4話 二人と一匹と
会社を解雇された帰り道は、一人と一匹が増えていた。
その帰りの途中で、『そう言えば、片桐に最後の挨拶しなかったな』と思い出した。
会社の同期の一人で、それなりに仲良かった数少ない内の一人なのだが……『まぁ、誰かから事情を聴くか』と、頭の中から追い払う事にした。
猫ちゃんは、そのままだと電車に乗れないので、仕方なくレジ袋に入って貰った。
猫ちゃん――いや、にゃん太は現在レジ袋の中で静かにしている。
その、にゃん太の入ったレジ袋を膝にのせているのは、"レジ子"基、神楽坂ヒトミだ。……何やら、申し訳なさそうにしている。
その理由は、俺を泥棒扱いした事でも、弁当を全て食べてしまった事でも、交通費が無くて俺が代わりに出した事でも、これから家に泊まりに来る事でもない。
その事を考えていたらしいヒトミが、声を掛けて来た。
「あ、あの……さっきの『兄です』って、ありがとうございました」
ヒトミが恥ずかしそうに言う。
「なに、良いさ。それに、電車賃が無い事忘れてて悪かった」
「いえいえいえ。そんな、挙動がおかしかった私のせいなので」
「まあ確かに、駅員に職質されるのは初めて見たな」
「ぷふぅ~」
俺の言葉に少しだけ頬を膨らませたヒトミが、自分の頬に手を当て、熱を冷ますような仕草をしている。それは良いのだが、膝の上のにゃん太に気を付けて欲しい。
バランスを崩したにゃん太が"にゃぁ~"と鳴いている。
にゃん太を気遣っていた正巳だったが、先程の事を思い返して内心苦笑した。
先程ヒトミは、お金が無い事を俺に言い出せずにあたふたしていた。そのヒトミの行動を不審に思った駅員が、『失礼ですが~』と声を掛けて来たのだ。
通常の駅員とは違ったので、鉄道警察とかそう言ったモノだろう。職質をされているヒトミを見て、『兄ですがなにか?』と割って入ったのだ。
正直、駅員から本当の兄妹かの確認をされると思った。しかし、直後に抱き着いて来たヒトミに、駅員が直ぐに開放してくれたのだ。きっと、何やら気まずさを感じたのだろう。
駅員も驚いていたが、俺だって驚いた。
「ほら、もう直ぐだ」
車両内の、駅案内のパネルを指差す。
そこには、予め教えておいた"最寄り駅"の名前が点灯していた。
「あ、ほんとです!」
「にゃっ!?」
ヒトミが腰を浮かす様にして反応したせいか、袋に入っていたにゃん太が声を上げた。
車内に居る乗客の視線が痛い。
「……」
ジトっとした目でヒトミへ視線をやる。
「にゃ、にゃあぁ~」
ヒトミが猫の鳴きまねをしている。
「……」
お尻をするようにして、少しずつヒトミの隣から離れて行く。座った時は混んでいたが、その大半が途中で降りる為"ガラガラ"なのだ。
「な、なんで離れるんですかぁ~」
「いや、お前が挙動不審だからに決まってるだろ」
「そんなぁ~」
「く、来るなって」
「え~……」
「ったく。ほら、着くぞ?」
最後の方は乗客の殆どが笑顔になっていた。
取り敢えず、ただ逃げる事にならずに良かった。
まあ、ある意味逃げるのと変わらないのだが……。
「わぁ、凄い――」
「凄い、田舎か?」
「い、いえ、その、私の地元よりは大丈夫です!」
「大丈夫、っておい……」
余りにもフォローが下手過ぎて苦笑しながら、駅のホームへと降りた。
◇◆
――無駄に豪華な駅舎を歩く。
「何だか寂しい感じですね」
ヒトミが、ビニール袋の底を両手で抱えながら言う。
「まあ、そうだな。特徴のない街だが、強いて言えば"駅だけ立派な街"が特徴だからな。仕方ない」
