5、汪珀悠
ブックマーク登録数が三ケタになってる……。見間違いかと思った……。
皆さん、ありがとうございます!
初、珀悠視点。
汪珀悠は燕旺国の皇帝である。在位八か月であるが。
昨年夏。珀悠は異母兄から皇帝位を簒奪した。そう。簒奪というのが正しいのだろう。決して禅譲ではない。珀悠は異母兄を追い詰め、自害させたのだから。
珀悠はもともと、皇帝となるべく教育を受けてきた人間ではない。身分こそ先々代皇帝の第五公子であるが、それこそ名前だけで、いないのに等しかった。崔才人と呼ばれた母は、出自が低かったのだ。もともとはただの女官だったと聞いている。
だが、幼いながらも自分の立場をきちんと理解していた珀悠は、後宮で暮らしていて困ったことはほとんどなかった。女官たちは身分が低くとも、皇帝の子であるということで面倒を見てくれたし、それなりに充実した日々を過ごしていたと思う。十歳で、崔才人が亡くなるまでは。
第五公子であった珀悠は、皇帝になることはないだろうと思われていた。あまり多くの皇帝の子がいると、皇位継承戦争が起こるかもしれない。そう思った皇帝は、出自の低い公子や公主の母親が亡くなると、その子を後宮から出すことが多かった。そのまま離宮で育てられるか、他の貴族に引き取られることもある。
珀悠の場合は、貴族に引き取られる方だった。
当時䔥尚書と呼ばれていた現在の䔥宰相が、珀悠を引き取ったのである。䔥家と言えば、燕旺国で最も位の高い貴族の一つだ。そんな家に預けられた珀悠は、初めのころぽかん、としていたものだ。
䔥家の人間はすべて、珀悠を公子として扱った。今までもそれが当たり前だったため、気にしたことはなかったのだが、一人の少女がその世界に入り込んできて、珀悠の生活は変わる。
夏侯瑛、のちに珀悠の皇后となる少女は、当時十三歳。珀悠より三つ年上だった。とんでもない天才少女として有名で、十三歳にしてほとんどの高等教育を修了していた。
どんな学者とも話が通じ、外国語にも精通している。法律をそらんじ、文学にも精通する。芸術文化にも理解を示し、何より、先を見通す力を持っている。
剣を持たせればその辺の武官などあっという間に降してしまうし、しかも馬術の天才だ。その能力の高さから、軍師として出軍に同行するようになったのはいつのことだろう。
瑛は、珀悠が今思い出しても感情の起伏に乏しい少女だった。後に彼女が語ったところによると、先が『わかる』から、楽しくなかったのだそうだ。
だから、刺激を求めて戦場に出る。珀悠は彼女の危うさを理解していたのだ。
そんな瑛だが、突然現れた年下の少年をこれでもか、というほどかわいがった。いや、かわいがったとは少し違うかもしれないが、構い倒したのだ。
瑛も人生楽しくなさそうな少女だったが、珀悠も珀悠で、当時は生気のない目をしていたと思う。珀悠は瑛に引きずられ、いろんなところを見て、いろんなことを学んだ。
瑛は教え上手だった。なんと言うか、難しいことをかみ砕いて説明するのが上手なのだ。それだけ頭がいいのだと思う。さらに、それは体を使う武術に関しても同じで、珀悠に乗馬を教えたのは瑛だった。
おそらく、䔥宰相はこれを当てにしていたのだと思う。瑛が䔥宰相の思惑に気付いていたように、珀悠も彼の思惑を何となく察している。彼は、自分が認められる君主が欲しかったのだ。珀悠の異母兄は、彼に認められなかった。
䔥宰相は、瑛の父親である夏侯尚書の友人だった。今は礼部尚書に甘んじているためあまり知られていないが、夏侯尚書はもともと軍師だったらしい。現在は教育関係に力を入れているが、彼は娘の教育もうまかったということだろう。
䔥宰相は瑛の能力を買っていた。䔥宰相は、十三歳にして人生つまらなさそうな瑛と珀悠を引き合わせ、見事、珀悠を瑛に教えさせたのだ。こうして、珀悠は瑛に帝王学を叩き込まれた。
