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8、準備中














 桜の時期が過ぎ、だいぶ暑くなってきたころ。夏至祭が近づいていた。この時期になると、皇帝の珀悠も、皇后である瑛も忙しい。


 通常の執務に加え、夏至祭の準備を進める珀悠。やはり、いつものように慧峻に勉強を教えながら夏至祭の手配をする瑛。似たような状況であるが、瑛の方がやや余裕がある。皇帝より皇后の方が仕事が少ないのもあるが、瑛の明晰な頭脳が夏至祭の手配にいかんなく発揮されているためだ。


 出席者の確認に、演目の確認。振る舞う料理や酒の確認に、出席者の席順。皇帝の名で開かれる夏至祭であるが、実際に取り仕切っているのは皇后である瑛だった。


「一応、前回の記録を頼りにやってるけど、初めてだからよくわからないわ」


 過去の資料片手にそう言う瑛に、珀悠はさらりと言ってのけた。


「俺だって初めてだよ。俺が登極したの、去年の夏だし」

「そう言えば、そうだったわね」


 珀悠が登極したのは去年の晩夏だ。夏至祭は初夏に行われるため、珀悠も参加するのは初めてだと言う。禁城に住んでいれば招待されることもあるが、珀悠は幼いころに後宮を出たし、これまで招待されることはなかった。瑛は言わずもがな。招待状は来ていたのかもしれないが、参加したことはない。

 瑛は自分の膝に寝転がっている珀悠を見下ろした。


「記録を見る限り、去年はやってないわね。あなたが戦の準備をしていたから、そんな余裕なかったのかしら」

「どうだろう? 兄はそう言った華やいだことが好きだったから、できるならやったと思うけど」


 先帝は珍しいものが好きだった。権力もその一つで、自分の力を誇示するために様々な行事を行った。

 当時の夏至祭は、未婚の女性で美しいものがいると聞くと、連れてくるように皇帝が命じていたらしい。それってどうなの、と瑛は呆れるばかりである。そして珀悠がそんな皇帝でないことにほっとする。

 去年、夏至祭をしなかった理由は不明だったが、とりあえず置いておこう。今年の夏至祭のことである。


「正直、宮廷行事がこんなに面倒だとは思わなかったわ」


 皇后として行事の計画を立てるのは初めてではないが、面倒なものは面倒だ。


「あー、俺も。気がおかしくなりそう」


 そう言いながら、珀悠は瑛の膝の上で寝返りを打った。瑛は彼が落ちないように彼の頭に手を置いた。珀悠はへにゃりと笑う。


「ちょっと気分いいかも……」

「……やっぱり、あんた一回死んだ方がいいんじゃない?」


 こんなことをされて喜ぶとは。いや、思わず甘やかしてしまう瑛も瑛であるが。だが、腹に顔を寄せられて、さすがに瑛は珀悠の頭を殴った。


「痛っ。前から思ってたけど、文姫! 皇帝に対する扱いじゃない!」


 むくっと起き上がった彼は、拳骨を落とされた頭頂部をさすりながら言った。瑛はけろっとして言う。


「皇帝だろうが何だろうが、珀悠は珀悠でしょう。ふざければ怒るに決まってるでしょ。あと、私は瑛」


 本当に、何度訂正してもこいつは瑛を『文姫』と呼んでくる。そろそろあきらめた方がいいのだろうか。

 結構きついことを言ったのに、何故か珀悠は嬉しそうに笑った。真正面から瑛に抱き着き……いや、抱きしめる。


「だから、君が好きなんだよ」

「はいはい」


 首筋に鼻を擦り付けてくる珀悠の背中を軽くたたいてやる。ふと目を上げると、ちょうど入室してきた玉蓮と目が合った。


「……っ」


 顔を真っ赤にした玉蓮はそのまま部屋を出て行った。


「……何か用があったんじゃないかしら」


 そばにいた彩凜に尋ねるも、彼女に呆れた様子で言われた。


「この状況で部屋に入るのは、年若い娘には難しいでしょう」


 年若いと言っても、燕旺国に置いては、玉蓮はもう結婚していてもおかしくない年齢だ。ただ抱きしめあっているだけなのに、何故入りづらいのだろう。そう思うあたり、瑛も常識からずれている。


