44話 長距離ドライブ
淡い光に、肌に感じる柔らかい感触。
「うぅん……」
腕を動かそうとすると重みを感じる。
「うぁ?」
何かに挟まれて動かない腕はそのままに、反対の腕が動く事を確認する。そして、段々と焦点が合い始めた目をこすると、その方向へと顔を向けた。
「……動かないわけだ」
そこには、腕が動かなかった原因が分かり易くあった。
隣で寝るヒトミは、まるで抱き枕を抱えるようにして正巳の腕を抱えている。こう言っては何だが、スレンダーな体型をしているヒトミも、一応は女性らしい柔らかさを持っていたらしい。
「……よしっ」
起こさないようにゆっくりと腕を引き抜いた正巳は、ベッドから立ち上がり窓の外へと目をやった。窓には、薄いレースのカーテンが引かれているが、その先には薄っすらと景色が見てとれる。
外は一面青々とした草原と、遠くに見える小さな動物――と言ったのどかな風景だ。
その景色を眺めながら、ベッドから立ち上がると歩き始めた。
……僅かに振動する床と壁、耳に聞こえるのは低いエンジン音だ。短い廊下を抜けると、ちょっとしたソファがありその先には運転席が見えた。
そう、ここは車の中で現在移動中なのだ。
この車は、いわゆるキャンピングカーのようなもので、車両内にはベッドからシャワールーム、キッチンにモニターまで備え付けられている。
「おはよう、どのあたりまで来た?」
運転席でハンドルを握っていた男に声をかけると、疲れを感じさせない表情で答えて来る。
「おはようございます。あと二時間ほど走ったら到着する距離まで来ました」
そう言った後で、『正巳様は寝られましたか?』と聞かれた。
「ああ、おかげさまでよく眠れたよ。ヒトミも疲れがたまってたんだろうな、あれだけ機内で寝ていたのにぐっすり寝てる。これも、ドライバーの腕が良いからなんだろうな……」
本来であれば、正巳も運転を代わりたい処だったが、大型車両の免許なんぞ持ってなどいない。対して、ファス達コンシェルジュは基本的に全員車両は大型まで持っているらしい。
ファスに関しては、車両の限定解除に加えて飛行機類のライセンスや、船舶免許も持っているらしかった。興奮した正巳が『今度操縦を教えてくれ!』と言うと、『私は厳しいですが……』と言って苦笑していた。
約束を取り付けた後、しばらく色々な特殊車両に関する話をしていた正巳だったが、途中でヒトミが寝ている事に気が付いた。その後、ヒトミをベッドへと運ぶとヒトミの着替えは任せた。
これが、つい二日前に日本を出発してアメリカに到着。その後、用意されていた車両で移動を始めた一向にあった出来事だった。勿論、旅行の為に来たわけではないのだが……
……うん? あぁ、任せた相手はコンシェルジュであるファスの相棒、デスクのミヤだ。そのミヤへと目を向けると、そこには助手席でぐっすりと眠っている姿があった。
シートベルトが顔に当たっているが、痕に残らないのだろうか……
そんなぐっすりなミヤには、前日になって『アメリカの製薬会社へ交渉しに行ってくる』と連絡したのだ。まさかとは思ったが、どうしても付いて来たいと言うので許可していた。
「まだ寝ていてもらった方が良さそうだな……」
ファス曰く、直前まで新たな物資の手配やら、業者との調整やらで忙しくしていたらしい。
「そうですね(自分が寝ている姿を晒したとなると)相当ショックを受けると思うので、出来れば正巳様には――」
どうやら、そういう事らしい。
何となく、寝顔を晒しても良いファスとの差にジェラシーを感じたが、確かに仕事中顧客に寝ているのを見られるというのはあまり嬉しいものではない。
当初に比べれば、随分と自然に話を出来るようになって来たのだが、それでもざっくばらんに話せるようになるにはもう少し時間がいるのだろう。
「ファスは疲れていないか?」
「大丈夫です。途中で運転を代わって貰い、十分な休息は取れていますので」
運転で疲れているだろうと思った正巳だったが、どうやらしっかりと交替で運転をしていたらしい。何となく、運転できない事が申し訳なくなったが、そんな様子を察したのか言った。
「これは私どもの仕事ですので。それに、正巳様にはこの後交渉して頂かなくてはいけません。十分な休息をとって、交渉を成功させて頂く事が何よりです」
「……そうだな、うん。なんか上手い事まとめられた気がするが、そういう事なら朝食は皆でゆっくりと食べよう。あと二時間なら、だいたい一時間半後に朝食にしようか」
今が凡そ朝の七時半頃だ。
ゆっくりと朝食をとった後向かえば、丁度良い時間だろう。
「そのように致しましょう」
正巳の言葉に頷いたファスは、再び運転に集中を戻した。
運転するファスと横で熟睡するミヤを見て、何となく微笑ましくなった。
あとは、あの頬にカタが付いていないと良いのだけれど……
若干、ミヤのほっぺたが気になった正巳だったが、余計な事をして起こしては可哀想だと思い直し、そっとしておく事にした。
「さて、ヒトミが起きるまでの間に復習でもしておくか」
そう呟いた正巳は、寝室まで戻るとそこに置いてあった紙の束を手に持った。その紙の束は、凡そ二百ページ程もある分厚いものだった。
既に五回ほど読み返していた正巳は、その紙の束を再び手に持つと、交渉の際に重要となりそうな部分の復習を始めたのだった。
その"紙の束"もとい、報告書の表紙にはこう書かれてあった。
"製薬会社ラシュナー調査報告書 -極秘調査資料に付き確認後焼却処分必須-"
――重要な交渉が迫っていた。
お久しぶりの投稿になります。
この話から"新章突入!"となりますので、どうかよろしくお願いします。