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7、劉太師

しょっぱなからふざけているかつ、やや煽情的です。













 翌朝、瑛はいつもより少し遅い時間に覚醒した。窓から朝日が差し込んでいる。少し頭が痛かった。ゆっくりと目を開いた瑛は、誰かに抱き込まれていたことに気が付いた。もちろん、皇后である瑛を抱き込んだまま眠る人間など、一人しかいない。


「ちょっと。起きなさいよ、珀悠」


 情緒のかけらもなく瑛が目の前にある胸板をたたいた。珀悠は「んー」と寝ぼけた声をあげて、さらに強く瑛を抱きしめた。私は抱き枕ではない!


「ちょ、苦しい……!」


 いかな変人・瑛であろうと、成人男性に力の限り抱き締められれば苦しい。しかも、足が絡まり合っていて、夜着がはだけていることにも気が付いた。


「苦しいって! 珀悠、起きてるでしょう!?」


 確信を持って言うと、「もう少し」といつもののんびりした口調で彼は言った。そして、瑛の頭を抱き込み、反対の手は彼女のむき出しの大腿を撫で上げ――――。


「っ! いい加減にしなさい!」

「がっ」


 瑛の頭突きが珀悠の顎に決まった。














 朝っぱらから騒がしい皇后の部屋に、さすがに心配した彩凜が様子を見に来た。その時はまだ珀悠は瑛を抱きしめたままで。


「まあ、失礼いたしました」


 彩凜はそう言って空けた扉を閉めた。って、ちょっと待って!


 起き上がろうとしたが、絡まっていた足がしびれて動けなかった。自分の手でぎゅっと押さえつけるがしびれは引かず、瑛は涙目になった。


「朝っぱらから何してるのよ! ほかにもっと抱き心地がよさそうな妃嬪がいるでしょうが!」

「いや、文姫なら怒らないかなーって」

「怒るわよ、さすがに!」

「うーん、でも……」


 珀悠の視線が舐めるように瑛の全身を這った。足がしびれてうまく座れないので、手をついて身を起こしているためにしどけない格好だ。夜着もかなり乱れ、足は大腿のあたりまであらわになっているし、襟元もはだけている。


 それでも、劣情を抱かせるほど瑛の体は魅惑的ではないと思ったのだが……。


 珀悠の指が瑛のしびれた足をつーっとなでた。瑛は悲鳴を上げる。


「ふぁぁあんっ」

「!?」


 驚いた珀悠が身を引いた。そして、再び扉が開いて彩凜が顔を出した。


「どうなさいました!?」

「あ、いや。何でもない」


 あわてたようにそう返した珀悠に、瑛は本日二度目の頭突きを食らわせた。













「ひどいよ、文姫……」


 若干赤くなった顎を撫でながら、珀悠が悲しげに言った。瑛はふんっ、と鼻を鳴らす。


「私も額が赤くなったんだからおあいこよ」

「そこで、『自業自得よ』って言わない辺り、文姫だよねぇ」

「どういう意味?」


 いぶかしげに尋ねると、珀悠は「そのままの意味」と言って笑った。瑛は眉を顰めながら、珀悠の髪に櫛を通した。

 ときどき、瑛はこうして珀悠の髪を結っている。男のくせに肌触りのよい髪をしていて腹立たしい。

 珀悠の髪を器用に結い上げ、瑛も身支度を簡単に整える。本格的に着飾ろうと思ったら時間がかかるため、朝餉に出られるくらいの恰好だ。せっかくなので慧峻を呼び、親子三人で朝餉だ。


「おはようございます。父上、母上」

「おはよう、慧峻」

「おはよう。よく眠れた?」


 丁寧にあいさつをする慧峻に、珀悠も瑛も頬が緩む。実の子ではないが、この二人も大概親ばかである。瑛の問いに、慧峻は恥ずかしげに「はい」と答えた。どうした。早い思春期か?