「……瑛様。ご自分が今、どういう状況か、本当にお分かりですか?」


 確認するように言われたが、瑛としては甘えてくる珀悠を甘やかしているだけなので答えようがない。彩凜と問答している間に、珀悠が瑛の胸に頬を摺り寄せてきた。


「やめんか」


 とりあえず、もう一度皇帝の頭を殴っておいた。
















 夏至祭まであと数日、と言うところで問題が発生した。


「大変だ! 文姫!」

「どうしたの? というか、瑛だってば」


 あわてた様子で瑛の部屋に駆け込んできた珀悠は、まず瑛の体を力いっぱい抱きしめた。あまりにも強く抱きしめてくるので息が苦しく、瑛は思いっきり彼の足を踏んだ。


「痛っ」

「こっちも痛いっつーの! それで、どうしたの?」


 届けられた報告書を集めながら瑛が尋ねると、珀悠は泣きそうな顔で言った。


「夏至祭の演目が決まらない……」

「……ああそう」


 どんな大問題を持ち込んできたのかと思っていた瑛は、拍子抜けして冷たくそう言った。珀悠はそんな瑛にすがる。


「文姫~!」


 その情けない声に、こちらも忙しいのに! と思いつつ、瑛は尋ねた。


「何が候補に挙がってるの?」

「何とか二つまでに絞ってきた。『天華てんが』か『李皇后りこうごう』」

「うわ。また極端な……『天華』を推薦しているのは劉太師、『李皇后』を推薦しているのは䔥宰相でしょう」

「さすがは文姫だね!」

「褒められてもうれしくないわ」


 考えれば単純なことなのだ。簡単にあらすじを説明すると、『天華』は魔物を英雄が倒し、皇帝となる演目。『李皇后』は最上の治世を敷いたと言われる皇帝とその皇后の愛の演目である。


 主に、『天華』は戦争を、『李皇后』は平和を示すと言われている。つまり、劉太師は、このまま珀悠の御代が続けば戦争が起こると言いたいのであり、䔥宰相はこのまま珀悠の御代が続けば安泰だ、と言いたいのだ。


 瑛は持っていた扇で顎をたたく。眼を閉じて少し考え、結論を出した。


「……私は、『天華』を採用すればいいと思う」

「……それは、今のところ、劉太師と俺の考えが同じだから?」


 珀悠は先帝の子である慧峻が帝位を継げばいいと思っている。そう言う意味では、彼と劉太師の考えは同じなのだ。しかし、そう言うことではない。瑛は少し扇を開き、ぱちん、と閉じた。


「『天華』は、一般的に戦争を意味していると言われているけど、他の解釈もあるのよ。魔物を倒す、英雄伝。つまり、愚王を廃し、英雄が玉座につく。そう言う物語とも受け取れるの」


 この場合は魔物が先帝、英雄が珀悠。珀悠が先帝を倒し、玉座につく。今のところ、珀悠の登極は帝位の簒奪とみられることが多いが、先帝が暗愚であった、と印象付けられれば、その帝位の正当性を主張できる。

 というわけで、瑛は『天華』を演目に押したのだ。珀悠が「なるほどー」とのんきな声でうなずいている。瑛は時々、彼のことが心配になる。育て方を間違えただろうか。


「じゃあ、『天華』にしておく。でも、䔥宰相が納得するかな……」


 不安そうな珀悠を見て、瑛はまた扇を少し開き、ぱちん、と閉じた。そのまま左手のひらに扇を打ちつけて言った。


「納得するわ。彼なら、あなたが演目の選択に悩んで、私に相談するところまでばっちり予想しているはず。そして、私が『天華』を推すこともわかっていると思うわ。というわけで、全く問題なし」

「え、じゃあ、なんで宰相は『李皇后』を推してたの?」


 瑛は自分より頭一つ分ほど背の高い珀悠を見上げた。いつの間にかこんなに大きくなっていたが、中身はあまえたがりの少年のままだ。


「劉太師の発案を推すようなまねはできなかったんでしょう。一応、劉太師と䔥宰相は政敵だもの。二人がけん制し合っているから、この国の行政は保ってるのよ。わかってる?」


