今までで一番迷惑な酔っ払い
それは、三月末の土曜日の、夜遅くのこと。
母の携帯に、弟の携帯から電話が入った。
「雪ちゃん、ちょっと・・・」
母は少しの間、話しをしていたかと思うと、私に携帯を渡そうとした。
年度末の仕事の疲れもあって、私はコタツでうたた寝をしていた。
母の不安そうな声に、慌てて起き上がり、携帯を受け取って耳に当てる。
「なに?」
「あ、加藤さんのお姉さんですね?」
聞こえて来たのは、弟の声ではなかった。
「あの・・・」
母と二人きりの、のんびりした茶の間が、急に不穏な空気に包まれる。
「僕、加藤さんと同期の石橋と申します」
「あ、石橋さんですね。弟から伺っています。お世話になっております」
石橋さんは、弟と同期というばかりでなく、年末年始に弟と一緒に上海に旅行をした方だ。
石橋さんの口から出たのは、思いがけない言葉だった。
同僚六人と職場近くの居酒屋で飲んでいたところ、弟が酔って具合が悪くなり、救急車で運ばれたというのだ。
石橋さんが救急車に同乗して病院に行き、弟は今、集中治療室の中だという。
「すみません。お世話になって・・・。弟はそんなにたくさん、お酒を飲んだんでしょうか?」
弟は、多少お酒に強いのを知っていたから、救急車に乗るような状態になるまでとは、どれほどたくさんのお酒を飲んだのだろうと想像する。
そして、たくさん飲むだけの理由を思い巡らせ、不安で胸がいっぱいになる。
最近の弟の悩みの数々を知らないわけでもなかったから・・・。
「僕はお酒が飲めないので、どれくらいが多いと言うのか、よく分からないんですが。
ビールの中ジョッキを飲んだ後、たぶん、五百ミリリットルくらいのお酒を一本空けたと思います。
そのお酒が強いのかどうか、僕には分かりませんけど・・・。
それでなんですが・・・出来たら、ご家族に来てもらえないかと・・・。
申しわけないんですが、僕、明日も出勤で・・・。医者はもう大丈夫だと言ってますし・・・」
私は、はっと我に返った。
「それは申しわけありませんでした。出来るだけ早く参りますので、どうぞ、石橋さんもお気を付けてお帰りくださいね」
病院名と住所を聞いてメモを取り、もう一度、石橋さんに礼を言うと、電話を切った。
手短かに母に説明をする。
母は不安をかくせずオロオロしている。
「とりあえず、病院に行ってみるわ」
私は握りしめていた携帯を母に返しながら言った。
「私も行く」
母はすがるような目をしている。
だけれど、お嬢さん育ちで、一度も外で働いたことの無い母は、言葉は悪いけれど、『非常事態』には役に立たない。
「お母さん、ごめん。家で待ってて。この時間じゃ電車じゃ行けないから、駈君に車を出してもらえるか、聞いてみる」
「そういうことなら・・・」
山口駈の名前を出した途端、母は少し安堵したようだ。
私は自分のスマホを出して、駈君にメッセージをいれた。
すぐさま電話が掛かって来た。
もう十二時近い時間なのに、『電話していい?』なんて、普段には無いことだから、
第一声は「どうした?何かあった?」だった。
ざっくり状況を伝え、車をお願いした。
私も運転しないことはないが、さすがに都心の道路は無理だ。しかも夜間だし。
今後のことも考えて、一泊分の着替えや洗面道具なども用意する。
そうこうしているうちに、玄関のインターホンが鳴った。
コートを羽織って荷物とバッグを抱え、玄関に向かう。
母は、ちゃっかりパジャマから洋服に着替え、うっすら化粧までしていて、駈君と話しをしていた。
「じゃ、行こうか?」
駈君は挨拶抜きで、私の手から荷物を受け取った。そして母に一礼すると、玄関のドアを開けた。
冷たい風が吹き込む。
「行って来るね。とりあえず寝てて。何かあったら・・・無くても、電話するから」
再び不安そうな顔の母を目にして、自分まで不安が胸の中で渦巻いた。
玄関前の黒い車に乗り込む。
滑るように車が走り出す。
普段なら、私が黙っていても、何らかの話題をふって来るのに、今夜の駈君はずっと黙ったままだ。
居眠りでもしちゃうんじゃないかって、ハンドルを握る駈君の横顔をそっと覗いた。
「ん?なに?」