 まだ少し頭が痛いので朝餉は粥にしてもらった。それを見た慧峻が心配そうに尋ねる。


「母上。どこかお悪いのですか?」

「ああ、いいえ。大丈夫よ。ちょっと食欲がないだけ」


 ニコリと微笑むと、慧峻はほっとしたように「そうですか」と笑った。珀悠が小さく「二日酔いか」とつぶやいたのも聞き逃さず、卓子の下で珀悠の足を蹴った。


「慧峻は今日は何をするの?」


 珀悠が食後に麻球マーチュウを食べながら尋ねた。慧峻も麻球を食べつつ答える。


「今日も午前中はお勉強です。午後からは庭で剣の稽古をしようと思っています」


 それを聞いて、一人だけ杏仁豆腐を食べていた瑛は口の中のものを飲みこんで口をはさんだ。


「今日は、外に出るのはやめておいた方がいいわ。雨が降るから」

「そうなんですか?」

「出た。文姫の天気予報」


 慧峻が首を傾げ、まただ、とばかりに珀悠が言った。瑛は匙ですくった杏仁豆腐をのどに流し込み、再度口を開く。


「午後からは確実に降るわよ。風も強くなってきたし」

「……でも、とってもお天気がいいですよ?」


 慧峻が玻璃の窓から外を見ながら言った。瑛と珀悠も空を見るが、瑛はやはり断言する。


「いいえ。降るわ。まあ、やりたいなら外で稽古してもいいけど、雨が降ってきたら中に入ってくるのよ」

「……わかりました」


 何となく釈然としなさそうな慧峻だが、母の言うことには従ってくれるようだ。たぶん、庭で稽古を始めるだろうが、雨が降ってもぬれねずみになる前に戻ってくるだろう。慧峻にやる気があるので、瑛は強くは止めなかった。


「文姫の天気予報、当たるからなぁ。それ、実際のところどうなってるの? 勘なの?」

「違うわよ。ただ、統計学に基づいて予測してるだけ」

「……意味が分からない……」


 理解するのを断念した珀悠に、瑛は肩をすくめた。別に理解してもらおうとは思わない。まあ、理解してくれたらうれしいなぁ、とは思うけど。
















 朝餉の後、珀悠は執務に向かい、瑛はしっかりと身支度を整え直した。瑛も女性であるため、きれいな格好をするのは好きだが、皇后ともなると正装が重すぎる。今は普段着なのでまだましだが、人前に出るときに皇后がみっともない恰好ではいられないので、出歩くときはいつも豪奢な格好になる。


「肩こりそう」

「そうなれば、揉んで差し上げます」


 瑛のつぶやきに、彩凜が間髪入れずに答えた。瑛は苦笑して「ありがと」と答えた。

 午前中はいつものように慧峻に勉学を教え、一緒に昼餉を取り、午後になった。昼餉を食べている間に雲行きは怪しくなってきており、ついに雨が降り出した。手慰みに琵琶を奏でていた瑛は、玻璃の窓から空を見上げた。


