序章3
目覚めたらそこは、どこかのフロアの一室であった。異様に眩しいライトに冷たいフローリング。
目の前にはひょうひょうとした無精な中年と、おおよそ正反対な印象を抱かせる若く美しい女がいた。
赤髪の獲物だった。名前は聞かなくても分かっている。
アリスと、缶コーヒーと片手にタバコを燻らせるハイジだ。
アリスが腕を組みこちらを見下ろす。
形のいい胸が誇張され、一瞬置かれている状況すらも忘れて口説きそうになる。
そんな、美と色香の化身とも呼ぶべき女性は冷酷な口調で質問してきた。
「仲間はいる? 雇い主は? なぜこんな事するの? あぁ、最後の質問は別に答えなくてもいいわ。どうせ泣けるような理由を説いたとしても、悔い改める気はないし」
ハイジは彼女を横目でちらりと見て、貼り付けたような薄ら笑いを浮かべた。
赤髪は鼻で一瞥してこう言う。
「言うわけねーだろ? 拷問でもなんでもしてみろよ。こちとら中途半端な覚悟でこういう仕事してる訳じゃねーんだよ。そこら辺の素人と一緒にすんなよな」
アリスがクスリと笑った。まるで分かりきった答えに呆れているような、馬鹿にするような笑顔だ。
「そうね、自称プロなんてのは腐るほど見てきたし、あなたも例に漏れずそんなタイプの人間みたいね。ハイジ」
「うん。もう辞職してきたからしばらくは、ゆーっくりしたかったんだけどね。他ならぬアリスの頼みなら仕方ないっかー」
ハイジがタバコを缶コーヒーに入れて屈み、大きな音を立てて目の前に置いた。
フローリングとスチール缶がぶつかり合い耳をつんざくような音がした。
赤髪は努めて、ハイジから目をそらさないようにした。
ハイジは「ふむ」と一言だけ唸り、自分のアゴヒゲの感触を楽しんだ。
「強がりか、いや根本的に臆病……場馴れしてない。君さ、こんな仕事初めて?」
ハイジの笑顔は仮面のような無機質なもののように見えた。
赤髪は、ハイジから目をそらさない。いや、彼の全てを舐めまわすように観察する黒い瞳孔から目が離せないのだ。
「初めてか。リスクの覚悟なし。短絡的な性格。家族構成は……兄弟が一人」そう言って指を一本立てて見せた「兄か姉か……?」
ハイジがタバコに火を点けるため視線を反らす、と思ったらすぐにこちらを睨んできた。
「弟だね。それもかなり年下。肝心の依頼主は、何なら君の口から聞かせてくれてもいいんだよ? 観察するのすごく集中力使うからさ、脳が疲れるんだよね」
やれやれと言いながらハイジは、コメカミを押さえた。
「いいわ。ハイジ、次は私の番」
そう言うとアリスは、肩に蹴りを放ってきた。
しなやかな身体からは想像もつかないほどの重たい一撃に思わず苦悶の表情を浮かべる。
ただ、耐えれないレベルではない。
「へへっ。お姉ちゃん。力づくで吐かせたいならもっと強く惨たらしい痛みを与えないと無駄だぜ? 俺はこれでも裏の仕事で食いつないできてるんでね、多少の荒事は慣れっこなのさ」
「でも、こういう仕事は初めてなんでしょ?」
「それはこのおっさんが勝手に決めつけただけだろう」
「このおっさんが決めつけたんだから、そうなのよ。それにハイジじゃなくても分かる。あなたはただのチンピラ。使いっ走りの一人に過ぎないってことくらいはね」
「んだと?」
アリスの踵が頭頂部に添えられた。彼女は脚を思いきり引く。赤髪はその勢いに流されるまま、前のめりに地面へ顔をぶつけた。
受け身も取れないため、顔面を強打した。
「まあ、別にあなたに聞く必要はないんだけどね。ただ後ろの二人みたいになると、後処理とかが色々と大変なのよ」
アリスは凍てつくような声で言った。囁くように、それでいて聞き取りやすく。
「う、後ろ?」
赤髪は芋虫のように後ろを向いた。そして、目を剥いた。
そこには身に覚えのない二人の人間がいた。
顔はズタ袋で覆われて見えないが、男女一人づつ。血と内蔵をぶちまけて横たわっていた。