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お父さんは公園デビューをするぞ:後編

 いきなり話しかけられて驚いたのか、女性は思わず肩を跳ねさせる。振り向けば若い男性がベンチから声をかけてくる姿が視界に入る。


 傍らには自分の子と同じぐらいの赤ん坊…礼二の意図を理解しパッと笑顔になると女性は礼二の側に歩み寄り、少し腰を屈めた。


「こんにちは。えと…そちらのお子さんはうちの子と同じぐらいかしら?」

「じゃあ1歳ぐらいの?男の子ですか?」

「ええ!ええそうなの!うちも1歳半なんです!男の子同士、仲良くしてくれればいいですね。」

「あはは、そうですね。えーと…」


 女性と違い、礼二は上手く会話出来ない。ママ友とは一体何を喋ればよいものなのか。ようやく得た会話相手に浮かれる女性に愛想笑いを浮かべると、礼二はそのまま沈黙してしまう。すると女性は地面に子供をちょこんと座らせた。


「地面に座らせるのは赤ん坊にとって大事な事なんですって。風を感じて、土や花の匂いを感じて、手に触れて…そうやって私たちには分からない程沢山の情報を得るらしいんですよ。ネットの受け売りですけど…」

「へぇ…」


 それならばと礼二も光を地面に座らせる。すると光は早速一緒に座った赤ん坊に興味を持ち、じっと見つめ始めた。これも大人には分からない情報収集の一つなのだろうか。


 女性は礼二に促されるままベンチに腰をかけ、一つ深い溜息を吐いた。


「駄目ね…理論ばかり言っちゃって。ネットでいくら正しい子育て方法を検索しても、実際はその通りに上手くいかないのに。」


 それは物凄く共感出来る。自分も子育て方法は全てネットで拾ってきた。たまに葉月が手伝いに来るだけで、この一年はまともに外にも出ていなかった気がする。


「忙しい主人には相談も出来ないし…。だから今日は思いきってこの公園に来たんです。他のお母様方と会話をすれば、少しは力になって貰えるんじゃないかなって。」

「ああ…よく分かりますよ。俺もそのクチです。母親無しで、本当に上手く育てられるのかと度々不安になりますから…。」


 ママ友というのは、こういう積もった悩みを言える相手なのだろう。同じ年頃の母親というだけで、礼二はつい自分の中の悩みを口にしていた。


「あら…奥様は?もしかして…」

「そうですね…生きていれば文句の一つも言ってやりたいとこなんですけど。まぁ、もういないんですけどね。」


 自分に赤ん坊を押し付けるような女に興味はない。どこぞで生きてるんじゃないのか、程度の意味合いでの発言だった。


 だがここで、女性の問いと礼二の理解にズレがある事に気付かず。何やら女性は目に涙を浮かべ、口を押さえて震えている。


「っ…まだお若いのに奥様に“先立たれた”なんて…っ…!」


(…ん?)


 ここでようやく気付き、訂正しようと手を彷徨(さまよ)わせながら口を開きかけるも、女性はそれを遮るかのように礼二の片手を両手で握り込む。


「貴方まだ20歳そこそこでしょう!?お若いのに苦労されてたのね。ごめんなさい…私だけが不幸だっていつの間にか勝手に思い込んでしまってました。」

「え…いや、別にそういう訳じゃ…」

「そうですよね!世の中には私よりも苦労なさってる方が沢山居るんですよね。あなたみたいに…!」


 女性は相当思い込みが強いようで、礼二が『妻に先立たれた可哀想な独身青年』に見えているらしい。


「分かりました!私、精一杯貴方達親子のサポートをします…!」

「いや…だから別に俺…いや僕は…」

「いいんです…!お辛いでしょうが、今は前向きに生きて下さい。」


 …どうしよう。全く話を聞いてくれない。


「私、遠藤円(マドカ)と申します。」

「えーと…俺は木宮礼二。で、こっちが光…」


 自己紹介の流れにうっかり流される。まぁもういいかそれでも…女の所在を問われても面倒だ。


 女性が自分の息子を紹介しかけた矢先、ふと鳴き声がして下を見下ろす。見れば光が女性の子の髪をグイグイと引っ張っていた。


「うぇぇ~!!まぁあ~!!」

「まぁ…翔ったら弱虫なんだから。…よしよし。」


 礼二は慌てて謝罪しながらしゃがみ、片手で光の頭を叱る代わりにツンとつついた。


「…めっ。駄目だろう光。」


 未だに『まぁあ』と泣く女性の息子…翔君だったか?その子に視線を遣ると女性と視線がぶつかった。


「ふふ…うちの子かなり早めに喋ってくれてて。これ、一応ママって言ってるのよ。多分ね。」


(ママ…だと。)


 思いがけず衝撃が走った。まだ自分は光にパパと呼ばれた事もないのに、他所の子供はもうママと呼んでいるのだ。


 この子に出来てうちの子に出来ないはずがない…!


 礼二は光の両肩を掴み、思わず詰め寄った。


「光…“パパ”だよ!言ってご覧。パパ、パパ、パパ、パパ…」

「あ…あの、木宮さん…?そんな急に喋ったりは…個人差もありますし。だいたいは2歳までに口にしますから…。」


 だが礼二は挫けない。謎の呪文のように真顔でパパを連呼する。すると光が口を開いた。


「ぱ…」

「……!」

「ぷぁ……」

「っ…そうだ光!パパ!」


 遂にこの瞬間が…!礼二は慌てて携帯を取り出し録画ボタンを押した。





「ぱ…んつ…」

「……………」





 そっと、録画をヤメて携帯を閉じる。この頃の子供が意味のない言葉を話すなんていつもの事だ…意味ある最初の言葉がパンツだなんてあり得ない。絶対だ…!


 その後、遠藤親子は何やら逞しい父親に連れられて帰宅。自分も帰るかと光を抱き抱えた。


「ぱん…」

「駄目だ!」


 パパと言うまで、これからは断固として“パンツ”は喋らせない。決意も新たに礼二は眉間に指を宛て気持ちを鎮める。




 ふと木陰の隙間から日射しが差し込み、眩しさに一度目を伏せる。そのまま礼二は昼下がりの空を目を細めながら見上げ、まだ見ぬ未来に想いを()せた。


 将来、光もランドセルを抱えてあの子と一緒に学校に通うのだろうか。


 一緒に自転車であちこち遊んで回って、たまに悪さをして俺に怒られるのかも。


 少し大きくなって今の自分と同じ年になった時、きっと幼馴染みのあの子とお酒を飲みながら語るのだろう…将来の夢を。


 きっと真っ当な仕事をして、真っ当な恋愛をして、皆に祝福された幸せな子供を授かる。そう、だから…


「お前は俺に似るなよ…光。」


 理解したか否か、光は礼二の頬を摘まんで笑った。







 ******






 余談だが、数年後学校の宿題で『自分を知る』というアンケート用紙が配られる。


「なぁ、俺の初めての言葉って何…」

「パパ。」


 食いぎみに礼二は答える。


「本当にパ…」

「パパだった。」

「あ…うん……。」


 異様な剣幕の父親。数年後、こんなやり取りが二人の間にあったとか無かったとか。





 

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