 若干きつめの口調になってしまったためか、珀悠はうなだれて「はい」と小さな返事をした。さすがにかわいそうになった瑛は、珀悠の胸を扇でたたき、下から見上げるように彼の顔を覗き込んだ。相変わらず、腹が立つほど整った顔をしている。


「まあ、大丈夫よ。あなたはよくやってるわ。あなたは皇帝なのだから、あなたが最善だと思う方法を取ればいいの。相談してくれたら、私も一緒に考えてあげるわよ。職分外だけど」


 政治に手を出すのは皇后の職分外だ。これは確実。しかし、悩んだ時に道しるべとなる存在がいる。瑛は、珀悠にとってのそんな存在でありたかった。

 至近距離で珀悠と瑛が見つめ合う。珍しく、瑛がにこりと笑った。


「大丈夫。あなたなら、できるわ」


 少し背伸びして、瑛は珀悠の頭をなでた。珀悠は驚きの表情でされるがままになっている。


 じっと珀悠が瑛を見つめてくる。瑛も、珀悠を見つめ返した。はたからは、見つめ合っているように見えるだろう。

 珀悠の大きな手が瑛の頬に触れた。何度か頬を撫でるように手を動かし、包み込むように当てる。瑛がじっと様子をうかがっていると、珀悠の顔が近づいてきた。思わず顎を引く。

 だが、強引に顔を上げさせられた。鼻先が触れるか、と言うところまで来たとき、珀悠は不意に進路変更を行った。着地点がずれ、彼の唇は瑛の頬をかすめた。



 口づけられた。



 瑛がそう思うより先に、珀悠の顔が離れて行った。珀悠は何事もなかったかのように笑う。


「ありがとう。じゃあ、仕事終わらせてくる」


 いつも通りの珀悠にほっとしながら、瑛もいつも通りに言う。


「どういたしまして。無理しないのよ」

「はーい」


 いくつだ、と言うような返事をする珀悠を見送ったところで、瑛は無意識に珀悠の唇が触れた頬に触れた。


 なんだったのだろう。あの時、珀悠が『珀悠』では無く見えた。もっと別の人。そう。愛すべき弟ではなく、まるで男の人のような……。


 そこまで考え、瑛はその考えを頭の隅に追いやった。そんな事、あるわけがないと思ったのだ。


「いいところだったのに」

「玉蓮がいましたら、また真っ赤になっていましたね」


 寧佳と彩凜が冷静に言った。いや、寧佳は完全に面白がっているけど。


「どうしてあの状況で赤くなるの」


 瑛が尋ねると、寧佳と彩凜がこれ見よがしにため息をついた。


「瑛様。瑛様って頭いいですけど、時々とんでもない常識はずれだったりしますよね」

「どう見ても夫婦、もしくは恋人同士のやり取りでしたよ。まあ、赤くなるほどではありませんが、玉蓮は純情ですから」


 純情で後宮女官が務まるのだろうか。瑛は疑問に思ったが、そのあたりは彩凜が教育するだろうから放っておく。


「自分が変人なのは認めるけど、どこをどう見たら私と珀悠が夫婦に見えるの……いや、夫婦だけどさ」


 言いかけて、すでに結婚していることを思い出した。形式上とはいえ、瑛は珀悠の妻だ。しかも、子供がいる。

 瑛の発言に再び寧佳と彩凜がため息をついた。その時。


「皇后様ーっ!」

「これ! 玉蓮!」


 どこかで聞いたようなやり取りだった。駆け込んできた件の玉蓮に、それをたしなめる彩凜。確かに女官としてありえない行為である。後宮内は走行禁止である。


「申し訳ありません。皇后様、彩凜様、寧佳様!」


 一通り謝った後、玉蓮が叫んだ。


「皇后様、大変です!」


 だから、何が大変なのか説明してくれ。




















ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


この話、皇帝夫妻も残念ですが、女官たちも残念かもしれない。

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