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花鳥風月

作者: 田村山陽

 ------花鳥風月


 それは不変のもの。

 戦国時代、この言葉を愛するものがいた。

 

 千利休。

 天正18年、夏の暑さに耐えた花たちが一堂に色褪せるころ、利休はいつものように、客を招いてお茶を点てていた。

 今日の客は細川忠興。利休の弟子で丹後国の大名である。太閤豊臣秀吉との謁見後、利休の茶室を訪れるのが、忠興の習慣だった。

 「宗匠の点前、いつもながら感服いたします」

 茶道の一連の動作が終わった後、忠興はいつもこのような言葉をもらす。他の弟子たちも。利休は称賛の声を受けながらも、満足いく顔は一切しなかった。

 「私など、まだまだ未熟者です」

 「何をおっしゃいますか。未だ、茶の道において、宗匠に勝るものなどおりませぬ」

 利休は茶杓などを元に戻すと、正座の姿勢をとった。

 「未だ茶の道極まれず、です」

 忠興は自らの城に帰って行った。

 「相変わらず、謙虚でござるな」

 利休の茶室をみながら、そう呟いた。

 だが、どこか忠興の心の中で、利休と秀吉を対比させている部分があった。そして、この二人が表と裏、白と黒のように対立的関係であることにも、体全体で感じざるを得なかった。


 今から10年前のこと、利休は、自分の手前で織田信長公の御前で茶を賜っている一人の武将を、不思議な感動で凝視していた。その武将の名は、羽柴藤吉郎秀吉。この人物を、時折耳にしていたが、格別な関心を抱くこともなく、注意を払うこともなかった。だが、今、利休の前に現れた新しい人物は、利休の今までにあったどんな武将よりも、優れていた。

 挙措動作において、他の武将のような角ばったところがなく、穏やかだった。そして、どこか親しみのわく、優しさを持っていた。

 茶においても、誰に習ったのか、法に適っていた。

 茶器にたいしても恐ろしいほど目利きで、信長が堺衆から購入した名宝を、一つ一つ賞賛して行った。

 ところで、この当時、茶器がどれほど価値があったのか。例えば、こんな話がある。

 信長の家臣で滝川一益という人物がいた。

 一益は先の戦いで功績があったので、茶器が欲しいと信長に申し入れた。その茶器というのが、「安土名物」と呼ばれた珠光小茄子だった。信長はこの申し入れを断り、代わりに、上野一国と信濃二郡を与えた。だが、一益はそれでもまだ茶器のほうが欲しかったので、大変悔しがったという。

 このように、この当時、茶器は一国に値する価値を持っていたのである。

 話を戻すが、利休はこの大器溢れる若い武人に見惚れるように見入っていたが、どこか自分とは相容れないものを感じていた。

 「秀吉殿は茶がお好きなのですか?」

 「左様でござる」

 若い男は憎めない笑顔でそう答えた。

 「では、茶はなんと心得ますか?」

 この問いに若い男は答えられなかった。

 「奇怪に存じます」

 言葉が考えるより先に出てきた。

 若い男に対しての嫉妬心からなのか、競争心からなのか、突発的に、難しく深い質問をしてしまった。だが、この質問に対して、無回答。ここに、利休は憤りを覚えた。茶人として。

 「なぜ、そこまで茶道に精通していて、答えがないのですか?」

 つい、質問してしまった。

 「特に考えていませんでした。」

 意外だった。利休とこの男の違いが表にあらわれたのである。

 「ところで、あなたには答えがあるのですか?」

 「侘び寂びにございます」

 若い男は首を傾げた。

 「なるほど、では、私も答えを考えておきましょう」

 利休はこのとき、気づいていなかった。自分の前にいる男が天下人になることに。


 忠興と会ってから数日後、利休は自分の茶室である不審庵の露地に朝顔を植えた。

 苗はみるみるうちに成長し、蔓を出した朝顔は、毎朝色とりどりの色を魅せた。単なる思い付きでやったことだが、殺風景だった露地に、光が差し込むように点々と朝顔が咲いている様子は、利休をひどく魅了したのであった。

 一瞬の芸術であろうか、朝開いて何時も経たないうちに凋んでしまう花の儚さや、どこか楚々とした花の風情にも利休は美を感じていた。

 利休は何人か客人を招いて、これを鑑賞させた。

 その中に、古田織部がいた。

 織部は利休の弟子で、後に茶器製作、建築、庭園などで、「織部好み」と呼ばれる一大流行を世にもたらした男である。無論、後々まで、利休の美を継承していくことになる。

 「宗匠に、花を嗜む趣味があったとは」

 利休自身も内心驚いた。

 「数寄者なら、当然のことです」

 と、それらしい事を言った。

 「どうです。太閤殿下にお見せになっては」

 利休もこの提案にのった。

 「では、私が伝えておきましょう」

 それから一刻が過ぎ、織部ら客人は帰っていった。

 

