48話 交渉 [前半]
正巳のサインが入った肖像画を受け取った博士は、しばらくうっとりと眺めていたが、そこに正巳達がいる事を思い出したらしかった。
慎重に絵画を置くと向き直り、口を開く。
「まさか、こんなサプライズがあるとは思わなかったわ。もしかして、貴方……」
言葉を切ると、心なしか気を使った様子で続ける。
「貴方、いつも自画像を配っているのかしら? 私は嬉しいけど、それは流石に――」
「いやいや、いやいやいやいや! ないない無いですよ!」
慌てて否定した正巳だったが、博士の楽しそうな顔を見て気が付いた。
「……それ、持って帰りますよ?」
「あぁ~ん。嘘よ、ウソ!」
絵を正巳から守るようにしている。
「はぁ……」
はしゃいでいる博士にため息を吐いた正巳は、さっさと仕舞って貰って本題に入る事にした。
――5分後。
護衛に保管してくるように言った博士と、ようやく交渉の場に立っていた。
「さて、本題ですね。私に薬品を売って欲しいのですが――ファス」
詳しい事はファスに振るようにと言われていたので、その通りにした。すると、正巳の言葉に頷いたファスが説明を始める。
「はい。私共が必要としているのは、新薬"VV-1"通称"ダブル"と呼ばれている薬品です。御社が研究し、新薬登録を行ったかと思います。今回は、少なくともこの薬品が効力を発揮する分量を――」
うむ、流石ファスだ。必要な事を織り込んで話してくれている。
「――と言う事で、こちらにはそれを購入するだけの資金の用意もあります」
話し終えたファスが、確認する様に顔を向けて来るので頷いた。
「そういう事なんですが、いかがでしょうか?」
少し考えこんでいた博士だったが、頷くと言った。
「分かったわ。ただし、こちらにも条件があるわ」
「何でしょうか?」
どんな条件が付くかと思った正巳だったが、博士の口から出たのは想定内の内容だった。
口元を絞るようにした博士が言う。
「少なくとも、50ロットからじゃないと売れないわ」
「ええ、良いですよ?」
「違うのよ、生産の大い薬品じゃないから単価が高いの」
「ええ、問題ありませんが」
何でもないと答える正巳に、博士が言った。
「分かっていないみたいだけど、一つ十二万円なのよ!」
「ふむ、十二万が50ロットで600万円か……」
……確かに、個人的に使用する医薬品としては高い。
しかし、先程から重ねている通り"想定内"だ。
「そうなのよ、おいそれと個人で出せる金額じゃないでしょ?」
残念そうに眉をすくめる博士だが、正巳にとっては自分がどう見えているかを知れて安心していた。と言うのも、これがもし"成金"とか"金持ち"なんかに見えていたら、それはそれで問題だと思っていたのだ。
変な目立ち方をしたくないと言うのもあったが、いつの間にか自分の性格が変わっていたら嫌だった。それに、金持ちに見られて通常より多く請求されたりするのも嫌だ。
思わぬところで得たものがあったが、ドーソン博士が残念そうにしているので、慌てて言った。
「あぁ、その位なら大丈夫ですよ。それに……そうですね、100%博士の持ち株会社と言う事でしたが、もし良ければ出資させて下さい」
正巳の申し出に、ドーソン博士が驚いているのが分かる。
「えっ、いえ、でも……そうね、ええ……」
コロコロと表情を変える博士に苦笑しながら補足する。
「返事は後で構いませんから。それと、今日幾らか持って帰りたいのですが、大丈夫ですか?」
「えっ? あぁ、そうね……分かったわ」
未だに混乱しているようだったが、正巳の言葉に取り敢えずは頷いていた。
◇◆
その後、ファスを通して支払いを済ませた正巳に、あきれた様子の博士が言った。
「貴方、それだけ資産があるのに、なんで車なんかで来たのよ。勘違いしたじゃない」
博士の意味が良く分からなかったが、よくよく聞いてみると、近くに小さいながらも空港があると言う話だった。
それにも関わらず、時間のかかる車での移動をして来た事から、お金は無いがどうにか交渉しに来たバイヤーだと思ったらしい。
「ははは、それは何とも……」
わざわざ車両を用意したのも、その車両で長旅をする事になったのも、全てファスが手配した事なのだ。ここで問い詰める事は出来ないながらも、苦笑でヒクつく。
苦笑する正巳に博士が言う。
「全く、してやられたわよ。本当ならもう少し吹っ掛けるのに!」
