57話 梅酔いの夜月
車屋が傘下に入ったその日、話を終えて帰ると夕方になっていた。
家に着くと、どうやらフォンファを中心に建築家としてのヒノキ、コンビニ従業員としてのヒトミ、それに非番の従業員等で話をしていたらしい。
白熱している話に水を差さないようにしながら、そこに姿の無かった博士の元へと向かった。博士は、既に"研究室"と化していた地下室で、相変わらず研究をしていた。
特別、博士に気を使った訳では無かったが、余程集中していたらしい。まったく気が付く素振りが無かったので、持って来た差し入れを入り口に置いておいた。
真剣に研究に没頭する姿は、本当に"研究者"みたいだった。
……いや、本当に研究者で博士なんだけれど、ね。
そんなこんなして、其々何かに夢中になっているのを確認した正巳は、二階の自室に行くとそこに置いていた"ミニ冷蔵庫"から梅酒を取り出した。
このミニ冷蔵庫は机の引き出しに入るサイズで、会社関係の書類を処分した後に買ったものだ。
「さて、ファス達が帰るまで飲むか……」
久しぶりの一人だったが、普段付きっ切りのファスは、ミヤと共に「車屋の件で処理してきます」と一度離れていた。どうやら、早速借金のカタを付けて来るらしい。
直ぐに戻るとは言っていたが、そんなに直ぐと言う訳にも行くまい。
新しく置いていた壁収納の一つから"燻製肉"を取り出すと、丸テーブルを持ち出した。そして、それを引っ張って行くと窓際に寄せ、窓を開けた。
「今夜は満月か……」
雲の合間に覗く月を見て呟くと、注いだ梅酒をちびっと口に含む。
口当たりは"濃い"が、次第に旨味が解放されて行き、体の芯に染みる。
「旨いなぁ……」
以前は氷で割っていたが、面倒なのもあって今ではストレートで飲んでいる。度数がきついため量は飲まないが、余韻で楽しんでいる。
続けて、持って来た燻製肉を小刀でささ身状に削ぐと、口に入れた。
「さてこちらは……うん、美味いなぁ」
燻製された肉独特の濃さが、口の中で溢れ出している。
「これは、酒がススム……!」
その後、月を眺めながら燻製肉をはんでいた。
残り半分ほどとなった燻製肉を――もう一口、と口にしたところで階段を上がってくる気配があった。てっきりファスが帰って来たかと思ったが、どうやらそういう訳では無かったらしい。
その人物は、近づいて来ると隣に座った。
「一口貰っても良いかい?」
「それなら、もう一つグラスを――」
そう言って立ち上がろうとした正巳に、首を振って言う。
「いや、それで良いよ」
「これは俺が口を付けて……」
嫌なんじゃないかと思ったが、どうやら気にしないたちらしい。
「ふわぁ~これはまぁ随分と濃いねぇ~」
「割っていませんからね……」
ごくりと飲み干したフォンファに苦笑した正巳だったが、先程迄の事を思い出して言った。
「話は終わったんですか?」
あれ程盛り上がっていたのだ、途中で抜け出して来るとは考えにくいが――
「うん、一通りね……」
「何か気になる事でも?」
何処か考え込む様子なので聞いてみると、頷いてこちらを見つめて来る。
「あの、何か?」
その眼には、何か理解できないモノを見るような色があった。
「ふむ……いや、車屋を"助けた"って話を聞いたけど、君が目指すのはいったい何処なんだい? そんなに他人の為に何かしても、大してメリットがあるようにも思えないんだけどね」
その言葉に苦笑する。
確かに、フォンファから見たら理解できない事を通り越し、怪しさしかないだろう。それもその筈だ。何故なら、正巳がしているのは単なる――
「はは、そうですね……まぁ好きな事をしているだけですからね」
そう、何か裏があってしているのではないのだ。
単純に、"そうしたい"からしているだけ、そもそもコンビニを始めた理由だって"不便だったから"に過ぎない。それから先は、全てしたいようにしているだけだ。
……まぁ一部、成り行き任せという部分も否定できないが。
正巳の言葉を聞いたフォンファは、目を閉じて数秒すると、正巳の持っていたグラスを手にした。そして、その中に注いだばかりの梅酒を煽ると言った。
「決めた!」
「何をですか?」
グラスを掲げて言うフォンファに聞くと、笑顔を浮かべながら言った。
「君に乗る事にした!」
その言葉の意味はよく分からなかったが、どうやら陰に隠れてこちらの様子を伺っていた者がいたらしい。フォンファの言葉に反応して出て来た。
「やったーお祝いです!」
能天気な声と共に出て来ると、フォンファに抱き着いている。
「ヒトミ、お前盗み聞きしてたのか……それにヒノキにミヤ、ファスお前まで……」
どうやら、ファスとミヤもとっくに帰っていて、こちらの様子を伺っていたらしい。のぞき見とはとても褒められた事では無いのだが、これまたどうした事か……
ため息を吐いた正巳だったが、ファスの謝罪と提案に苦笑した。
「正巳様、申し訳ありません。そのお詫びとして、皆で用意した食事でも如何でしょうか」
どうやら、一階に食事が用意されているらしい。
状況から考えて、フォンファが仕事仲間に加わった"歓迎会"なのだろうが、家でやると言うのもアットホームな雰囲気で良いのかも知れない。
「まったく、フォンファが"車屋"の話を聞いたって言った時、少し変だとは思ったんだけどな……まぁ、お祝いだしな良いか!」
どうせだったら車屋も呼ぼうかとも思ったが、あの男の事だ、こんな風に祝うより工場内で一杯交わす方が余程楽しいだろう。
車屋に今度遊びに行く事に決めた正巳は、ふと目に入って来た光景に口を開いた。
「ヒトミ、それは俺のグラスだぞ?」
「えっ、いや知ってますよ?」
両手で、先程迄フォンファが持っていたグラスを持ち、若干残っていた梅酒を舐めている。
「それじゃあ、そのグラスはこちらに――」
手を伸ばすが、どうやらヒトミは渡す気が無いらしい。
「ダメです~二人だけなんて許せません~!」
よく分からない事を口走りながら逃げて行く様子に、仕方ないな……とため息を吐きながら、こちらの様子をニヤニヤ見ている一同に、言った。
「ほら、用意してくれたんだろう? さっさと降りて食べようか」
その後、正巳の後を追うその視線に眉をしかめながらも、豪華な夕食に舌鼓を打った。豪華な、とは言ってもどれもこれも、コンビニの期限間近なものの詰め合わせだったが……
夕食は大いに盛り上がってはいたが、時々何処か寂しげな顔をするフォンファは、どうやら妹がここに居ない事が心残りだったらしい。
そんなフォンファとゆっくり酒を交わしていたが……またまた途中でヒトミが入って来て、今度は三人で交代に酌をすると言う状況になっていた。
ふわふわとした意識の中、段々と薄らいでいく中、かすかに話し声を聞いた気がした。
「あのままあそこに居ても、奴らが見つけるのは時間の問題だろうし……信じる価値がありそうだけど、やっぱり信じ切るならそれなりの根拠が欲しいね。……それで、ファーストとデスクに話があるんだけど、正巳にいに妹の――……」
その後、再び揺らいで行く視界と共に、意識が遠のいて行くのを感じた。