「ううん。黙っているから、眠くなっちゃったかなと思って」
「大丈夫だよ。それより雪乃こそ、病院に着くまで寝てたら?」
「ありがとう。でも、とても眠れないよ」
「そうだね・・・」
「だって、医療関係の知り合いから、色んな話しをきいてるから、怖くて。弟に何かあったら・・・なんて思っちゃって」
「そっか・・・」
それきり、これといった会話も無いまま、都心に入って来た。
道路が迷路のように思える。
『駈君がいてくれてよかった。しかも土曜の夜なのに、珍しくお酒を飲んでなかったなんて、超ラッキー・・・』
なんて、思っていたら。
ナビに案内されて行く先の路地は・・・ラブホ街。
カップルが建物に吸い込まれて行くのが見える。
こんな時にバカみたいだなって思うけれど、緊張してしまった。
駈君は、どう思ったんだろう。
今となっては、笑い話だけれども。
そんな場所なのに、いきなり病院の看板が目に飛び込む。
「ここだ」
駈君の声で、沈黙が破られる。
病院の脇にわずかながら、駐車スペースもある。
真夜中なのに、玄関の前に立つと自動ドアが開いた。
入ってすぐに受付と待合室。
待合室には、さすがに誰もいない。
私たちを見て、受付の中から出て来たのは、白衣の上下を着た男性の看護師さん。
「加藤康之の姉」と、名乗ると、詳しく病状を説明してくれた。
倒れたときは、周囲に会社の人もいたので、頭を打ったりなど、身体の怪我はなかったこと。
生理食塩水と、吐き気を抑える点滴をしているけれど、本人は眠っていること。
嘔吐物で服が汚れてしまっているので、あとで着替えを持って来てくるように。
退院は会計の都合上、朝の九時以降でお願いします、とのこと。
「今回のようなことは、以前にもありましたか?」
私たち以外誰もいない待合室で質問される。
駈君もそばにいて、私の顔を覗く。
「たぶん、無いとは思いまずが・・・なにしろ離れて暮らしているので」
私は戸惑いつつ答えた。
看護師さんは小さくうなずいた。
「じゃ、行きましょうか。病室は四階の四一二号室になります。本人はまだ目覚めないは思いますが」
三人でエレベーターに向かった。
四階に上がると、フロアの中央にナースセンターがあり、それをぐるりと取り囲むように病室が並んでいる。
四一二号室のドアは、開けっ放しになっていて、患者用術衣を着た弟が横向きに寝かせられていた。
「吐いた物が気管に詰まったりしないように、横向きに寝かせています。たぶん、明朝七時ごろには、目が覚めると思いますよ。きっと、明日はひどい頭痛でしょう」
看護師さんは、点滴の具合を見ながら説明すると、部屋を出て行った。
弟の顔の周りには、使い捨ての吸収シートが何枚も敷かれていて、顔のすぐそばのそれには、赤黒い吐瀉物が付いている。
弟の顔は、今まで見たことがないくらい浮腫んでいた。
寝返りを打つことは出来るらしく、術衣と布団が乱れていて寒そうだ。
私はベッドに近付いて、乱れた術衣を直し、布団を掛け直した。
術衣を直すとき、弟が大人用紙オムツを穿かされているのに気が付いた。
情けなくなって、涙が浮かびそうになる。
「まったく、バカなんだから・・・」
駈君は、弟のそんな姿に知らん顔をしてくれたみたいだ。
私の嘆きにも反応を示さなかった。
「それで・・・これからどうする?」
駈君が病室をぐるりと見渡しながら言った。
「どうしようかな・・・。とりあえず、やっちゃんの服を持って来ないと。アパートまで送って行って貰える?」
駈君は快諾してくれた。
目覚めない弟を置いて行くことに、不安がないわけではなかったけれど、いま、自分に出来ることは、着替えを取って来ることぐらいだ。
軽くイビキをかいて、でもぐったりして眠っている弟の腕から、病室の貴重品入れの鍵を外した。
貴重品入れを開けると、スマホと一緒に財布と鍵の束が入っていた。
大小さまざまな鍵。七個も付いている。
見覚えがあるのは我が家の玄関の鍵だけで、あとはアパートの鍵なのか、何か仕事関係の鍵なのかも分からない。
私は自分のバッグに鍵束を入れると、弟の浮腫んだ顔をもう一度見て、病室をあとにした。
