58話 迎えに行って
目が覚めると、そこは寝室だった。
昨日は一階のソファで横になった記憶があるが……どうやら、寝ている間に二階のベッドへと移動されていたらしい。天井を見て不思議に思い、手触りでベッドを確認し、横を見て驚いた。
「なんでヒトミが一緒に寝てるんだ? それに、ヒノキまで……」
ヒトミは正に"爆睡"と言う様子だが、ヒノキはその隣で"深睡"と言う様子だ。二人とも起きる気配が無いのを確認して逆を向くと、視線と当たった。
「……それで、フォンファはなんでここに寝ているんだ?」
こちらを見て微笑んでくるが、それには反応しない。
「あぁん、そんな今更じゃないかぁ。あんな事やこんな事をしたの――っと、冗談だよ冗談、冗談だから落とそうとしないでくれよ~ッ!」
必死にしがみついて来るフォンファにため息を吐くと、乗り越える形で立ち上がった。
「それで、どうしてここに寝てるんだ?」
寝泊まりする場所は、別に用意していた筈だ。それに、もしそこまで行くのが面倒だったとしても、わざわざ同じベッドに寝る必要も無いだろう……。
再度同じ質問をした正巳だったが、そこにノックして来た人がいた。ノックすると言う事は、この中の状況が分かっている筈だし、この状況を作り出した協力者でもあるだろう。
「開いてるよ」
「失礼します」
入って来たのはファスだったが、その手には何か手帳の様なモノを持っていた。
「ファス、これは一体どういう……まぁそれは良いか、それよりその荷物は?」
ファスに問いただそうかとも思ったが、そんな事より遥かに重要度の高い事があった。荷物を見るに、出かけるのだろうか……もしそうなら、何か重要度の高い問題が起きたと言う事だ。
ファスの様子に身構えた正巳だったが、用意された荷物がまさか正巳のモノだとは思いもしなかった。一礼したファスは、丁寧な口調で言った。
「こちらは、正巳様の荷物となります。こちらにはパスポートもありますが――」
説明を続けようとするファスに、ストップをかける。
「いや、それが俺の? 俺が出かける? なんで?」
疑問符の正巳に、ファスが言った。
「そうですね、それは私からよりも、本人から説明した方が宜しいかと思いますので」
そう言ったファスの視線を追うと、ベッドの上に居たフォンファが頷いた。
「うん。実はね、僕の妹を迎えに行ってほしいんだ」
フォンファの言葉に、首を傾げる。
「妹と言うと、ヒトミに似ているって言う?」
昨日聞いた話を思い出しながら聞くと、頷いて続ける。
「そう、その僕の妹を迎えに行ってほしいんだ。元々、仕事を受けるとなったら、向こうに置いておくわけには行かなかったしね」
……どうやら、初めから考えていた事だったらしい。
「それは構わないけど、一人で来れない理由が?」
不思議に思った正巳だったが、フォンファの言葉に納得した。
「そうなんだ。実は、妹はまだ未成年でね……今年18歳になるんだ」
なるほど、確かに未成年であれば迎えが必要かもしれない。何となく、ファスのフォンファへの視線に厳しいものがある気がしたが気のせいだろう。
「分かった行ってくるよ。それで、肝心の行き先は何処になるんだ?」
フォンファの言葉に頷いた正巳は、ファスからパスポートを受け取ると、行き先を聞いていた。
「……なるほど、今は中国に居る訳か。それなら二、三日で帰って来れそうだな」
ファスと話していた正巳だったが途中、何処か余裕のない様子でフォンファが言った。
「妹の事なんだけどね、」
「どうした?」
お気楽な様子が引いたフォンファに、どうしたのかと思いながらも聞く。
「妹は、狙われててね。本当だったら一緒に雇用かとも思ったんだけど、安全の為に残して来ていたんだ。ただ、ずっと向こうに居てもいずれ見つかるだろうから、連れて来なくちゃいけないんだ」
真面目に言うフォンファの様子に、なるほどと思った。
「そうだよな、心配だよな……分かった。責任もって連れて来るよ。大丈夫、誰にも――男は近くに寄らせないし、俺だって勿論手を出さないって誓うよ!」
そう胸を張って言った正巳だったが、フォンファは微妙な顔をしていた。どうしてそんな顔をしているのか、そう聞こうとしたが――
「ほら、安心しなさい。正巳様が"引き受けられた"のだ。私達も精一杯その意に応えるさ」
そうファスが言うと、それ迄微妙な顔をしていたフォンファの顔の曇りが、一瞬にして晴れた。何となく釈然としない正巳だったが、(これも付き合いの長さの違いだろうな)と思う事にした。