 数日後、秀吉は織部から朝顔の話を聞いたらしく、

 「明日早朝、朝顔の花を見に行く」

 という言伝をよこした。

 利休の方も、

 「お待ちしております」

 という返事を使いの者にもたせてやった。

 が、秀吉を迎える少し前になって、突如、心が変わった。

 それは、露地の見事に咲いている朝顔を見て、何かが彼の神経を刺激したのである。

 全く、自分にも理解できないものだった。

 利休は暫くその場に立っていたが、やがてそこに咲いてある朝顔の中から一輪だけ摘み取り、茶室へ上がった。そして、それを床に活けた。

 その後、部下に他の朝顔を引き抜いてしまうよう言い付けた。

 利休はどこかで、10年前の出来事を思い出した。秀吉と初めて出会ったころ。その時と、同じ対抗心があらわれていた。秀吉に露地の朝顔をそのままの姿で見せる気持ちにならなかったのである。

 

 その翌朝、言伝通り、秀吉はやってきた。だが、期待に反して、どこを見ても朝顔は見当たらない。

 秀吉は不満そうな顔で茶室に入ってきた。

 が、茶室に入ると秀吉の眼は、床に活けられた朝顔に向けられた。

 それは自然で素朴な美しさではなく、利休の手によって変えられた全く別の美しさだった。

 周囲の空気から一線を画する凛とした美しさだった。

 「見事な一輪だな」

 秀吉は利休を激賞したが、利休は素直に喜べなかった。秀吉は心の奥底ではそんなこと思っていない、と半信半疑になってしまうのだ。

 「今度、儂の芸術も見せてやろう」

 そう言って、秀吉は早急に帰って行った。

 

 後日、秀吉から使いの者がきた。

 「大阪城に登城するように」

 との事だった。


利休は大阪城にやってきた。城下町は天下人の町だけあって、活気づき、商人たちの往来も盛んであった。そして、なによりも華美だった。

 利休は大阪城を門前で見上げた。天守閣には金箔が貼られ、高さは彼の安土城を凌いでいた。まるで、今の秀吉の心情を体現しているように大きく、華やかだ。

 (これが太閤様の芸術ですか)

 そう心の中で思いながら、一歩一歩大阪の階段を踏みしめた。

 ついに、利休は秀吉と謁見した。

 「よく、来たの」

 いつものように、親しげに話してきたが、今日は笑みが小さい。それに、やつれている。もう、昔のような壮健さはなかった。

 「太閤様は、そなたに黄金の茶室を見せたいとおっしゃておる」

 そう言ったのは、側に控えていた石田三成。最近の豊臣政権を動かしているのはこの男である。秀吉の弟である豊臣秀長は去年亡くなり、軍師黒田孝高は所領安堵という名の左遷を受けている。後者は、三成の策略であろう、と利休は考えている。

 利休自身も豊臣政権で活躍していたのだが、居心地が悪く、近ごろは身を引いて、不審庵に籠っているのである。最も、居心地が悪いのは、三成のせいである。

 「では、早速拝見させていただきましょう」

 三人は黄金の茶室に移った。どこかぎくしゃくして、妙な空気が漂っている。この空気の根源が秀吉なのか、三成なのか、それとも、利休なのか全く見当がつかなかった。

 バタンッ

 三成は立ち止まって、茶室の襖を開けた。

 そこに広がっていたのは、黄金。部屋の壁だけではなく、茶道具に至るまで。

 正直、利休の思った通りだった。

 「これが、儂の答えだ」

 北野大茶会の時もそうだった。黄金の茶室を持ち込み、人々に振舞っていた。

 利休は黄金という所にとやかくいうつもりはなかった。だが、この秀吉という男の前で一切妥協できない自分がいたのである。他の人とは生じない闘争心があったのである。それが、相手が天下人という理由ではない。初めて会ったときと変わらない、芸術家としての対立であった。

 「もう、結構です。退出さしていただきます」

 茶も頂くことなく、帰ってしまった。数寄者なら、茶を頂いて帰るのが当然の礼儀なのだが、利休はそんなことも忘れてしまっていた。途中の妙な空気を創っていたのは利休自身だったのである。


 それから、木枯らしが吹き荒れる季節になって、利休は堺に蟄居を命じられた。

 天下人にあのような横柄な態度をとったのだから、当然の理だが、これだけで終わる気はしなかった。

 利休に死罪が命じられるのも、最早、時間の問題だったのである。しかし、利休は静かに待つだけだった。

 

 堺は利休の故郷であるから、蟄居といっても、平穏な毎日が過ぎた。

 その間、利休は一人物思いにふけていた。

 真の芸術とはなんなのか。

 利休自身の芸術でもなく、秀吉の芸術でもない。何か別の物であると利休は感じていた。

 

