうだが、やはり裏が取れない事には――」
一向に動こうとしないインシュンに、困ってしまったファスだったが……どうやら、ファスがどうこう言うまでも無かったらしい。
不意に声が聞こえて来た。
「慎重、大胆、完璧――この三つが挙げられる一流の工作員。しかしその実態は、慎重さが際立つが故に常に仮定を幾つも考えており、それに対しての下準備が充当されているだけ」
聞こえて来たのは、インシュンの"分析結果"だった。
「――その為、予想外の事が起きた場合、それに対する手段を組み上げるまでに時間がかかる。また、弱みを握れば"駒"としての完成度が高く、技術に見合うだけの結果を出すだろう……あれ、わたしも危なかった?」
出て来たのは一人の女性だ。
見た目はフォンファに瓜二つ、違うのはその胸元くらいだろう。
首を傾げた女性は、端末を折り畳むと棒のような形状にして腰に付ける。以前来た時には無かったが、どうやら新しく作ったらしい。
「何らかの方法で、外に誘き出されていたかも知れませんね」
独り言であろう呟きに答えると、ユンファがふわっと笑った。
「それなら良かった」
笑顔を浮かべるユンファに、リーナが疑問を呟く。
「"良かった"ですか?」
「ええ、そうなの。だってファストなら"守って"くれる」
曇り一つない眼差しと、真っ直ぐな言葉に頷いた。
「勿論ですお嬢様」
その言葉に嬉しそうに頷くユンファだったが、思い出したように言った。
「あのね、ファストの主人について教えて欲しい」
その様子を見て、少しばかり意外に思った。
「正巳様の事ですか」
「そう、気になるの」
通常、ユンファが興味を示すのは新しい何か技術であって、人に興味を持つ事はそうある事ではない。唯一と言っても良いが、ファスの"冒険"を聞いて興味を持って来たくらいだ。
「そうですね、それは実際にお会いして貰うしかありませんが……理由を聞いても?」
ファスがそう言って促すと、ユンファが答えた。
「ファストがそこまで慕っている事も気になるし、ここに来たって事はフォンファ姉にも許可されたって事。そんな人を気にならない方がおかしい」
確かにユンファの言う通りかもしれない。
「分かりました、聞きたい事には答えましょう。その代わり、一緒について来て――外に出てくれますか? きっと、当分ここには戻れませんが……」
ファスの言葉にユンファが聞く。
「それは"冒険"?」
顎に手を当て首を傾げている。
「ええ、とびっきりの冒険です」
ファスの言葉に、ユンファは満足そうに頷いて言った。
「行く!」
ユンファの言葉にリーナが驚いた。
「ええっ、そんなあっさり?!」
「冒険は新しい発見をしに行く事、行かない理由がない」
何でもない様に答えたユンファに、何故だかリーナが慌てる。
「まだ状況すら説明して無いんだから、聞いてからでも良いんじゃない?」
面倒見の良いリーナの事だ。きっと、ユンファの妹オーラにやられ、いつの間にか心配する側に回っていたのだろう。そんなリーナにユンファが微笑んだ。
「多分、一番よく知っていると思う。
ゲノパルドは、私の他にも研究者を集めてた。超小型――マイクロ爆弾の製造と超小型化核爆弾、それに自動誘爆浮遊地雷の製造に踏み切る為に。
でも、結局は安定化が難しくて私が必要なんだと思う。
ゲノパルドは将軍を名乗っているけど、裏ではテロの請負とか臓器売買なんかをしていて、今一番の稼ぎは戦争の火種を作る"種火づくり"の仕事。他にも――……」
通常知り得ない"内部事情"をつらつらとしているが、途中で我に返ったインシュンが呻いた。
「ゲノパルド……そうか、あのくそ野郎はやっぱりクソの糞だったんだな。そんな奴に協力していた何て、俺もクソ野郎だな。それにしてもその情報の量、下手な情報屋を遥かに凌ぐんじゃないか?」
落ち込んでから話題を移す流れを見るに、ショックは小さいらしい。
(まぁこの程度でショックを受けていたら、今頃生き残っていませんね)
インシュンの言葉に頷きながら言う。
「私の情報屋ですので」
「「ええっ!」」
リーナも一緒に驚いているのに苦笑していると、数歩離れていたユンファが近づいて来た。
「マサミの事聞きたい。データに無い事」
名前を知っているのは、先程ここに来る道中に話したのが原因だろう。それに、この感じだとそれなりに調べているに違いない。興味津々という様子のユンファに頷いた。
「分かりました、何から知りたいですか?」
ファスとユンファの一問一答が始まった。
「朝は何食べる?」
「基本的には……フレークに牛乳を注いで、バナナがあれば一緒に食べる事が多いですね」
「寝る時はどっちに体を傾けるのが好き?」
「そうですね、正巳様の場合は右側を下にするのが楽なようですね」
「それじゃあ――」
その後、しばらく正巳の"個人情報"に関する質問が続いたが、その間リーナとインシュンの二人は階段の上で控えていた。
途中から"こんな事まで聞いて良いのか?"と思っての行動だったが、それは正巳にとっては幸いだったかも知れない。
――自分よりも自分に詳しい人は、二人も居れば十分だろうから。
◇◆
その後、しばらく経って再び下に降りた二人だったが、そこにユンファの姿は無かった。
「あれどうしたんだ?」
その姿を、奥の部屋――大型の機械が並ぶ中に見て聞いた。すると、そこに立っていたファスが事の成り行きを説明し始めた。
「正巳様の話をある程度した所で、『ちょっと待ってて』と言われまして。あれは、何かを作っているんだと思います。何かインスピレーションでも受けたのかも知れませんね」
「止める事は?」
「出来ません。ああなると、終わるのを待つしかありませんね。最悪我々はここで終わるまで待ち、グラハムには通信をして後日――と言う事も、視野に入れなければいけませんね」
「まじかよ」
「仕方ありません、待ちます」
「おい、まじか?」
「仕方ないでしょう?」
「いや、だって連れて来れば良いだけなのによぉ……」
「それじゃあ、貴方が行って来てくださいよ。"下水"に流されるの覚悟で」
「うへぇ、それはご免だぜ」
静かになったインシュンは、渋々ながら待つ事にしたらしかった。
「ヤバイ物じゃないと良いけどな……」
その呟きは、正解では無いが遠くも無い内容だった。
この後ユンファが持って来た物を知って、ちょっとした話し合いになるのだが、この時の三人はまだ出来上がるのが何かも知らなかった。
――作業中のモニターには、ユンファ自身の顔が映し出されていた。