序章5
アリスは継いで「これと同じのがあの二人にも」と、言った。
「なんだろうね。的かな? 射的用の」
「こんな、凝った柄の的があるわけないでしょ。どう見ても魔法陣みたいな絵柄じゃない。アニメとかでよく見る」
「へえ……」
ハイジが不思議そうに、はたまた興味深げにアゴヒゲをいじった。
アリスはいぶかしさにまゆを歪めた。
「……なに?」
「いやなに、君の口からアニメとかいう言葉が出てくるのに驚いたのさ。君、アニメ鑑賞が趣味なのを隠したがってたように見えてたからさ」
アリスは一言も出ず、代わりに顔から火が出てるような気がした。頬から熱が上がってくる。
隠していた。ハイジの実力を認めているからこそ、彼にはバレないように特に入念に――
「――隠していたのになぜって顔してるね」
「そんな複雑な顔はしてないと思うけど?」
「うん。君の顔は澄ましてて可愛いよ? でもまあ顔だけじゃないからね。人は全身を使って喋ってる。そして、些細な行動に人の心理が表れる――」
ハイジは遺体の手を取り、人差し指を伸ばしてアリスに向け、指先をくるくると回した。
「――君みたいに素直な人間ならより簡単。心の鍵を開けるなんてちょちょいのちょいだ。それに、別に茶化さない」
「そういう風になるのが分かってたから嫌だったのに……」
「ははっ」
「ねえ、それより。真面目なお話しましょうか。なぜ貴方か私が狙われて、しかも回りくどく、付けてきた人を口封じで射殺したのかしら」
アリスは腕を組んで死体の方をあごで指した。
髪が頬をくすぐったので払い除ける。
部屋の隅にあるテーブルまで歩き、白い椅子に腰掛けて足組みをした。
ハイジもこちらへ近づき、向かいに座った。
窓の穴から細い風が音を立てて流れ込んでくる。
「うん。仮にこれが正真正銘の魔法陣だったとして、君はどう思う?」
アリスは喉を詰まらせた。魔法陣というか、ファンタジー系のアニメは特に造しが深い。とまではいかないが、あるていど嗜んでいた。
だが、これが魔法陣のようであるというのは、誰の目から見ても明らかで、むしろハイジが疎すぎるとしか思えない。
もっとも、アリスへのミスリードだった可能性もあるのだが、むしろアリス的にはその可能性しか考えていない。
性格が歪んでいて何を考えているのか読めない男だ。
わざとらしく思案するような顔をするハイジは、自分よりも深く予想立てが出来ているはずである。が、しかし。このようにいつもこちらの意見を聞いてくる。
「何らかの魔法で、遠隔から殺した」
「そう。あれが魔法陣なら、敵は何らかの魔法を使ったんだろう。どんな魔法かな? 火の魔法? 雷の魔法? 水の魔法? 今はなんだろうがどうでもいい。魔法にしろトリックにしろ、穴抜け問題はXとして考えて別のアプローチから答えを求めよう。なに、簡単な小中学生のX公式だよ」
思わず吹き出した。彼らしくて。
「……しばらくのんびりしたいんじゃなかったっけ?」
「事情が変わった。特治にも復帰だ。君もしばらくは寝られない日々が続くかもしれないね」
ハイジがやれやれと言って背を伸ばした。
翌日。掃除が行き届き小綺麗でガラス張りの扉、まるでドラマに出てくるようなオフィスで、鼻歌交じりにスーツを着崩した無精髭の男が扉を軽やかに開けた。
パソコンの起動音と、キーボードのタイプ音。エアコンと呼吸の微かな音。
男はパソコンに向かい合う女性の肩を叩いた。
赤髪でメガネを掛けた女性だ。
「やっほ」
女性が男の名を呼んだ。しかし、男はちっちっちっと陽気に人差し指をみせた。
「だから、ハイジでいいってば。その名前は嫌いなんだよ。アンジェちゃん」
「すみませんハイジさん。あと、天塚です。アンジェではありません」
ハイジはアンジェをあやす様に肩を何度も優しく叩く。彼女は煩わしそうに肩をいからせて拒み、頭を少しかいた。
ハイジは薄ら笑を貼り付けたまま、ディスプレイに視線を移した。
「うん。ところで、なにか分かった?」
アンジェが書類を渡す。
「ええ。被害者の身元が分かりました。まず赤い髪の男、大山賢治。二三歳。家族は弟が一人。運び屋や喧嘩師として生計を立てていたみたいです。あと二名は――」
「――ああ、いいよいいよ。この人でとりあえず捜査してみるから。一応書類用で調べてまとめといてくれればオーケーだからね」
ハイジはそれに軽く目を通して、アンジェの元を離れた。
携帯電話を取り出して、アリスの電話番号を表示させる。思い出したように振り返り、アンジェに声をかけた。
「あ、それと。亡くなった当日の行動を割り出して。監視カメラから。見つかったら僕の端末にデータ送ってね」
「了解しました」そう言ってアンジェはまた頭を少しかく。
「うん。頼りにしてるよアンジェちゃん。あと、彼氏と喧嘩したからってヤケにならず、早く仲直りした方がいい。なんていうか、あー」
ハイジは適切な言葉を探すようにオフィスを見回す。小綺麗なオフィスは嫌に事務的でインスピレーションを刺激してくれそうなものは何一つなかった。
「……シャンプーの匂い。安っぽいよ。昨日行ったラブホテルはオススメしない。何より君の肌に合わないみたいだしね」
そう言って、豚鼻を鳴らしておどけて見せた。