17話 嫌われる覚悟
向かい合って牽制し合うヒトミと黒渕の様子を伺っていた峰崎だったが、顔を上に向けてため息を付くと、言った。その言葉自体は"業務的"ではあったが、心から同情している様子だった。
「神楽坂様で宜しいでしょうか? 貴方には、これ迄正式に書面での"通知書"が届いています。それら書類は、全て貴方の直筆での契約が交わされた"委任状"によって、黒渕さんが全て管理しています。全ての手続きは法律に則って行われていますので、既に開始されてしまった競売は途中で止める事は出来ません」
峰崎がそう言うと、ヒトミはただ、口をぱくぱくと動かしていた。
ショックのあまり、頭が真っ白になったのだろう。
「そ、そう言う事だ。我々に違法性はない。お前も競売に参加ぐらいはしても良いだろう。それも"違法"では無いからな」
黒渕はそう言うと、呆気に取られている内に横を通り抜けて出て行った。
「彼の言っている事は正しいです。少なくとも法的には……」
そう言った峰崎に対して、正巳が『分かった。それじゃあヒトミの服だけ取ってきたいんだが、良いか?』と聞くと、峰崎が直ぐには反応しなかった。
再び同じ事を聞こうとした正巳だったが、思わぬ横槍があった。
「つっ、だ、ダメだぞっ!」
「え、『ダメ』ですか?」
その男――浩平の方を向くと、慌てた様子で続けた。
「そ、そうだ! 差押えと競売対象は、この家の全ての家財にも及んでるんだ。だから、例え洋服――そう、ぱんつの一枚だって外には持ち出せないんだぞ!」
そう言った浩平は、峰崎に『そうだよなっ?』と振る。
峰崎は、眉間に皴を寄せた後、絞り出すようにして言った。
「――その通りです」
その言葉を聞いた正巳は、崩れ落ちていたヒトミを抱えながら言った。
「分かった。それじゃあ、合法な方法を持って対応するさ」
そのまま、振り返る事なくドアを出た正巳は車に戻った。
途中で黒の乗用車に乗る黒渕と視線が合ったので、睨みつけておいた。ほぼ間違いなく、今回の一連の事はこの男が仕組んだ事だろう。もしかすると、ヒトミが"出稼ぎ"に出ていたのでさえ、家から遠ざけようとした可能性さえある。
昔から、両親に『怒った時は顔つきが変わるよな~』と言われていた正巳だったが、この際、変わった顔つきがとびっきり"悪い"と良いなと思った。
正巳と視線を合わせた黒渕は、何故か視線を外さなかった。そのままにらみ続けていたが、途中で馬鹿らしくなって来たので、侮蔑を含めて目に力を入れた。
一種の挨拶の感覚――取り戻すと言う意を込めたモノだったが、正巳が目に力を入れた瞬間、車に乗って居た男が白目を剥いてシートに倒れた。
その様子を見て、『何をふざけているのか』と頭に来た正巳だったが、これも黒渕の罠の気がしたので構わない事にした。
「よいしょ、っと……?」
ヒトミをシートに乗せた処で、にゃん太の様子がおかしい事に気が付いた。
……お腹を上にして、こちらに見せている。
それに、よく見ると小刻みに震えている。
もしかすると、暗い中一人で置いて行かれた事が怖かったのかも知れない。
「ごめんな、ほら~大丈夫だぞ~」
にゃん太の事を撫でながら、その震えが収まったのを見計らうと、車を出した。
……次にこの家に戻るのは、再び家を取り戻してからだ。
取り敢えず近くの宿を探す事にした正巳は、電灯すらまともにない街の中、光が照る方へと車を走らせ始めた。向かう先は宿、その後は買い物だ。
◆◇◆◇◆◇
正巳が去った後、峰崎はため息を付いていた。
……まさか、黒渕が詐欺まがいの事をしている男だったとは思いもしなかった。それに、多少気の弱そうだと思っていた浩平が、こんな男だとは思いもしなかった。