俺がそう言うと、ヒトミは引きつった笑いを浮かべていた。
その後、何事も無くガランとした駅舎を抜けた。
駅舎を抜け、改札を出る。
改札後にある階段を、数段下りてから言った。
「ようこそ我が街へ!」
少しおどけたポーズを取って、手を差し出す。ヒトミは、一瞬面食らった顔をしたが直ぐに、頬をにへらっと緩ませて手を出して来た。
今日一日で色々な事があった事と相まって、ここ最近の疲れがピークに来ていたのだろう。普段だと絶対にしない事をしている。
……その自覚はある。
しかし、そんな事はどうでも良い。
今日はいつもと違う"今日"なのだ。
ヒトミが差し出して来た手を掴むと、『さぁ、お嬢様此方へ』とおどけて言う。
すると、ヒトミは笑いながらも『良きに計らいなさ~い!』と言った。
◇◆
その後、こんな調子で街の中を紹介しながら自宅へと戻って来た。
「ただいま~」
いつも通り、ドアを開くと右手にある鍵置き場にカギを置き、一歩外で待っていたヒトミに手招きをした。すると、ヒトミは恐る恐ると言った感じで聞いてくる。
「他に誰か居るんですか?」
「いや、居ないが……どうしてだ?」
「あ、いえ、さっき『ただいま』って」
「あぁ、帰った時はな。癖なんだ」
そう、出る時は自分一人だと知っているが、帰りは違う。
両親が帰っている可能性が有るのだ。
だから、いつ家に帰っていても大丈夫なように"挨拶"を欠かさないようにしている。
正巳の『癖なんだ』という言葉を聞いたヒトミは、少し考えるそぶりをしていたが、直ぐに"まぁ、いっか"と言った風に表情を変えた。
「お、お邪魔しま~す!」
「あ、にゃん太は風呂――じゃ無くて良いか、洗面台で綺麗にしてくれ」
流石に、公園で寝ていたであろうにゃん太を、そのまま家の中に入れる事は出来ない。
「はい。……その、お風呂お借りしても良いですか?」
「ん? あぁ、良いが?」
「そ、それで、ついでに私も入ってしまったりしても?」
モジモジして、俯いている。
「あぁ、良いぞ。もしだったら着替えも持ってくるか?」
一応、母の着替えが箪笥にしまってある。
母は平均的な体型なので、問題無いだろう。
……胸の辺りは母の方が大きいので、心配だが。
そんな事を考えながら見ていると、プルプルと震え出したヒトミに怒られた。
「あんまり、胸ばかり見ないで下さい」
「いや、悪かった。……うん」
何となく、哀れんだ様な調子になってしまったのは仕方ないだろう。
つくづく(格差って有るんだな)と思ってしまったのは秘密だ。
「それで、着替えは必要か?」
「そ、その……」
「ん?」
「もしかして、その……」
煮え切らない。
「どうした?」
「あの、そういう趣味ですか?」
わけ分からん。
「そういうって、どう云う?」
「そ、その『自分の服を着せたい』とか『後で脱いだ服を着て喜ぶ』とか……」
微妙に恥ずかしそうにしながら言っているのがまた、頭にくる。
「あほか、んなわけないわ」
「それじゃあ、普通に私に男物の服を着ろって事ですね……安心しましたぁ~」
未だに勘違いをしている。
「違うわっ! あれだ、ちゃんと女物があるから!」
「え!? ……あっ! そういう事なんですね、分かりました!!」
勢いよく頭を振って『分かった』と言うと、そのまま廊下を歩いて行ってしまった。風呂が何処か分かるのだろうか……。
案の定――
「すみませ~ん、お風呂ってどこですかぁ?」
ヒトミの声が、廊下の先から聞こえて来た。
「そうなるだろうなぁ」
苦笑した正巳は、ヒトミに風呂の場所を教えに行く事にした。