その後、フォンファに抱き着かれて起きたヒトミと、その余波で床に落ちたヒノキが目を覚ましたので、着替えて朝食をとる事にした。
ファスに確認したところ、今回フォンファ妹を迎えに行くのは、正巳とファスの二人でらしかった。理由は聞かなかったが、恐らく"迎えに行く"という言わば"おつかい"の様な事なので、それ程大所帯である必要も無いのだろう。
初め、ヒトミは「自分も行く」と駄々をこねていたが、フォンファの説得と正巳の「コンビニのシフトはどうするんだ?」と言う言葉に泣く泣く諦めたらしかった。
若干、フォンファがヒトミを止めるのが"必死過ぎる"気もしたが、きっと気のせいだろう。恐らく、妹に似たヒトミを離したくないに違いない。
「それじゃあ頂きますか!」
食卓に着いた正巳は、そこに座った面々と朝食をとった。
博士も迎えに行ったのだが、どうやら再び研究に没頭していたらしい。声を掛けても反応が無かったので、後でプレートに乗せて運んでおく事にした。
その後、朝食を摂り終わって寛いでいると、バリバリとヘリコプターの近づく音がして来た。すっかり慣れてしまったが、どうやら空港まではヘリで向かうらしかった。
「よしよし、お前は慣れないな~」
ヘリの音にびっくりして飛びついて来たにゃん太を、撫でながら落ち着かせると言った。
「それじゃあ、少しだけ行ってくるよ。いない間に工事が始まると思うけど、こっちは皆に任せるね……ヒトミ、俺がいないからって卵ばっかり食べてると、太るからな!」
卵大好きで、正巳から"卵制限令"を出されていたヒトミは、ビクッとするも誤魔化すようににゃん太を受け取った。そして、正巳を指すと言った。
「見ててください! 帰ってくるまでにもっと綺麗になって、驚かせますから~!」
「ははは、二、三日ではそんなに変わらないと思うぞ」
笑う正巳にヒトミが言う。
「それじゃあ、一年くらい帰って来なくて良いですー!」
そう言って、頭突きを食らわせて来るヒトミを交わすと、ヒノキとフォンファに言った。
「二人を信じて任せるから、進められるところまで進めててくれ。俺も帰ったら手伝うから」
「そうですね、色々変更点は出てきていますが……分かりました、任せて下さい!」
「僕とヒノキ姉にかかれば、その辺りは直ぐさ!」
心強い二人に頷くと、荷物を積み込んでいたファスが戻ってきて言った。
「正巳様、用意が整いました」
ファスに分かったと頷いた正巳は、玄関を出た。そして、いざヘリに乗り込もうかと言う時、駆けよって来たフォンファが言った。
「妹を頼むね、正巳兄!」
何か言おうとしたが、再び回転を始めた羽の音で声は届かなかった。仕方なく頷くだけにしておいた正巳は、ヘリへと乗り込むと扉を閉めた。
その後、段々と羽の回転速度が上昇して行き、ファスの離陸の合図と共に飛び立っていた。
◇◆
上昇して行く機体を見上げていたフォンファは、先程正巳が言った言葉を思い出して口元を緩めていた。それは、これ迄妹以外に感じた事のない気持ちだった。
「なんだよ、"任せておけ"って……」
その言葉は、これ迄何度も雇った"護衛"に言われて来た言葉だったが、今回掛けられた時感じたのはまるで別物であるかのような感覚だった。
少しの間その理由について考えていたフォンファだったが、その理由に思い当って頬を緩ませた。
「そうかぁ、これが"安心"なのか……」
これ迄、雇った護衛から数えきれない程裏切られて来た。その為、護衛や依頼相手からの言葉はどれも、いづれ摂り捨てられる"被膜"の様な物でしかなかったのだ。
ファスを始めとした執事に依頼した際は別ではあったが、それも"金"での依頼に成り立ったものだ。他の護衛が金で裏切る中、決して契約を反故にしないファス達は、それで信用に足る相手ではあったが、それでも常に"金"と言う中間材の存在は、心の距離を縮めるには大きかったのだ。
自分が頼んでも"金"を要求しないひと。それでいて、こちらの事を常に心配し、他人の為に"命"と等価である"金"を使えるひと。善意で出来ているようであっても、何処か過去との葛藤を感じるひと。
これで騙されているなら、もうそれはどうしようもないだろう――そう結論付けたフォンファは、隣で空を見上げているもう一人の"妹"の手を取った。
「戻ろうか!」
最後にもう一度空を見上げたヒトミが、小さく頷いたのを確認すると、二人で一緒に部屋の中へと戻って行った。