博士のぶっちゃけた言葉に吹き出しそうになるも、そこでファスの意図が分かった。
どうやら、わざわざ車両で移動したのは、全て交渉の為の"下準備"だったらしい。それを前もって言わなかった理由も気になるが……恐らく、より"リアリティ"を出す為。
――つまり、敵を騙すにはまず味方からと言う事だろう。
その後、博士に本当だったら幾らの値を付けたのかと聞くと、しれっとした顔で「一つ三十万円ね」と言った。流石に冗談だろうとは思ったが、ファスの真剣な顔を見た正巳は、心の中で呟いた。
(いい仕事したな)
その後、運ばれてきた薬品を受け取った正巳は、車両へと歩き出していた。
薬品は、四つほどジュラルミンケースに入れて受け取った。残りは、後ほど送ると言う事だったが、その際に出資含めた返答を貰うと言う事になった。
◇◆
「それでね、わたし髪は艶が命だと思うのよ」
「ええ、そうですね……」
「そうなのよ。それでなんだけど、私の髪なんかはどうかしら?」
「ええ、良いと思います」
……隣を歩いているのはドーソン博士だが、その手にはジュラルミンケースがある。
実は、先程挨拶をして帰ろうとしたのだが、どうしても"運びたい"と言うので、車両までお願いしていたのだ。巨漢に隣でケース持ちをさせていると、何となく従者が増えた様な気分になって来る。
「もう大丈夫ですよ、あれがそうですから」
車両が見えて来たのでそう言った正巳だったが、顔を向けた博士が表情を変えていた。
それ迄は柔らかい表情をしていたのに、今では鬼の形相になっている。
「……案内されたはずよね?」
「ええ、警備の方に」
「あれだけ狭い所に停めたの?」
「運転手の腕が良かったので」
「……ほかに停められる場所があるのに?」
「まぁ、案内されましたので」
「そう、分かったわ……」
静かに答えた博士だったが、それ以上何も言わなかったので、再び歩き始めた。少し遠かった車両だったが、近づくに連れて何だか様子がおかしい事に気が付いた。
その理由は直ぐに分かったが――
「おい、何しているんだ?」
近くまで行くと、車両の前にヒトミとミヤが立っていた。正巳の言葉に――何か余程切羽詰まっていたのだろう――ヒトミは泣き出し、ミヤは頭を下げて謝った。
「すみません、あの後男が来て……」
声を上ずらせるミヤを落ち着かせた正巳は、簡単に話を聞くと状況を振り返った。
これは、自分を落ち着かせる意味もあったが、ここにいる全員――とりわけドーソン博士に現状の理解を促す為でもあった。
「つまり、警備の男が仲間を連れて帰って来て、車内の物色を始めたと。それにヒトミが食付いて、ミヤが庇ったんだな……ミヤは取り敢えず頬を冷やして貰ってこい」
頬を赤く腫らしたミヤに言うも、首を縦に振らない。
「いえ、その権利はありません。扉を開いてしまった私に問題があるので――」
口元をギュッとつぐむと、テコでも動かないと言う意思を見せる。
「……分かった。でも、それだと危険だからな。取り敢えず――」
「危ないっ!」
動こうとしないミヤの手を引いた正巳だったが、ファスが飛び出した。
何かと思った正巳だったが、直後、乾いた銃声と何かが近くを過ぎる音が聞こえた。
「伏せていて下さい!」
ファスの言葉に、咄嗟にミヤとヒトミに覆いかぶさる。
「くっ、どうなってるんだ!」
「ぐずっ、余計な事を話したらごろずって」
ヒトミが涙を浮かべながら言うが、どうやら何処かに見張りがいたらしい。
「正巳様、わたしもファスと――」
「今は駄目だ」
這い出ようとするミヤを止める。そもそも、初めの時点で制圧できなかった今、ミヤが出ていくのは危険が増すだけだろう。それであれば、全てをファスに任せる方が良い。
「大丈夫だ。ファスは、常に一番だったんだろ?」
ミヤの力が抜けるのを感じる。
……やはり、絶対の信頼を置いているらしい。
その後、ゆっくりと別の物陰に移動した正巳達だったが、言葉をなくして口をパクパクとさせているドーソン博士に話しかけた。
「恐らく博士も被害者でしょうが、それでもファスに何かあったら許しません」
正巳のしっかりとした、それでいて強い口調に博士が声を絞り出す。
「……ぇえ、そのと――」
博士の絞り出した声は、その後聞こえ始めた銃声と怒声によってかき消された。
明日も投稿します。
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