再びラブホ街を抜け、いくつもの曲がり角を折れ、交差点を通って弟のアパートの前に着いた。
時間を確認すると、すでに三時前だ。
駈君に近くのコインパーキングの場所を教えると、私は一人で弟の部屋の前に立った。
鍵をいくつか試して、やっとドアが開いた。
灯りを点けると、2Kの部屋は思ったより綺麗に片付いていていた。
台所だけ、食器が食べたそのまま、シンクにおかれているだけだ。
私は、車から降ろして貰った荷物を茶の間の片隅に置いた。
ドアを控えめにコツコツ叩く音がした。
私は玄関に引き返し、駈君を招き入れた。
「ね、思ったんだけど、今、着替えを持って行っても康之君は退院出来ないし、退院出来ても電車では帰って来れそうもないし。僕たち、ここで待機していて、少し早めに病院に行くことにしたら、どうかな?」
「そうね。疲れているだろうから、駈君に帰ってもらわなきゃって思ったんだけど。だけどこのまま一人で帰すのも、居眠りしそうで怖いなって。やっちゃんとは、タクシーで帰って来てもいいんだけど・・・」
「朝、迎えに行こう。決まりね」
駈君は、そう言うと、茶の間にあるコタツにさっさと陣取り、電気を入れた。
「・・・うん。ありがとう。よろしく」
私は、自分で駈君を夜中に呼び出しておきながら、このあと、母や弟の『結婚しろ攻撃』が再燃するのかと思うと、思わずため息をついてしまった。
『最近やっと、二人にやいやい言われなくなって来たところなのに・・・』
「なに?」
私のため息を聞きつけた駈君が、コタツから私を見上げた。
「ううん。何でもない。やっちゃん、あまりにもバカ過ぎて、ため息しか出ないよ」
駈君はそれには答えずに、カラーボックスの上に置かれた時計に目をやって、
「雪乃も早く寝なよ。年度末で疲れてるだろ」
と、慰めるように言ってくれる。
「着替えを用意したら、私も寝るね」
寝室に掛かっていた洗濯物から、下着類を取ってたたみ、クローゼットの中にあるものを適当にチョイスすると、キッチンを漁って見つけたレジ袋二つ分に荷物にまとめた。
部屋を行き来するうち、駈君は座布団を枕に、コタツで眠ってしまった。
私は、弟のベッドから毛布を引き抜き、そっと駈君に掛けた。
眠っている駈君の顔を少しの時間、見つめた。
優しさに感謝するのと同時に、申しわけなさがこみ上げる。
静かに洗面を済ませたあと、茶の間と寝室の間の引き戸を閉めた。
私も着の身着のまま、弟のベッドに潜った。
「雪乃、そろそろ時間だよ」
引き戸の向こうの声で、私は飛び起きた。
「あ、ごめん。ん・・・ありがとう」
すっぴんの顔を出来るだけ見せないように身なりを整えて、化粧をほどこし、出発の準備をする。
「何かちょっと食べられるものって思ったけど、何にも無いわね」
冷蔵庫の中には、これといった食料品はなかった。
「いいよ。朝は食えないから」
長い付き合いだから、駈君が朝食を食べないことは分かっていたけれど。
「じゃ、とりあえず、病院に行こうか」
着替えを携え、二人でコインパーキングに向かった。
「いいよ」
と、言うのを、無理やり私はコインパーキングの料金を払った。せめてもの気持ち。
病院に着くと、弟は目を覚ましていた。
心の底からホッとするのと同時に、怒りがこみ上げてくる。
でも、ボクシングで殴られたみたいに腫れているまぶた。
赤紫の顔と手。
いかにも『毒にヤられました』っていう姿に、何も言えなくなってしまう。
「お姉ちゃん、ごめ・・・」
弟はベッドから崩れるように降りると、裸足のまま部屋の中のトイレに駆け込む。
激しく嘔吐する音。
一緒にいた駈君が部屋から出て行った。
てっきり弟のそんな姿が原因で部屋をあとにしたのだと思っていたら、駈君は水のペットボトルを手に戻って来た。
トイレから出てきた弟に、
「口をすすいで、少し飲め」
と、手渡した。
弟は、そこに駈君がいるのが当たり前のように、自然にペットボトルを受け取っている。
ひと口、水を含んで、ベッドの上にあるウガイ受けに吐き出した。
私はウガイ受けをそっとトイレまで運んで、中身を捨てた。
「情けない・・・」
弟は布団にくるまって、うめき声をあげた。
「頭、痛い?」
私が顔をのぞき込むと、
