第八話 翌日
怒涛の一日が過ぎ、クロガネが眼を覚ますと、白い天井が眼に入った。
ベッドに寝た儘の体勢で、眼だけを動かして周囲を見渡す。
というよりか、眠れている時点で死んでいるのかどうかすらわからなくなってくる。
スサ達オルフェとしての先輩達曰く、『人であろうとしている』というのだが……。
白い壁に覆われた部屋に、棚が一つと机が二つ、そして今クロガネが寝ているベッド。
ベッドの横に置かれている小さな机の上に置かれている時計は、午前七時を指している。
人が過ごすには簡易的かつ、シンプル過ぎる部屋だ。
昨日会った事を思い出しながら、上半身を起こす。
「……そっか、俺……オルフェになったんだっけ」
クロガネは朝に弱い方だ。
いや、だったというべきだろう。
今まであった起床時の倦怠感は一切ない。
死んで蘇った事で――オルフェとなった事で体質すら変化したらしい。
生前であれば、朝眼を覚まして直ぐに歯を磨き、顔を洗って漸く覚醒するのだが、眼はさっぱりと覚めていた。
そう言えばと見渡してみると、探しているモノが無かった。
洗面台やシャワーである。
トイレは、昨日スサ達に『オルフェは生理現象が存在しない』と聞いたので、無いのは納得出来るが、オルフェにはエリナやツバキ等女性メンバーもいるのだ。
せめて、衛生的な面も考えて、洗面台やシャワーは付けていて欲しいとクロガネは思うのだが――
コンコン
そんな事を考えたところ、扉がノックされた。
自動ドアだし、見たところ装置も無いので仕方が無いのだが、意外とアナログだな、とクロガネは別の事を考えていた。
だが、ノック音が続けて聞こえてきたので、慌ててドアに近付く。
「……誰だ?」
「私――エリナよ。昨日言った通り、迎えに来たわ」
ノックをしたのはエリナだった。
朝だというのに、その口調と声は気怠さ等感じさせない溌剌としたモノだ。
身体は目覚めているとはいえ、気分的には若干沈み気味なクロガネとしては羨ましい限りである。
「ちょっと待っててくれ」
クロガネが扉に近付くと、扉は自動的に開き、エリナを迎え入れた。
どうやら内側からは扉に近付いただけで開く様な設定の様だ。
「お早うクロガネ君。オルフェになって一日経ったけれど気分はどうかしら?」
エリナは遠慮なく入室し、綺麗な金髪を手で払い、クロガネに笑いかける。
好奇心や揶揄いの混じった声音だ。
だが、悪意が無い事は理解出来たので、クロガネは素直に応じる。
「……そう、だな。……まだ信じられないが、調子は悪くはないと思う」
少なくとも、身体の調子は悪くない。
いや、寧ろ良い方だ。
寝不足や悪い姿勢による肩や腰の痛み、眼の疲れ等は感じない。
だが心理的に調子が良いかと問われれば微妙なところだ。
死んだという事実が、冷静になった事で自覚を伴って来ていた。
しかし、オルフェになった事に対して、嫌悪感や忌諱感よりも、戸惑いや違和感の方が大きかった。
その心情はわかると、エリナも苦笑し、頷く。
「……最初は誰でもそうよ。私なんて、記憶も無かったし、知らない場所にいるし、自分が死んだという事を一度に聞いたのよ」
「……そりゃあ……大変だな。……ま、後はこいつのせいで寝辛かったって位かな」
クロガネは自身の首――正確に言えば首の根本――に装着された装置を指先で二度叩く。
カツンカツン、と冷たい金属音が二度鳴った。
ただの大学生であったクロガネには、この装置がどの様な造りなのかがさっぱりで、寝る為に外そうとしたのだが、何をどう触ろうと外す事も出来ず、結局諦めてベッドに横になった。
オルフェ――疲れの感じない身体だからこそ首が痛くなったり寝違えたりはしなかったが、寝辛いのは事実だ。
「そうね。……まぁ研究者達にとって私達はただの兵器だから、私生活まで注意がいかないのよ。申請すれば欲しいモノを支給してくれるから、皆そうしているわ」
「成程、そりゃそうか。……で、俺は今日どうすれば良いんだ?」
「えぇ。その為に私が案内役としてきたのよ。……先ずは朝食を食べましょう。一日の始まりはしっかりと食べないと、ね。……私達には意味ないけれど、気分というのは大事だわ。――ついて来て頂戴」
クロガネの質問に、エリナは答えて先に歩き出す。
クロガネ達はエリナの数歩後をついていった。
クロガネ達が食堂――改装前は学校の食堂だったという――場所に向かうと、既にオルフェ達がちらほらといた。
どうやら朝食は『食べる食べない』や『時間』等は自由らしく、長机の上にジャンル別にコンビニ弁当が積まれていた。
時間的にも別だからだろう、昨日の夜とは違い、弁当は温められていなかった。
「基本的に、アポトシスが出現しない日は自由行動だから、起きてこない人もいるわ。だから、朝食はこういった形なの」
エリナの説明に、クロガネは人が少ない理由に納得した。
そもそも食べなくても良いのだ。
なら、寝て過ごす人間もいるだろう。
クロガネとて、お腹が減っている気がするだけであり、自身がそう感じているだけなのだ。
実際に空腹になる、という事はオルフェには無い。
取り敢えずクロガネは大量に用意された食事の中からミックスサンドイッチと野菜ジュースを手に取った。
エリナの方は胡桃パンに紅茶の様だ。
朝食を選んだ二人は向き合う様にして席に座った。
「「頂きます」」
二人でそう言って食べ始めようとサンドイッチを開けようとして、クロガネは気付いた。
「これ……消費期限が一週間前になってる」
サンドイッチの消費期限の期日は一週間前の日付が書かれていた。
気になって目の前のエリナがとった胡桃パンの袋を見て見れば、やはり消費期限が切れていた。
「……うへぇ、期限スゲェ過ぎてるんだな」
食欲が無くなった様な気がした。
だが、目の前のエリナはそれを気にせずに胡桃パンの袋を開け、一つを口に入れた。
クロガネが驚愕の表情でエリナを見るのに対して、エリナはパンを嚥下した後、
「……昨日貴方が食べた弁当もそうだけど、オルフェに用意された食事は全部廃棄されたモノよ」
そう淡々と告げ、再び胡桃パンを口に入れた。
「………………マジか」
今更ながらに食べなきゃよかったと後悔する。
まさか食べたのが廃棄処分されたモノだとは思わなかった。
見た目的にはカビも生えていなかったので管理はしっかりしていたのだろうが、クロガネ達が死んだ存在とは言え酷い扱いである。
「……いや、死んでるからこそ、なのか」
結局のところ、捨ててしまうならば死者に食わせた方がゴミも減る、というところなのだろう。
死んでいるから何を食べても腹を下す事も無く、病にかかる心配も無い。
そしてオルフェ達は食事を取りたがる。
幾ら無駄な事だろうとも。
それの落としどころが、これなのだろう。
せっかく生産したモノが無駄にならずに済むし、人間と変わりない生活をしたいというオルフェ側からの要求に応えられる。
つまりはWinWinの関係だ。
クロガネは一人で納得し、サンドイッチの封を切ってサンドイッチに齧りつき、それを紙パックの野菜ジュースで流し込んだ。
次回投稿は土曜日になる予定です。