4、高宝林
この作品を連載し始めて2日。ブックマーク登録が70件近くなってる……。私にしては快挙です。というか、このふざけた話がこんなに読んでもらえるとは……。みなさん、本当にありがとうございます!
そこは、修羅場だった。思わず瑛が足を止めてしまいそうになるほど修羅場だった。彩凜ににらまれたから、止まらないけど。
「――ですから、わたくしどもはただ、謝ってほしいと申しているだけなのです!」
「何を謝らなければならないようなことがあるというの? わたくしたちが間違いを犯したとでも?」
「高宝林を突き飛ばしたではありませんか!」
うん。何か話が見えてきた。
「何をしているのですか」
無理やり瑛が割り込む。すると、先ほどまで言い争っていた妃嬪たちはいっせいに「皇后様」と頭を下げる。瑛の姿を見て、女官たちが明らかにほっとした表情になる。
「何故そのように言い争っているのですか。後宮の風紀を乱すようなことはおやめなさい」
「……恐れながら、皇后様」
顔を上げたのは九嬪の一人、孫昭儀だ。現在、四夫人は置かれていないため、彼女が瑛を抜いた妃嬪の中で最も位が高いことになる。
孫昭儀は美しい娘だ。年のころは十代後半。おそらく、十七か、十八くらいだろう。つややかな黒髪に、小柄だが女性らしい体つきをしている。後宮にふさわしい美少女だった。
「劉昭容が、わたくしが高宝林を突き飛ばしたと申すのです」
劉昭容は孫昭儀とは逆に、背の高い娘だ。美少女と言うよりは凛々しい少女で、しかし、明らかに瑛よりは造作が整っているだろう……と、これはいい。昭容は名前ではなく、昭儀に次ぐ妃嬪の位だ。宝林も同じく妃嬪の位で、八十一御妻のひとつだ。
瑛は目を細め、持っていた扇でぱしり、と手の平を打ちつけた。妃嬪たちと女官がびくりと震えた。
「……それで?」
先を促すように言ったが、孫昭儀は「それで、とは?」と逆に問い返してくる。瑛は低い声で言った。
「それが何故、孫昭儀と劉昭容が言い争う原因となっているのか聞いているの」
「……何故って……」
「恐れながら皇后陛下。孫昭儀は後宮の妃嬪にふさわしくありません。他の妃嬪や女官をいじめるような陰湿な女です」
「陰湿でない女がいるというのなら、わたくしの前に連れてきてほしいものね」
劉昭容の訴えをバッサリと切り捨てた。女が陰湿なのは仕方がない。自尊心が高いほど、その傾向が強いのも否定できない。瑛ですら陰湿なのだから、どうにもならない部分だろう。
「劉昭容」
瑛は劉昭容に近寄り、自分より背の高い娘の顎を扇で少し持ち上げた。
「妃嬪にふさわしくないかを決めるのは、お前ではない。口を慎め」
上からの物言いに、劉昭容の瞳に怒りがくすぶった。
「お飾りの皇后風情が……っ」
「お飾りだからと言ってなんだというの。お飾りの昭容が」
そう言われては、劉昭容も黙らざるを得ない。この後宮にいる妃嬪は、今のところすべてお飾りなのだから。
「わかったなら無駄な争いはおやめなさい。孫昭儀、あなたもです。身に覚えがないのでしたら、わざわざ相手の口車に乗らなくてよろしい」
「恐れながら皇后様。わたくしは――」
「言い訳はよろしい。濡れ衣を着せられたと思ったのなら、まっすぐわたくしに訴えに来なさい。あなた自身が戦う必要はない」
「……申し訳ありません」
やはり訴えをぶった切られた孫昭儀は不服そうに礼をした。彼女が瑛を敬っていないのは今更な事実である。自分の方が若くて美人で豊満な体つきをしているから、自分の方が上である、と思っている典型的な嫌な女なのである。
「わかったなら、二人とも、お戻りなさい。文句があるなら、後でわたくしの元へ言いに来なさい。いくらでも聞いてあげましょう」
扇をふり、早くいくように二人をせかした。それから、瑛は同じく立ち去ろうとした高宝林を呼び止める。
「高宝林。お待ちなさい。話があります」
「……はい。皇后様」
孫昭儀と劉昭容はちらりとこちらを気にするような視線を向けつつも、瑛に命じられたとおりにこの場を後にする。二人の気配が完全に遠のいたところで、瑛は「少し歩きましょう」と高宝林を促した。
後宮の庭は広い。林があり、湖があり、花畑も存在する。現在、ここの管理責任者は瑛ということになる。これに関しても瑛は『職務外』を訴えたが、聞き入れてもらえなかった。
湖から流れる小川のせせらぎを聞きながら、瑛は言った。
「何をしているの、琅明。やるならもっとうまくやりなさい」
「……申し訳、平に、申し訳ございません姫様……!」
高宝林、改め高琅明がその場に深く頭を下げた。傍目には意地悪な年増皇后が可憐な身分の低い妃嬪をいたぶっているように見えるが、もちろん、そんなわけがない。
「でも、俺を後宮に放り込んだ瑛姫も瑛姫ですよ……」
そう。高宝林を賜っている琅明は可憐な少女ではなく、可憐な少年だった。