「うん」だか「むー」だか、わからない声を発する。
先ほどの看護師さんとは別な人が来て、点滴をはずし、診察を受けてから退院だと伝えてくれた。
ほどなくお医者さんが来て、診察をしてくれて、退院が決まった。
弟はふらふらしながら、私が持って来た衣類を受けとると、術衣を脱ぎ捨てる。
駈君は、さりげなくドアを閉めながら出て行ってくれた。
私もクローゼットをのぞいて、視線を外す。
「ほんと、情けねぇ・・・」
弟は、かすれた声でつぶやくと、着替え始めたようだ。
クローゼットの中には、汚れた衣類の入ったビニール袋と、汚れていない靴とコートが入っていた。
「コートと靴は無事みたい。汚れてないよ」
「よかった。僕、会社に着て行けるコートは、それ一着だから」
「まだ、気分わるいでしょ?」
「うん。頭が痛いし、気持ち悪いし・・・胃が・・・」
振り向くと、まだ弟はノロノロろ着替えをしている最中だった。
私は、ベッドの上の汚れた吸収シートを片付けつつ、弟が脱いだ紙オムツを丸めてごみ箱に押し込んだ。
「お姉ちゃん、ゴメン」
何に対してのゴメンなのか。
酔ってこんな騒ぎを起こしたことにか、それともオムツの処理までさせたことにか。
怒りもあるけれど、それよりも『大事に至らなくてよかった』という思いの方が勝っていて、怒ることも出来なかった。
「あっ!お母さんに電話しなきゃ」
すっかり母のことを忘れていた。
そこに、病室をノックして駈君が入って来た。
「家の方に電話してきたよ。『お母さんがすごく怒っていたって伝えてくれ』って」
駈君が呆れた顔をして「携帯、見て見なよ」と、バッグを指さす。
サイレントモードにしていたスマホは、今朝から何度も着信があったことを示していた。
「とりあえず、康之君が大丈夫だってことだけは連絡しておいたから。あとで電話しろよ」
「うん・・・ごめん。ありがとう」
弟は着替えも終わって、ベッドの脇の壁にもたれかかったまま、私たちのやり取りを目をつむったまま聞いている。
「じゃ、行こうか」駈君が言うと、弟が、「すみません」と頭を下げた。
頭を下げた瞬間、痛みが増したのか、眉間にシワを寄せた。
会計をお願いすると、入院したときは、弟は正体不明だったから、さかのぼって入院手続きや同意書などの書類を書くことになった。
一人部屋を使ったから結構いい値段の使用料を取られたりして、なんやかんや金額が高くなり、弟と顔を見合わせる。
何にも考えないで出てきた私は手持ちも少なく、弟も持ち合わせが殆んどなくて、結局二万円も駈君に借りることになった。
弟の財布の中身も存外少なくて、飲み代も支払えなかったのじゃないかと、ひやひやする。
『社会人としてどうなの?』と、口から出そうになったのを、駈君の前だからと飲み込んだ。
「ほんと、いろいろゴメンね」
「山口さん、すみません。ありがとうございます」
呆れた姉弟だと、駈君も思っていることだろう。
「どういたしまして」
駈君は平気な顔で微笑んでくれる。
三人で玄関を出る。
日曜の太陽がまぶしいラブホ街。
「ここか~!」
弟は声をあげた。
「?!」
姉としては、立ち並ぶホテルを見て、一瞬可笑しな想像をしてしまう。
「ここの病院ね。入ったら死ぬって言われてるんだ」
私は慌てて振り返って、受付の人たちに聞こえやしなかったか確かめた。
駈君がクスッと笑って車のドアを開け、助手席の座席を倒して弟に勧めてくれる。
「すみません」
弟は助手席に乗り込み、身体を横たえた。
私は運転手の後ろの座席へ。
ラブホ街の狭い道を通り抜け、再び弟のアパートへ向かう。
「いったいどれだけ飲んだら、こんなことになるの?」
目をつむっている弟に話しかけた。
「そんなたくさんは飲んでないよ。飲んだ酒が悪かったんだ」
「どういうこと?」
「ビールのあと、飲んだのが〇国の△酒だったんだ。たぶん、その酒の製法が悪かったんだと思う。お姉ちゃんも、僕が酒に強いの知ってるよね」
「うん・・・」
「その僕が、普通の酒を飲んで悪酔いするような奴だと思う?」
「じゃ、何?普通のアルコールじゃなくて、何か別の悪い成分が混じってたってこと?」