いうなれば、珀悠を皇帝にしたのは瑛なのだ。
瑛と共に、様々なことをした。とても楽しかった。瑛は弟のように珀悠をかわいがったし、珀悠は彼女を母か、姉のように慕った。それは、今も変わらない。そのためか、気さくな関係が続いている。
そして、皇帝になった珀悠は、執務をひと段落させたところだった。瑛と慧峻の様子でも見に行こうと後宮に足を向けた瞬間、声がかかった。
「陛下。お疲れ様ですな」
「……劉太師」
声をかけてきたのは、背の高い、がっしりした男だった。年は六十前後だろうか。孫がいる年なので、それくらいだろう。
太師は三公ともいわれる、皇帝の指導役だ。といっても、劉太師は珀悠の指導役ではない。珀悠の指導役というのなら、瑛が太師になるべきだ。
では、劉太師は誰の指導役だったか。珀悠の異母兄、つまり、先代皇帝だ。異母兄の母は先々代の皇帝の皇后だった。劉皇后と呼ばれ、要するに劉太師の妹にあたった。
劉太師は、甥である異母兄をかわいがっていた。そのため、彼を自害に追い込んだ珀悠に思うところがあるのだろう。明らかに嫌われているのがわかる。
力で玉座を奪った珀悠は、全ての人に好かれているとは思っていない。だが、こうしてあからさまに態度に出されると堪えるものがあるのは確かだ。
皇帝という責任は重く、もともと皇帝になるべく育てられたわけではない珀悠には権力の面白味もわからない。ただ、全責任が自分の両肩にかかっていると思うと心が押しつぶされそうだった。
そんな中で、絶対に最後には珀悠を受け入れてくれる瑛が皇后になってくれたのは僥倖だった。もしかしたら、断られるかもしれない、と珀悠は考えていた。珀悠が知っている瑛は自由で、後宮という檻の中に入ってくれるとは思えなかった。
しかし、彼女は珀悠の予測に反して、彼の皇后になってくれた。その結果、珀悠は彼女に思いっきり甘えている。姉のような、母のような存在である彼女には、どれだけ甘えてもいいと思ってしまう。
まあ、それはともかく、目の前の問題だ。
「陛下。皇太子殿下はお元気ですかな」
「わざわざ私に聞かずとも、見に来ればいいだろう」
太師の地位にあれば、許可さえあれば後宮に足を踏み入れることができる。
「父親から見て、どうでしょうかな」
父親、という言葉が強調された。劉太師にとって珀悠は皇帝なのではなく、未来の皇帝の父親に過ぎない。しかも、代理の父親だ。
「慧峻はいい子だ。利発だし、私にはもったいない子だな」
「……あなたが、それを言うか」
劉太師が珀悠を睨んだ。慧峻の実の父親を奪ったのは、珀悠だ。直接手を下さなくても、彼が死ぬきっかけを作ったのは彼なのだ。珀悠は劉太師から目をそらした。
「……用がないのなら、失礼させてもらう」
珀悠はそう言って立ち去ったが、今度は呼び止められることはなかった。
△
こういう時は、瑛に話を聞いてもらうに限る。そう思って後宮の皇后の居室に向かったのだが、瑛も慧峻もいなかった。留守居の女官に尋ねると、外で遊んでいるらしい。そのため、珀悠は庭園に出た。
建物から出たところで一度伸びをする。だいぶ暖かくなってきたし、そのうち、外でお茶をしてもいいかもしれない。珀悠は意識せずとも、当たり前のように、自分の隣に瑛が座っているのを想像した。
瑛を捜し歩いていると、他の妃嬪たちに遭遇した。あえて彼女らの方は視ないようにしながら瑛を探す。
いくら頼りないと言われようと、珀悠も男だ。仮にも皇帝である以上、後宮にいる妃嬪たちは珀悠の妻になる。自分が手を出さないとは限らない。
先帝の息子である慧峻が皇太子である以上、珀悠に実子はいない方がいい。
そう言った政治的な思惑のほかにも、珀悠自身が、父親が身分の低い妃嬪に手を出したことで生まれた公子であったから、むやみに子を作ればどうなるか、理解しているつもりだった。
