第九話 もう一人の博士
「……で? 俺は今日これからどうすれば良いんだ?」
サンドイッチを食べ終わり、残ったジュースを飲みながら、クロガネはエリナに尋ねた。
「今日も研究棟に行くわ。そろそろ時間ね。……行きましょう」
壁に掛かっている時計で時間を確認してから席を立って歩き出すエリナに数歩遅れてクロガネも歩き出す。
昨日と同じ通路を通り、研究棟に辿り着いた二人だが、そこからは違うルートを歩き始めた。
とはいえ、クロガネからしてみれば研究棟は迷路である。
どこがどう繋がっているのか、今自分がどこを歩いているのかがさっぱりわからない。
階段を使って二階程降り、上層と全く同じの通路を、エリナは一切の迷いを見せずに進んで行く。
「……良く迷わないな。俺、今どこにいるのか全然わからないんだが」
呆れ半分感心半分でクロガネが呟く。
だが、エリナはクロガネの言葉に対して首肯した。
「そうね。……だって何処にいるのかわからない様に作られているんだもの」
「……おいおい」
まぁこんなに貴重で極秘事項が多いであろう場所を分かり易い構造にしたら、もし侵入者が出たりした場合にそれを簡単に盗まれてしまうだろう。
だが、こんな造りではオルフェや侵入者どころか、研究所に勤務する職員ですら迷ってしまうだろう。
そんなクロガネの疑問を察し、
「研究所職員には地図や音声案内の付いたタブレットが配布されてるから迷う事はないわ。……あの人以外はね」
エリナはクロガネの疑問に答えるが、途中で知り合いの研究員を見つけたのだろう。
溜息を吐いて肩を竦める。
彼女の視線の先にいたのは白衣を着た女性だった。
エリナは女性に声を掛ける。
「……また迷ってるんですか? シジョウ博士」
「……ん? おぉ、エリナ君か。丁度良かった。……いや、君達を迎えに来たんだがね、迷ってしまった」
エリナがシジョウと呼んだ女性は、エリナの姿を見ると頭を掻いてにへらと笑った。
髪はボサボサで、癖の強い髪を乱雑に後ろで束ね、眼の下には色の濃いクマが出来、全身から気怠さが滲み出ており、色気や女性らしさを感じさせない。
年齢は恐らく二十後半か三十前半。
彼女はエリナの後ろにいるクロガネをチラリと見ると、
「君がクロガネ君だな? 私はシジョウ。……あー……”四条”と書くんだがニュアンスでわかるかね。……みっともない姿を見せてしまったな」
やれやれと頭を掻いて笑う。
どうやら頭を掻くのは癖の様だ。
そして懐から煙草とライターを取り出すと、それを咥えて火を付けようとし、
「……博士、煙草は周囲にも迷惑ですと言った筈ですよ?」
その直前にエリナに煙草を没収された。
シジョウ博士はエリナを情けない顔で見る。
「……別に君達オルフェには害なんて意味が無いから良いだろう? ただでさえ他の研究者達は煙草を吸わないんだ。こういう時位吸わせてくれ」
だが、エリナはにべもない。
「休憩中に吸ってください。……それで? 私達は何処に行けば良いんですか?」
取り付く島もないエリナの問いに四条博士は大袈裟に溜息を吐き、煙草を懐に戻すと、
「……特別研究室だ。そこで彼とあれの初対面を行う」
そう言って歩き出した。
クロガネは四条博士の言うあれが何を指すのか全く以てわからなかったが、エリナはそれだけで理解したのだろう。
頷くと、クロガネに対して「行きましょう」と言ってから四条博士の後を追って歩き始めた。
自分だけが何をするのかを理解していない状況に溜息が出そうになるのを堪え、クロガネも歩き出す。
と、
「……あ、そうだ」
四条博士が二人の方を振り返った。
「……どうかしたんですか?」
エリナがそう訊ねると、四条博士はにへらと情けない笑みを浮かべ、
「……どうやって行けば良いのか忘れてしまった。……エリナ君、道案内頼めるかな?」
「…………わかりました」
クロガネは目の前で情けない顔で笑う研究者を見て、引きつった笑みしか浮かべる事しか出来なかった。
この人こんなんで大丈夫なのか?
クロガネは、目の前の後継を見て頭の中に浮かんできた疑問を、頭の中から追い出して、それ以上考える事を止めた。
どれ程歩いたのだろうか、長かった気がするし短かった気もする。
ただ白い壁に幾つかの扉があるだけの廊下を歩き、三人が辿り着いたのは白い部屋だった。
小さな体育館程の広さを持つ広大な白い空間は、何をする為なのだろうか?
クロガネはただただ地下にこんな広い空間があったのかと驚くだけだった。
その端で、何等かの機械を弄っていたのはクロガネの担当官である三条博士だった。
三条博士はクロガネ達の姿を確認すると、笑みを浮かべた。
「お、来たね。……待ってたよ」
「……遅れてすみません三条博士」
エリナが謝るが、三条博士は仕方無いと言う様に首を横に振った。
「……構わないよ。僕の方にも準備があったし、それに君達が悪いんじゃなくて四条博士が悪いんでしょ?」
「……本当に済まないな。全く以て地図に弱くて記憶力の悪い自分が嫌になるよ」
心底そう思っているのだろう。
目尻を下げ、謝る四条博士を見て、良くそんなんで研究者になれたな、とクロガネはある意味で関心していた。
それ程迄にこの女研究者が有能なのだろう。
「ホントですよ。少なくとも此処にいる誰よりも此処にいる時間が長いんですから覚えて下さらないと」
三条博士が敬語を使っている事と発言から、四条博士の方が年齢が上なのだろう。
「こればかりは相性の問題だと思うよ。……私は特に地図との相性が悪いらしい」
研究者ならば機械に強いイメージがあった――いや、事実機械には強いのだろう。
ただ、彼女は圧倒的に”地図”が読めないのだ。
恐らくカーナビや音声案内も同様に。
「……まぁ良いですけど。……クロガネ君も悪いね。昨日伝えていられれば良かったんだけど」
「いや……それは構わないっすけど。……で、俺は何をするんですか?」
クロガネの質問に、三条博士は機械の操作をしながらも逆にクロガネに質問を返す。
「君はオルフェがどうやってアポトシスと戦っているかって知ってるかな?」
「……いえ」
勿論、クロガネは知らない。
ただ、一般兵器ではアポトシスは殺せないという事は昨日教えて貰った。
「アポトシスは普通の兵器では倒せない。それはオルフェが使っても同じだ。銃を使ってもそこから再生してしまうし、並みの剣でも斬った側から回復してしまったり、そもそも傷つけられなかったりする。そこで生み出されたのが”葬装”というオルフェ専用の武器だ」
三条博士が機械の一部を触ると、部屋の中央の床が音を立てて別れ、下から台座がせりあがって来た。
台座の上には、夜の闇の様な深い黒に、発光する緑の線が入った片刃の剣が鎮座していた。
三条博士がそれに近付きながらも口を開く。
「……君が死亡してから覚醒する二週間の間に、どの”葬装”が君と適合率が高いかを調べさせて貰った。……で、それが君と最も適合率の高い、相性の良い武器だ」
クロガネも台座に近付いて、”葬装”と呼ばれた武器を見下ろす。
三条博士は、クロガネに促す。
「さ、持ってご覧。今日からこの子が、君の相棒だ」
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