僕と不思議なダンジョン 『僕は腹ペコである』
意識が朦朧としてきた。視界が半分もやがかかったかのように霞んでいる。
次の階段まで果たして生き延びられるのだろうか。
1歩の歩みに必要なエネルギーが、僕から強引に生命力を奪っているのを感じる。
空腹という概念が飢餓に昇華した時、肺から息を吐ききると腹と背中がくっつくのだということを僕は生まれてこの方初めて知った。
これは、比喩ではない。
本当に身体の中がからっぽになると腹と背中はくっつくのだ。
それはまだいい。
まだ許そう。どうせ、仲間のいない独り身だ。
僕の腹と背中が物理的にくっつこうが、誰に見られるわけでもない。
オーケー。じゃあ、もっと深刻かつ緊急度の高い話に移ろう。
このダンジョンでは、飢餓状態になると1歩歩くごとにHPが1減ってしまう。
今のHPは32。
つまり、あと32歩歩けば僕は力尽きる。
32歩以内で何か食い物を拾わなければダメなのだ。
最悪、草でもいい。草なら10歩程度空腹を紛らわせることができる。しかし、どうやらこの部屋にはアイテムが何も落ちていない。
カチッ、何かを踏む音。僕は反射的にゲンナリする。
頭に水滴がポットンと落ちてきた。5のダメージ。
何故、水滴如きでダメージを受けねばならんのだ。
残りHPは20になってしまった。
ただ、地雷や大型地雷でなかったのは僥倖である。
やつらは、HPも大きく減らしてくるうえに、周囲のアイテムも蹴散らしてしまう。
それにしてもまだ、階段すらみつけれていない。詰んではいないが詰めろといっても差し支えのない状況になってきた。
まぁ、奥の手がないことはない。実は僕が食べ物を持っていないなどとは一言も言っていない。革袋の中に手を突っ込み、目的のブツを探し当てる。
僕はアイテム名「まずそうなパン」をまじまじと見つめる。
これを食えば僕は少しの間飢餓状態を脱却することはできる。しかし、腐っているため食べたくないのは山々だし、どんなバッドステータスが発生するかわかったもんじゃない。
しかし、選り好みしている状況では最早ないのだ。あと、20歩の命なのだと僕は勇気を奮い立たせる。
パクッ。
パンを一口齧ったと同時に思考が”混乱”した。足取りが千鳥足になったかのごとく定まらない。部屋を一直線に進むつもりが、不必要なマス目まで歩いてしまう。
罠を踏んだら終わる。意識が混濁する中でもそれだけはわかったので、足踏みして意識が定まるのを待つ。
「死ぬかと思った・・・」
思わず独り言が洞窟内の壁をこだまする。モンスターがいなくて本当に助かった。空腹を抑える代償が混乱のステータス付与。ただ、死のリスクを負ったおかげで、なんとか多少なりとも空腹は紛れたようだった。
しかし、これは一時しのぎに過ぎない。本当にそろそろ「大きなパン」か「巨大なパン」見つけないと、探索を続けるどころの騒ぎじゃなくなってしまう。
このダンジョンには、まともな食い物は「パン」か「大きなパン」か「巨大なパン」しかない。ようするにパンしかないのだ。大小が変わるだけでパンに変わりはない。もう少し、食べ物にリソースを使ってくれてもいいのにと僕は愚痴をいいそうになる。
さらに、パンは乾パンである。味はない。しかも水分を含むと「まずそうなパン」になってしまう。やれやれである。
こんな、現実世界では絶対食べるレパートリーに入らないようなパンが今の僕のライフラインなのだ。
僕はモンスター相手にアイテムをケチらず、どこまでも食料の確保を最優先に歩くこととした。「まずそうなパン」では空腹値が20程度しか回復しないのだ。すぐに飢餓状態に戻ってしまう。
途中、階段を見つけたが、まだ探索していない部屋があったので、食べ物があることに一縷の望みを託して部屋に向かって進む。
僕の願いが天に通じたのか部屋の隅に見知った形の食べ物が落ちている「パン」である。見まがうことなき「パン」である。このダンジョンでは、「パン」も「大きなパン」も「巨大なパン」も同じビジュアルによって表示される。だが、この際なんだっていい。とりあえず、目先の空腹値の回復こそが重要なのだ。
神はまだ僕を見捨ててはいない。
この薄暗いダンジョンによって常時鬱屈していた僕の気分が少し和らいだ。
助かった。安堵のため息が出る。
パンまであと一歩
地面からカチッという音がした。