59話 パイロット
ヘリコプターで移動して来ていた正巳は、ファスの案内するままにVIPラウンジでのチェックインを済ませていた。
ファスの話によると、今回は通常の旅客機ではなく、長距離を航行できるタイプの小型機を"貸し切り"するらしい。
当然の事ではあるが、これ迄の人生の中で貸し切りで飛行機に乗る機会などなかった。その結果、飛行機を貸し切りで乗れると聞いてそれはもう、異次元のわくわくで――
「……正巳様、楽しそうですね」
ファスに苦笑されるくらいに、分かり易く興奮していた。
「だって、貸し切りだぞ!? こんな事なら、ヒトミや皆も連れて来ればよかったなぁー!」
興奮する正巳にファスは「……そうですね」と、いまいちな反応をする。その様子に少しずつ冷静になって来た正巳は、振り返って若干頬が熱くなった。
「ほら、従業員の子達もみんな頑張ってくれているし、雇い主としては社員旅行みたいのがあっても良いと思うんだよね……。それに、みんなで旅行すれば更に、こう結束がさ?」
苦し紛れの正巳の言い分にも、「そうですね」と言ったファスに心の中で(やめてくれーもうこっちを見るなー!)と叫んでいた。
その視線に耐え切れず、「お手洗いに行ってくる」と席を立った。
その後、便所で頭を冷やしていた正巳だったが、出た処で待っていたファスから準備が出来た事を知らされた。もう落ち着いたのだ、二度も同じ事は繰り返さないだろう。
「ご案内します」
「ああ、頼む……」
どうやら、離着陸時は半自動操縦で、航行中は完全に自動操縦らしい。
前もって、専属の操縦士が付くと聞いていた正巳は、てっきり全て操縦士に任せるのかと思った。
しかし、どうやら離陸の操作はファスが行うらしかった。その事を不思議に思った正巳だったが、理由を聞くと「何かあった際も問題無く操縦できるよう"確認"しておく」為、らしかった。
ファスが出張る必要など、無いに越した事はないのだが……
「こちらになります」
そう言った先に見えたのは、想像した以上に大きな機体だった。
「これか!」
「はい、こちらになります」
何となく、セスナ機など十名弱が乗れるようなモノを想像していたのだが……この様子だと、軽く百名以上乗り込めると思う。
どこら辺が"小型"なのかよく分からないが、区分では小さい分類らしい。
既に降ろされていたタラップを上がると、左側に区切られた部屋があり、右側にずらりと客席が並んでいた。恐らく、左に進むと操縦室があるのだろう。
「それじゃあ、早速出ようか!」
「はい、それでは……」
一番手前の席に座った正巳だったが、どうやらファスは予め"出発準備"をしていた整備士に、確認を取っているみたいだった。
空港に着いた時に紹介して貰ったが、ファスと話している整備士は"ジョン"だ。
もう一人女性の整備士が居るが、その女性の名前は"リーナ"と言い、肝心の操縦士は"グラハム"と言うらしい。
ジョンは体の大きな青年だが、グラハムの方は五十近いダンディな男だった。因みに、イリーナの第一印象は作業着が"ハレンチ"だったが……まぁ、その理由は取り敢えずは良いだろう。
「燃料は?」
「一往復と片道分は十分に」
「整備道具は?」
「給仕室と倉庫に」
「非常時の脱出ポッドは?」
「予備も含めて十分に」
「注文していた道具は?」
「操縦室に」
「……いいでしょう。席に着いて下さい」
「了解しました」
正巳に軽く礼をして奥に向かったのを見送ると、そこに最終確認を終えた二人目の整備士"リーナ"が戻って来た。
「最終確認終わりました!」
「了解しました。後方で待機して下さい」
ファスに頷いたリーナは、正巳と目が合うと軽くウィンクをして下がって行った。随分とナチュラルに絡んでくるが、変に畏まられるよりはありがたかったりする。
「お待たせしました。それでは出発しますが……」
そう言って、何を思ったのかこちらを見て微笑んだ。
「もし宜しければ、正巳様も操縦室に座りますか?」
「つっ――、いいのか?!」
思わずテンションを上げた正巳に、ファスが頷く。
「ええ、操縦席は二つありますから……。それに、ボタンやスイッチなんかがありますが、それらに触れて頂かなければ特に問題はありません」
ファスの言葉に当然「座る!」と答えた正巳は、後ろ手に閉まるドアを見送ると、案内されて操縦室へと入って行った。
途中、施錠できる休憩室を通ると、操縦室があった。操縦室には既にグラハムが座っていたが、こちらに目を向けると、状況を察したのか席を譲ってくれた。