うわ言の様に『良かったなぁ、アレは良いなぁ……あの幼さと純粋さは良いなぁ……年増ではあるけど、あれはあれで……』と呟いている男を見ながら、再びため息を付いた。
何となく、浩平が何故"名字"を名乗りたがらないのか聞きたくなった。しかし、職務外の事なのでその感情を抑えると、浩平に『施錠するので、外に出て下さい』と言い、しっかりと施錠した。
その後、先に車に戻っていた黒渕を目にした峰崎は、男が泡を吹いているのを見つけた。先程乱入して来た男が暴行をしたのかとも思ったが、車はしっかりと施錠されていたので驚いた。
数度ドアを叩くと、気が付いた黒渕だったが、顔色だけは優れないようだった。
一先ず、職務報告をする為に二人と別れた峰崎は、その足で事務所へと戻った。
報告書を書きながら、ふと(神楽坂が落札すると良いな)と思ったが、相手は浩平――いや、不動産屋である黒渕だ。そもそも支払いが出来ずこんな状況に陥った"債務者"が、万が一にも競り勝つ事など出来ないだろう。
もし、神楽坂と居た男が資金を提供したとしても、その可能性は低い。それに、そもそも男が神楽坂とどの様な関係であれ、そこまでして家を取り戻すとも思えない。
この仕事をしている事で、偶に遭遇する"胸糞悪い"真実に胃もたれしながら、呟いた。
「つくづく嫌なポジションだよ」
その後、毎度のごとく届いている"誘いのメール"を開かずに全て削除して、残りの仕事をこなしてしまう事にした。
◆◇◆◇
しばらく車を走らせていた正巳だったが、やがて光が煌々と照る現代らしい場所に来ていた。体の力が抜け切っていたヒトミも、その灯りに目を引かれた様子だった。
「ヒトミ、ここ等辺に宿ないか?」
正巳の問いかけに対して、聞こえているのかいないのか、ぼーっとしている。
そんなヒトミに言った。
「なんだ、お前はもう諦めたのか?」
正巳がそう言うと、ムッとした顔をして言う。
「諦めるか諦めないとかじゃないですよ……もう、無理なんです。そういう『諦める』とかじゃないんですよ……正巳さんは分かってないんですよ……」
……相当キテルらしい。
うじうじし始めたヒトミに対して、眉間に皴を寄せそうになる。しかし、(確かにヒトミの状況に俺が有ったら同じ様になるかもな)と、思い直した。
「全く、分かっていないのはお前だよ。お前の良さはその明るさ、いや――能天気さなんだ。折角の長所を自分でダメにしてどうするんだ?」
正巳がそう言うと、ヒトミが一瞬目を丸くした。少し前までなら『酷いですよ~』とか言って立ち直ってしまう筈なのだが……
今回は、口先でどうこう言って立ち直る程軽くはなかったらしい。
「そうは言っても、無理ですよ。あんな人を信じて如何にかしようとしてたって考えると、ほんとに私って馬鹿ですよね。ほんとにどうしようもないですよね……」
うつろな目をして、『"ゴン、ゴン、ゴン……"』とガラスに頭をぶつけている。
……正直勘弁してほしい。
ガラスは丈夫なようで、万が一にも割れてヒトミが怪我をするような事は無いだろう。しかし、その音を聞いているだけでこちら迄気分が暗くなって来る。
……下手をすると嫌われるかも知れないが、荒療治をする事にした。
以前一度同じような状況にあった後輩には、嫌われてしまいはしたが、この方法で無事立ち直ってくれたのだ。今回も上手く行く――いや、上手く行かないと困る。
少し息を吸い込むと、一息に言った。
「全くだな。ほんとにどうしようもないよ、お前は」
その声は静かに、深く、それでいて強く、響いた。