 利休は毎朝、梅の世話をするようになった。暇であったのもあるが、何かヒントになるものがあるような気がしたからである。

 寒い季節だから、まだ蕾しか見れなかった。が、そんな花に利休は芸術を感じていた。

 蕾からは新しい息吹を感じ、春の訪れを待ち望むように静かに耐え忍んでいる。

 しかし、そんな蕾たちに反して、今年は堺に雪が吹き荒れた。

 そんな折、ある堺商人が利休の屋敷を訪ねてきた。

 「利休様に花を育てる趣味がおありとは」

 誰かの言い草にそっくりだった。

 「数寄者なら、当然のことです」

 と、いつ時と同じ返事をした。

 「そういえば、前ここに住んでいた方も梅を植えておられましたよ」

 利休は突然の告知に仰天した。

 (もしかすると、まだ種が埋まっているかもしれない)

 利休はその商人が帰ると、すぐ雪を掻き分け、梅の種を探した。

 無我夢中だった。手は赤く腫れ、肌は乾燥し、着物は雪まみれになった。

 そんな中、やっと見つけた。

 自分の植えていない場所以外で梅の芽を見つけたのである。その芽は小さかったが、力強さを感じた。そして、あの美しかった朝顔と同じものを感じた。

 利休は確信した。あの時、朝顔を処分してしまったのは、秀吉への対抗心でもなければ、自分の芸術への自尊心でもない。利休は朝顔の美しさに嫉妬していたのだ。


 これが自然の芸術。

 利休はしばらくの間、その場を動けなかった。


 数日後、豊臣から使者が来て、利休は京都に移ることになった。利休はその命に従うだけだった。


 京都への移動中、利休は弟子の古田織部と細川忠興に会った。二人とも、利休の助命のために、奔走していたのである。

 「宗匠!」

 忠興が一目散に駆け寄ってきた。

 「これは忠興殿、こんなところに居ては太閤様にお咎めを受けますぞ」

 忠興はそんな利休の注意に耳を傾けなかった。

 「宗匠!今ならまだ間に合います。私も同行しますので、どうか助命を」

 だが、利休は首を横にふった。

 「宗匠!私はまだまだ学びたいことがあるのです!」

 忠興は声を荒立てた。そんな忠興に利休は諭すように答えた。

 「忠興殿。もうあなたに教えることはありません」

 そこに後ろから織部が追いついてきた。

 「これからは、自然に学ぶのです。そう、花鳥風月。あなたちなら、きっと答えを見つけられるでしょう、それでは」

 利休は去って行った。

 「お待ちくだされ、宗匠!」

 だが、忠興の言を織部が制止した。

 「行かせてやれ、これは宗匠の芸術家としての意地だ。誰にも止めることはできんよ」

 その言葉に忠興は渋々動きを止めた。

 

 利休は京都に着いた。時を同じくして、石田三成も到着した。利休にとっては死の使者だった。

 二人は徐に部屋へ入った。

 「お役目御苦労様でございます」

 そういうと、利休は茶を点て始めた。

 「弁明する気はないのか」

 三成の言葉に利休は何も答えなかった。

 しばらくの間、奇妙な沈黙が続いた。聞こえるのは、何の躊躇もなく吹いている風だけだった。春のおとずれを感じさせる暖かい風だった。

 利休は点てる茶に渾身の力を込めた。そう、利休は芸術家を辞めていなかったのである。

(これが私の最後の芸術)

 そういう心持だった。利休の目は常に茶碗を凝視して離さなかった。

 茶が三成の前に出された。三成は無言で茶碗に手を伸ばした。茶碗に触れた瞬間、何かが三成の神経を刺激した。三成はこの今までに感じたことのない感覚に恐怖した。

 茶を飲み干すと、三成は、おのずから利休に頭を下げていた。


 それから数日経って、利休の切腹の日が来た。

 屋敷の周りには豊臣の兵士たちが囲んでおり、最早、逃げることもできない。そんな渦中の真っただ中において、利休の気持ちはとても穏やかだった。

 (この世のものは、いつかは消滅する。だが、花鳥風月は消滅することはない。また、いつか巡りあえる)

 利休は静かにその生涯を閉じた。享年70。

 だが、彼の愛したものは今も生き続いている。たとえ文化が変わろうとも、政権が変わろうとも、そして、これからも。

 

 いつまでも、不変であれ。 



 

この作品は歴史小説と言っても、フィクション性が高いです。しかし、利休は本当にこんなことを考えていた、ぼくはそう考えます。僕が最近聴いた音楽に花鳥風月というものがあります。正直、今回の話はその音楽に感銘を受けてつくりました(笑)この話を読んで、改めて、日本の文化のよさを感じていただけたら、うれしいです!

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