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ。私が『皇后になるわー』って言ったら、勝手についてきたんでしょうが」
しかも、勝手についてくるのになぜ妃嬪になる必要がある。性別を偽って。これが物語なら主人公になれるくらい意味不明な行動である。
一昔前なら、宦官になるという方法もあった。しかし、今では宦官はほとんどいない。珀悠が皇帝になった時、宦官制度を廃止したからだ。正確には、䔥宰相が廃止した。
そのため、珀悠即位の三か月後に立后した瑛の後を追うために、宦官になるという方法はなかった。そこで琅明が取ったのは女に化けるという方法。そこで女官ではなく八十一御妻に選ばれてしまったのが琅明の不幸だろう。琅明がそれなりの家の出身だったのが運のつきだ。しかも、䔥宰相も琅明が男だと知っているこの混沌とした状況。どうしろと。
琅明は、瑛の学術院での教え子の一人だ。今年で十五歳になる。さすがにそろそろ声変わりの時期なので、一年もしないうちに後宮から出ることになるだろう。
琅明は聡明な少年だった。学術院で教鞭をとっていた瑛を慕い、貪欲に知識を吸収していった。機転もきき、それなりに武術の心得もある。後宮での瑛の味方としてこれ以上の人材はない。彼が男でなければ完璧だったのだが。
「だって……姫様にはまだ教えてもらいたいことがたくさんあるのに、離れ離れになるとか、俺には耐えられない……」
泣きそうな琅明はどこからどう見ても可憐な少女にしか見えなかった。
「馬鹿と天才は紙一重というけど、琅明はまさにその通りだね」
「それ、姫様にだけは言われたくありません」
話を戻して。
「それで、琅明。転ばされたの?」
「いえ。足を突き出されましたけど、引っかかってません。自分で転びました」
ちょうど劉昭容が近くにいるのが見えたので、とうそぶく彼は完全に確信犯である。
「それで、孫昭儀と劉昭容の出方をうかがってたというわけ? それで、思ったよりも二人が馬……いえ、考えが足りなかったと」
「姫様、一緒なことですよ」
そりゃそうだ。やっと立ち上がった琅明は瑛を見て言う。
「劉昭容は劉太師の孫娘ですよね。孫昭儀は䔥宰相の妻の家系の娘でしたっけ」
「まあ、そうね。政界での均衡を保つために、劉太師側、䔥宰相側が半々で入れられているわね」
ちなみに、瑛も琅明も䔥宰相側である。不本意であるが、仕方がない。
「劉太師は珀悠様に子供ができてほしくなくて、䔥宰相はあわよくばできてほしいと」
琅明が確かめるように言った。瑛は「たぶんね」とうなずく。
「はっきりと聞いたわけではないけどね。珀悠が慧峻に皇帝位を継がせるつもりだから、子供ができる可能性は低いでしょう」
毎日悶々としながらも手を出さずにいる珀悠だ。彼が賢明であることは、瑛もよく知っている。
「そのために、私が立后したのだし」
珀悠に子供ができず、劉太師の思惑通り、慧峻が皇帝になった場合。その時のために、瑛は呼ばれた。
瑛は、慧峻を『まともな皇帝』にするための教育を行っている。䔥宰相は血筋にこだわらない。皇帝が『君主たる器』であれば、それでいいのだ。
䔥宰相にとって、自分好みに育てた珀悠はまさに『君主たる器』を持つ皇帝だった。あわよくば、その血筋に皇位が引き継がれてほしいと思ったのだろう。
対する劉太師であるが、彼は太師と言っても、珀悠の太師ではない。先代皇帝の太師だ。珀悠たちが任を解かなかったので、そのまま太師となっている。
やはり、自分が教育した先代皇帝がかわいかったのだろう。彼は、皇位を簒奪した珀悠を認めていない。だから、次の王も珀悠の子ではなく慧峻、つまり、先代皇帝の息子に継いでもらいたいと思っている。これがこじれにこじれて現在の妙な状況と相成ったのだ。
「姫様、学術院に戻ってきませんよね……」
「戻れないわね。皇后だし」
慧峻が即位すれば、皇太后と呼ばれるようになるかもしれない。
琅明は深いため息をついた。
「俺、ここに居つこうかな」
「やめなさい。そろそろ声変わりの頃でしょ。あと半年持つか持たないか、微妙なところね」
「持たせますよ。最後は寝込んで後宮を出る予定です」
「割としっかり予定立ててるのね」
「珀悠様と決めました!」
瑛はがくっとなった。お前たち、交流があるのか。
「……まあ、その調子で、後宮にいる間は孫昭儀と劉昭容の動向をうかがっていてもらえると助かるわ」
「了解です!」
どう見ても可憐な美少女にしか見えない琅明は、元気に返事をして胸をたたいた。どう見ても、妃嬪がとる行動ではなかったが瑛は咎めなかった。
その後、瑛は慧峻の元に戻り、彼とめいっぱい遊んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
うーん。女の人の足の引っ張り合いを書くのは苦手です。戦闘シーンより苦手かもしれません。
一人後宮に男が混じってますが、気にしないでください。皇帝公認ですので。