そんなわけで、今のところ、珀悠の癒しは瑛のみだ。あと、慧峻。瑛が七割、慧峻が三割くらい。
やがて、桜の木の下あたりで皇后につけている女官長の彩凜を発見した。
「彩凜」
「ああ、陛下。ちょうど良いところに」
珀悠の顔を見た彩凜がほっとしたような顔をした。珀悠はめずらしいなぁ、と思いながら尋ねる。
「どうした? 文姫と慧峻は?」
「瑛様と慧峻様なら、ここです」
と、彩凜は手で、桜の木の下を示した。珀悠はそこを見て、「ふむ」と指を顎に当てた。桜の木に寄りかかり、瑛が寝ていた。慧峻はその膝の上に頭を乗せて眠っているようだ。微笑ましい光景に、珀悠は笑みを浮かべた。
「気持ちよさそうだねぇ。温かいもんね」
「……あまりに気持ちがよさそうなので、起こすのが忍びなくて」
こちらは、珀悠が䔥家に預けられているときから瑛の侍女をしていた寧佳だ。確かに、慧峻はともかく、一般女性の体格である瑛を彼女らが運ぶのは大変だろう。彼女を動かすには起こすしかないということだ。
「じゃあ、彩凜、寧佳、慧峻を頼む」
珀悠は慧峻をまずは抱き上げた。そう言えば、前に、珀悠が慧峻を軽々と抱き上げたのを見て、瑛が恨めしそうな表情をしていたのを思い出す。まあ、瑛はあまり感情が表情に出ないので、気づいたのは珀悠くらいだろうが。
慧峻を寧佳に預け、珀悠は改めて瑛を抱き上げた。抱き上げた瞬間、瑛はうっすらと目を開いた。
「ん……」
「起きちゃった? 運んであげるから、寝ててもいいよ」
「……ん」
半覚せい状態だったのか、瑛は素直に目を閉じ、頬を珀悠の胸に摺り寄せた。力の抜けた瑛の体を落とさないように、珀悠は彼女を抱え直す。
庭園を歩き、後宮の部屋に瑛と慧峻を運び込んだ。それぞれの部屋の寝台に二人を寝かせた。
「昨日、よく眠れなかったのかなぁ」
髪飾りを取り、寝台に寝かせた瑛の髪をなでながら珀悠は首をかしげた。彩凜が部屋を整える手を止めて言った。
「そう言うわけでもないと思いますが……今日は、慧峻様に乗馬を教えておりましたから。それに、妃嬪たちがちょっとしたいさかいを起こしまして……」
「あー……」
瑛は『それは私の職分じゃない』と言い張るが、彼女が皇后である以上、後宮の管理は瑛の役目だ。妃嬪たちのいさかいの仲裁に入るのも、管理のひとつだ。
「ちなみに、どんなことでもめたの?」
「くだらないことです。孫昭儀が高宝林を転ばせたと、劉昭容が言いだしまして」
「……」
高宝林の正体を知っている珀悠は沈黙した。見た目は可憐な少女だが、中身はちょっとおかしい天才少年だ。おそらく、裳裾を引きずる裙につまずいたのだろう。
高宝林と呼ばれている少年は、瑛を慕って彼女を追ってきた。わざわざ後宮に入る必要はなかったと思うが、そのあたりは䔥宰相と取引をしたようだ。珀悠的にも、後宮内に瑛の味方がいるのはありがたい。
珀悠は眠っている瑛の頬に触れた。珀悠の姉であり、母であり、特別な女性。彼女のつややかな黒髪をひと房持ち上げ、それに口づけた。それに反応したわけではないだろうが、瑛が身じろぎ、寝返りをうった。
立ち上がった珀悠は、彩凜に命じた。
「文姫が起きたら呼んでくれ。俺は執務に戻るから」
話を聞いてほしかったのだが、彼女の眠りを妨げるつもりはなかった。立ち去る珀悠の背中に、「かしこまりました」という彩凜の声が投げられた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
初の珀悠視点でした。彼はヘタレかつやや変態気味、時々頼れるをコンセプトに書いております(それはコンセプトなのだろうか)。
一方の瑛は基本ツンデレと思っているのですが、ヤンデレのような気もしてきました。