「たぶんね。とにかく、飲んでる途中で『これはヤバイ』って思ったんだ」
私はゾッとして、思わずバックミラーに映る駈君の目を見た。
彼は平然と前方を見ている。
「もし、そうだとしたら、本当に死ぬところだったじゃないの」
涙が浮かんで来る。
「夢の中で、何回も別の世界に行ったよ」
それきり、弟は黙り込んでしまった。
『別な世界って・・・』
私も黙って、外の風景を見た。
桜の花が咲き始めているのに、やっと気づいた。
アパートに着いて、初めて母に電話を入れた。
私の声を聞いて、母も安心したようだ。
「ゆうべは病院に泊まったの?」
思わず、そばにいる駈君の顔を見る。
正直に『康之のアパートで過ごした』と言おうとしたが、思いとどまった。
本当のことを言ったら、面倒なことになるのは、目に見えている。
「そうだよ」
駈君に、話しの内容が分からないよう、言葉を選んで返事をする。
「じゃ、落ち着いたら、また電話するね」
と、急いで電話を切った。
「雪乃はこれからどうする?」
駈君がベッドで眠っている弟の顔を見ながら聞いた。
「私、明日も休みだから、今晩泊まろうと思って」
「僕は帰っても大丈夫?」
「うん。じゃ、ちょっと近くで食事しましょうよ。お金も返したいし」
「また今度、落ち着いたら食事しようよ。お金もいつでもいいから。今日は康之君をよく見てあげて」
どこまでも駈君は優しい。
これ以上、彼の休日を無駄にさせたくないという思いもあった。
「そう?じゃ、そうさせてもらうね」
私は駐車料金だけでも支払いたいと思い、コインパーキングまで付いて行った。
「この時間の駐車料金って、こんななの?」
昼間のコインパーキングの値段にびっくりしていると、駈君はさっさと自分で支払って、帰って行った。
コンビニに立ち寄ってお金を下ろし、自分の食事と弟が口に出来そうな飲み物や食品を買って、アパートに帰った。
「お姉ちゃん」
弟はベッドの中から私を呼んだ。
「何?」
私は買って来た水を渡しながら顔色を見た。さっきより浮腫みは引いたみたいだ。
「山口さんと一緒に、今朝来たの?」
「え?」
つむっていた目を開いて、弟が私の顔を見る。
私が黙っていると、
「ゆうべのうちに来たよね」
「あのとき、気が付いてたの?」
「いや、看護師さんから聞いたから。ゆうべ、いらっしゃいましたよって」
「ゆうべって言っても、三時ごろだよ」
平気を装う。と言っても、何もやましいことなど無いが。
「それから、ここへ来たでしょう?」
弟は、また目をつむった。
「うん、着替えが必要だっていうから、取りに来たよ」
「少なくとも、四、五時間、山口さんと二人きりで、ここにいたでしょ?」
私は真正面からそんなことを言われ、羞恥を通り越して怒りを覚えた。
「だから何?なんで、やっちゃんに、そんなことを言われなきゃなんないの?」
怒気を含んだ声に、弟は眉根を寄せる。
「心配してるんだよ。山口さんとのこと。いったい、どうなってるのか。もちろん、お母さんも心配してるんだから・・・」
「何言ってるの。余計なお世話だよ。ゆうべ・・・っていうか、今朝はね、たしかに駈君とここにいたけど。駈君はコタツで、私はやっちゃんのベッドで、ちょっと横になったのが精一杯。何にも無いって。第一、もしかしたら、やっちゃんが死んじゃうかも、ってときに、バカなこと考えてる余裕は無いよ」
「そう?バカなこと考えて、実行に移しちゃえばいいのに。なんか、山口さん、可哀そう・・・ってか。
それより、このベッドで、お姉ちゃん、寝たの?キモッ!」
私は、ますます怒りがこみ上げて、
「まったく!それだけ口が動かせるんだったら、もう大丈夫だよね?」
と、立ち上がった。
「帰るの?」
弟の声の中に、ほんの少しだけだけれど、『心細さ』を感じて、振り返った。
「すっかり回復するまで、しつこく居てやるから、覚悟しといて」
思わず大きな声を出してしまった。
「・・・」
弟はしかめっ面をして、痛む頭を布団の中に潜り込ませる。
「ほんと、面倒くさいヤツ・・・」
私は聞こえるように、独り言をつぶやいた。
「誰が一番面倒なんだか」
布団の中からのくぐもった声に、私は反論する言葉を探した。