67話 口頭契約
ファスが戻って来たのは、結局四十分ほど後だった。
どうやら、行きの道に"ほふく前進"が必要なコースがあった事から、戻るのでは無くそのまま一周して来たらしい。
ファスの見立て通り"肉離れ"で帰って来たリュウアンと、それを手当てするインシュンを横目にファスに声をかけた。
「お疲れ様、大変だったな」
「いえ、良い運動になりました」
ファスにとっては、軽い運動程度だったらしい。
水分補給に向かったファスを見送ると、そこで開いたドアへと目を向けた。そこに居たのはリーナだったが、何やら複雑な顔をしていた。
水を手渡しながら言う。
「お疲れ様、気分が悪そうだがどうした?」
正巳の言葉に、リーナがため息を吐きながら言う。
「私だって、これでも早い方なんですよ?」
「うん? あぁ、そうだな」
「そもそも、真夜中に月の光を頼りにしてて、昼間みたいに動けるはずないんです」
「まぁそりゃあそうだろうね、暗いし」
「そうなんですよ~、その筈なのに!」
どうやら、リーナが文句を言いたいのはファスに対してらしかった。水分補給した後で、ストレッチを始めたリーナは、尚もしばらく文句を言っていた。
「人間一人担いでいて、それなのに直線で抜いて行くとか、どんだけですかまったく。本当に人間なんですか。いえ、きっと人間じゃないんです、中には機械が詰まっているか宇宙人が入っていて……」
きっと、納得いかないのだろう。しかしその内容だけ聞くと、ファスがどれだけ凄いかを褒めている様にしか取れない。悔しいのは本当なのだろうが、きっと尊敬もしているのだろう。
「愛されてるな」
「お恥ずかしい所をお見せしました」
いつの間にか後ろに控えていたファスに言うと、どうやら、ついでに着替えて来たらしい。スーツ姿だったのが、珍しくポロシャツに布生地のズボンに変わっている。
何を着ても似合うと思うが、ファスが来ていると不思議と"良い物"のように思えて来る。
「その服良いな……」
自然に呟いた正巳だったが、それに対しての反応は早かった。
「少々お待ちください」
何処かへ引っ込んだかと思ったら、両手に上下揃った服を持って来た。
「こちら、正巳様のサイズに合うかと思いますので、宜しければご利用ください」
確認すると、確かに上下とも普段自分が買う服のサイズのモノだった。驚きながら礼を言うと、会釈をして「執事ですので」と返して来た。
幾ら"執事"でも、こんな周囲に何も無いようなところで"調達"は出来ない。恐らく、ある程度サイズの違う服の"セット"がストックされているのだろう。
ファスが"寝室に置いておきます"と言ったので、それに頷いた。
服の話題が出た為、その流れで周囲を見回すと、殆どが予めこの"保養所"に置かれていたであろう寝間着を着ていた。寝間着とは言っても、そのまま外に着て行けるような実用的なものだ。
ただ、一部"子供"の服だけは着替えが無かったようで、長い上着をそのまま浴衣の様にしている。それら様子を見ながら、子供達やインシュン達の昼来ていた服装を思い出していた。
「ふむ、案外"足らない物"も多そうだな……」
聞いたところ、水は水源があるらしく問題ない。食料に関しても、非常用の物がストックしてある。ただし、一定期間分しかなく、余程長期となれば現地調達が必要になる。
リュウアンも落ち着いたみたいだったので、ファスが戻って来た処で話し合いをする事にした。
肉離れした足を、労わるように伸ばすリュウアンを見ながら口を開いた。
「これで取り敢えず予定は決まったな」
正巳がそう言うと、ムッとした様子でリュウアンが目を向けて来る。その様子に(元気が良い事で)と苦笑しながら、続けた。
「明日ユンファを迎えに行き、その後で三人――ファス、インシュン、ユンファで人質になっている女性を助け出して来る。その間、他のメンバーは皆がこの"保養所"で待つ。これで問題ないな?」
正巳の言葉にそれぞれ頷いている。リュウアンは渋々と言う様子だが、他のメンバー、とりわけインシュンは(表に出さないながらも)嬉しそうだった。
その様子を見ていると、ファスが耳打ちして来た。
「正巳様、ここで契約を結ぶ事をお勧めしますが……」
ファスの耳打ちに、どうしようかと思ったがアドバイスに従う事にした。こう言った状況に慣れているのは間違いなくファスなのだ、様々な経験の上にある言葉に違いない。
頷いた正巳は、インシュンを中心に、そこに居るメンバー全員へと言った。
「俺達は、君達の"大切な人"を奪い返す事、それに協力する。協力期間中は間違いなく仲間だし、その間に仲間の誰かに危害が加わりそうになれば、必ず助け合おう」
そこで言葉を止めた正巳だったが、そこから後はファスが受け継いだ。
「正巳様は優しい為このように言われていますが、これは"口頭契約"として間違いなく交わされる契約です。仮に破られるような事があれば、その際は相応の対価を支払う事になりますので、お忘れなきよう。同意される方は拍手を、意義のある方は名乗り出て下さい」
ファスの言葉を聞いていた正巳は、ファスの厳しい姿勢を感じたが、考えてみれば一度"攫われて"いるのだ。少し打ち解けたからと言って、その辺りを有耶無耶にするのは違うかも知れない。
改めて、ファスが居て良かったと思った正巳だったが、拍手する周囲の視線を受けて(あれ、もしかして俺だけ意義があるように思われてる?)と苦笑した。
慌てて拍手の形を取った正巳は、「よろしく頼むよ」と言って拍手した。正巳の言葉とひときわ大きな拍手音に、それ迄何でもない顔をしていた面々に緊張が走った。
――これは、単に恥ずかしさを紛らわす為に強く叩いただけだったのだが……そんな事、正巳以外知る由も無い事だった。
何となく、最後の"気合い入れ"をしてしまった感があったが、気のせいだと思う事にした。その後、足らなそうな物の"買い足し"の話をしようとした正巳だったが、思わぬ邪魔が入った。
「くぅ~~」
「お腹すいたね!」
立ち上がって、お腹をさすっているのはシュアンだった。その様子に思わず頬を緩めた正巳は、ファスと視線を合わせて言った。
「そうだな、先に夕食にするか!」
「するー!」
元気に手を上げたシュアンに続いて、インシュンや他のメンバーも立ち上がった。
「よっしゃ、俺も手伝うぜ」
「あっ、頭はつまみ食いするからダメです!」
「そうなの、ダメ!」
「え~なんでだよ、少しくらい良いだろ~」
賑やかなインシュン達に、ゆったりと腰を上げたグラハムが言った。
「よし、今日はわしの当番だからな、手伝ってもらおうか!」
賑やかな面々を見送った正巳は、その中に赤面した少女が含まれている事を確認した。その少女は、シュアンの手を握ってはにかんでいた。
てっきり、シュアンのお腹が鳴ったのかと思ったが……恐らく、シュアンはあの少女の為に、まるで自分のお腹が鳴ったかのように振る舞ったのだろう。
グラハムの料理教室へと向かう姿を見送った正巳は、少しだけ優しい気持ちになれた。