「春の雨が桜を散らしてゆく。その雨音は、夏の足音」


 ポロロン、と琵琶をかき鳴らす。そこに、興奮した様子の慧峻が駆け込んできた。


「母上」

「どうしたの、慧峻」


 笑みを浮かべて尋ねると、慧峻は興奮した様子のまま言った。


「本当に雨が降ってきました! 母上の言った通りでした! すごいです、母上!」


 心からの称賛に、瑛も心からの笑みを浮かべる。


「あらあら。そんなに褒めても何も出ないわよ」


 そういいながら、慧峻の頭をよしよしとなでてやる。ほめられれば、悪い気はしない。


「慧峻、稽古の途中じゃないの?」

「あっ、そうでした」


 どうやら、瑛の予報が当たったことに興奮して稽古を抜けてきたらしい。かわいいなぁ、と思いながら、「失礼します」と出ていく慧峻を見送った。

 慧峻が出て行った後、部屋には静寂が降りる。瑛が奏でる琵琶の音だけが響き、彩凜や寧佳はその音色を心地よく聞いていた。


「彩凜様」


 女官が一礼し、女官長である彩凜を呼んだ。よくあることなので、瑛は気にせずに琵琶を奏で続ける。しかし、「瑛様」と呼ぶ彩凜の声に演奏を中断した。


「どうしたの?」

「劉昭容と劉太師がお見えなのですが、いかがいたしましょう」

「……」


 先ほどの女官は、これを相談しに来たらしい。劉昭容なら問題なく通しただろうが、劉太師が一緒だとどうなるかわからなかったのだろう。瑛は即決した。


「いいわ。通しなさい」

「かしこまりました」


 彩凜が一礼し、劉昭容たちを呼びに行く。瑛は近くにいた女官に琵琶を預け、寧佳に身なりを確認してもらい、簡単に着衣を整えた。


「失礼いたします」

「失礼します、皇后様」


 劉昭容と劉太師が入ってきた。名字からわかるかもしれないが、この二人は血縁にある。もっと端的に言うと、祖父と孫娘だ。


 劉太師は先帝、つまり、珀悠の異母兄の母親の兄にあたる。彼は甥である先帝をかわいがっており、先帝を追い落とした珀悠を良く思っていないのは明白だ。孫娘である劉昭容も、そんな祖父の考えを受け継いでいるのだろう。珀悠を皇帝と認めていない節がある。


 そんな二人が、何をしに来たのだろうか。


「お久しぶりですね、劉太師。劉昭容も、そろって何のご用かしら」


 表情無くそう問えば、劉太師は胡散臭い笑みを浮かべた。


「慧峻様のご様子を拝見しにまいりましたので、皇后様のご機嫌伺いにでもと思いまして」

「ああ、そうなの。元気だったでしょう、慧峻は」

「ええ……しかし、慧峻様はあなたのような方に呼び捨てにされるような方ではありません」


 あくまでも笑顔で言い募る劉太師に、劉昭容も困惑気味だ。こっそりと瑛を見上げるように様子を見た。


「……なるほど。しかし、わたくしはあの子の母親なのでね。母親と認識されている以上、わたくしは慧峻の母親として振る舞う。あの子はわたくしを実母だと思っているようだからね」


 これは事実だ。生まれてすぐ母親を亡くした慧峻は、産みの母を知らないのである。実父である先帝もあまり彼を気にかけなかったようだから、珀悠の子とも実の親だと思っているようだった。

 彼がそう思っているのなら、それでいい。珀悠も瑛も、そう言う風にふるまう。

 いつか、彼は気づく日が来るだろう。自分が、珀悠と瑛の実の子ではないと。しかし、それは今でなくていい。まだ五歳である慧峻は、愛情をいっぱいに受けて育つべきなのだ。


「あなたが何を考えていようと、わたくしには関係ないわ」


 瑛はきっぱりと言った。珀悠の妻となった以上、彼女は彼の考えに追従するつもりだった。


「わたくしは、慧峻の母親としてこの後宮に入ったのだから、その役目を全うする」


 それが、瑛に与えられた職務なのだ。劉太師は目を細めて言った。


「あなたは、慧峻様の母親ではあるが、皇后ではない。同じように、珀悠様は慧峻様の父親であるが、皇帝ではない。それをゆめゆめお忘れなさるな」


 あくまでも皇帝として認めない。劉太師はそう言っているのだ。瑛はため息をつきたくなるのをぐっとこらえた。劉太師は頭が悪いわけではないのに、直接的過ぎる。䔥宰相のように裏から手をまわす、と言うことも覚えるべきなのだ。

 慧峻は劉氏の血を引く。もしも、珀悠と瑛の間に子ができ、その子が皇帝になれば、劉氏は皇帝の血族からはじき出される。劉太師はそれを危惧しているのかもしれない。万が一の時のために、孫娘を後宮に入れたのだろう。自分は、慧峻を祭り上げようとしているのに。


「わたくしが何を考えていようと、あなたには関係ないでしょう?」


 瑛はそう言い捨てると、彩凜を呼び寄せた。


「彩凜。劉太師と劉昭容がお帰りだそうよ。見送って差し上げて」

「はい」


 彩凜が劉太師と劉昭容を部屋の外に誘導しようとした。二人は素直に従ったが、劉昭容の方は何故か、劉太師を置いて戻ってきた。


「あの、皇后様」

「何かしら」


 面倒くさいなあ、と思いながら尋ねる。表情のない瑛を見つめ、劉昭容は言った。


「わたくしは、皇后様が皇后にふさわしい方だと思っています」


 え、これ、どういうこと? そう思った瑛は、悪くないと思う。













ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


予知能力と言えば天気予報です。いえ、瑛に予知能力があるわけではありませんが。

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