席に座ると、目の前のモニターやら計器やらボタンやらに目が行った。
「……これは、いいものだ」
語彙力を無くてしばらくきょろきょろとしていたが、隣の機長の席に着いたファスが言った。
「シートベルトをお願いします」
「了解」
その後、隣で最終準備を済ませていたファスが言った。
「それでは、発進のスロットルを入れますので、正巳様もお願いします」
「……ここに手を置けば良いのか?」
ハンドルの様なものに手を置いた正巳に、ファスが頷くと続けた。
「それでは、先ず一段階入れます」
「……」
言われるままスロットルを入れると、機体が動き出すのを感じた。
「直線に入りましたら、段階的に更に倒してください」
「……分かった」
その後、ファスの言う通りに操作した正巳は、機体が浮き始めたのを感じてほっと息を吐いた。
「これは、中々神経を使う作業だな」
たかが、スロットル――車で言うアクセルを入れただけで、この疲れなのだ。それこそ、一人で全ての操縦をするのが、どれだけ大変なのかが良く分かる。
正巳の考えを察したのか、ファスが苦笑する。
「初めは緊張こそしますが、後は間違わぬように手順を行うだけです。それに、飛び立ってしまえば、基本的には設定された目的の座標まで飛んでくれますから」
謙遜だとは思ったが、その後ろにあった三つ目の席に座ったグラハムが言った。
「ハハハ、確かにその通りですな。技術が進むにつれ、我々はどんどん不要になって来るんですよ。なぁに、その方が良いに決まってるんです!」
聞くところによると、どうやら以前の職場は高性能ドローンの登場で、首になったらしい。それにも関わらず、"その方が良い"と言えるのは、純粋に器が大きいのだろう。
「ここからは、自動操縦ですので……」
ファスの言葉に頷いた正巳は、操縦室に残ると言うグラハムに後を任せ、客席へと戻る事にした。
操縦室を出る際、グラハムから「旦那の主人……正巳様だったか?――が望むなら、操縦を教えてやるぞ」と言われ、その眼に映った情熱に思わず頷きそうになった。
しかし、結局ファスの「必要であれば私がしますので~」と言う言葉で、渋々「また今度頼む」と返すと、適度に休憩して貰うように言って退室した。
(……ちょっとしたお使いの筈だがな)
グラハムと言い、これだけ大きな機体を二人で整備するジョンと言いリーナと言い、優秀である事は間違いない。そんな三人をわざわざ雇ってまで、貸し切りの小型機で迎えに行くと言う事に、正巳は少し違和感を感じて呟いた。
「おつかいにしては、少し大事過ぎる気もするが……」
呟きに疑問を乗せていた正巳だったが、答えが出る筈も無く結局は、妹想いのフォンファを思い出して納得する事にした。
「まぁ、これもフォンファの妹の為だしな」
無理やり納得する事にした正巳だったが、微妙な顔をしたファスに気が付く事は無かった。
◇◆
――そう。これがファスにして"警戒"に値する内容であり、その為"専属のプロ"を動かす事態になっている。そんな事など、正巳が知る筈の無い事だった。
原因は全て迎えに行くフォンファ妹にあったが、妹に替えがいない以上仕方ない事だ。
何にしても、ファスとしては正巳が"危険"を感じる事なく、フォンファの妹――ユンファを連れ帰る事。これこそが最優先事項だった。
とは言っても、危険を感じないと言うのは百点満点中であれば、百二十点のプラスアルファだ。当然、百点以上であれば文句なしだが、無理してでも狙いモノではない。
(……状況によっては頼みましょうか)
正巳の意識を逸らす為に"刺激"が必要になった時には、丁度良いかも知れない――そう考えたファスは、少し真剣にグラハムへの"依頼"を考えてみた。
(しかし、グラハムは徹底していますからね……)
実は、ファスの操縦の師はこのグラハムだったのだが――厳しく、徹底しているグラハムに教われば、他の事など考える余裕が無くなる――これだけは確かだった。
「……保留ですね」
この時のファスには、自分の主を辛いと分かっている中に、敢えて飛び込ませる事は出来なかった。ファスの呟きに、雇い主にして主が不思議そうに振り返った。
「ん?」
その顔を見て微笑むと言った。
「お飲み物は何が宜しいですか?」
【新しい登場人物】
・グラハム:元高高度偵察機の操縦士。
・ジョン:元海兵隊兵士。
・リーナ:元空軍所属の整備士。
(現在はファスが個人的に雇っている)