29、変化
宣言通り、しばらく連日投稿です。
その冬は、瑛の予報通り雪が少ない暖冬だった。暖冬になると、次の春にあまり作物が育たないことがあるのだが、これくらいなら許容範囲だろう。作付けの方法によっては、暖冬の方がよく取れる作物もある、と瑛が言っていた。彼女の知識の広さはどこにまで及ぶのだろうか。
まあ、それはともかく。年が明け、珀悠は二十二歳になった。瑛は二十五歳に、慧峻は六歳になった。六歳になった慧峻は、少し大人になった気がしてうれしいらしく、最近は大人びた言動をとることがある。可愛い。
いつもなら慧峻を見て一緒ににまにましてくれる瑛なのだが、現在、彼女は長椅子に腰かけたまま船を漕いでいた。最近、彼女がうたた寝するところを見ることが多い。傾ぎかけた体を支え、少し揺さぶる。
「文姫。文姫、危ないよ」
すると、反応があった。
「……ぁ。私、寝てた?」
「うん。ばっちり寝てた」
「寝てました」
珀悠どころか慧峻からもうなずかれ、瑛はばつが悪そうにあくびをかみ殺した。眼を閉じて隣に座る珀悠の肩に頭を預ける。
「眠い……」
「うーん。特にすることもないし、寝ちゃえば? 慧峻は俺が面倒見ておくし」
「……何だろう。果てしなく不安を感じるわ」
不安そうな瑛であるが、眠気には勝てないらしく、しばらく沈黙が続くと、すぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃいましたね」
慧峻が瑛の顔を覗き込んだ。珀悠は瑛の体がずり落ちないように支えながら「そうだねぇ」とうなずく。
「母上を起こしたら悪いから、慧峻の部屋で遊ぼうか」
珀悠がそう提案すると、慧峻が眼を輝かせた。
「遊んでいただけるのですか、父上!」
「え、うん。そうだね」
珀悠は今日の執務をすべてやり終えているか確認する。……全部終わっていないような気もするが、慧峻と遊ぶ時間くらいはあるだろう。
とりあえず、慧峻と玉蓮を先に追い出した。珀悠によって寝台に運ばれた瑛は、彩凜と寧佳に髪を解かれ、衣装も楽なものに変えられた。そこまでしても起きない瑛の黒髪を撫でながら、珀悠は口を開いた。
「ねえ。文姫だけど」
「……おそらく、身ごもっておられますね」
「……やっぱり?」
彩凜の言葉に、珀悠はガクッと肩を落としてその場にしゃがみ込んだ。しゃがんだまま膝に肘をつき、頬杖をつく。
やたらと眠たくなるのは、妊娠初期症状の一つだと言う。他にも食べる量が減っていたり、食べ物の好みが変わっていたりしている。
「……本人、気づいてないのかな」
「わかりませんけど、でも、医官には見せなくていいとかたくなに言っていますから、もしかしたら気づいているのかもしれませんね」
寧佳がさらりと言った。瑛は自分が身ごもっていることを認めたくないと言うことか。珀悠はため息をついた。
「まあ、まだはっきりしたことはわからないもんね。医官をよこすから、文姫が嫌がっても診察を受けさせて」
「御意に」
彩凜と寧佳が頭を下げる。珀悠は一つうなずき、皇后の居室を出て、同じく後宮にある慧峻の部屋に向かった。
「父上!」
慧峻が珀悠に駆け寄ってくる。珀悠は慧峻を抱き上げた。
「待たせたな、慧峻」
「いいえ。母上は大丈夫ですか?」
「ああ」
珀悠はうなずき、以前抱き上げた時より重くなっている慧峻を降ろした。ここで瑛を心配するとは、慧峻は瑛に本当によくなついている。
「母上とはいつも何をして遊んでいるんだ?」
「いろいろです! 乗馬とか、将棋とか、楽器とか」
「……」
それは半分皇太子教育なのではないだろうか。そう言えば、本当に瑛が身ごもっているとしたら、皇太子教育が難しくなるなぁと思った。
「じゃあ、慧峻が好きなので遊ぼうか」
「はい!」
元気に返事をした慧峻に、珀悠は微笑んだ。
思わず慧峻と楽しく遊び過ぎたため、史紀に叱られたが、仕事はちゃんと終えたと言っておく。その日は自室で就寝した。
翌日になり、彩凜から瑛の診断結果を聞いた。本当に身ごもっていたらしく、珀悠は壁になついた。
「何してるんですか、あんた」
史紀が壁と友達になっている珀悠にツッコミを入れた。珀悠はうなる。
「……文姫が」
「ああ。聞いてますよ」
史紀が珀悠の発言をぶった切った。珀悠は涙目になる。
「それが効くの、皇后様だけですよ」
呆れたように史紀は仕事に戻る。珀悠もあきらめて執務机に戻った。
「……文姫、大丈夫かな」
「まあ、彩凜殿たちも一緒ですし、大丈夫でしょう」
むしろ平然としている姿しか思い浮かびません、と史紀は言ってのけた。瑛が江州から返ってきたとき珀悠を避けていたが、今は珀悠が瑛を避けている。
「怒ってるかな……」
「怒っているならまだましでしょう」
「……そうだね」
珀悠はため息をつく。昨日からため息をついてばかりだ。
史紀の言うとおり、怒っているのならまだましだ。泣かれる方が困る。そして、嫌われたりしたら珀悠はもう生きていけないかもしれない。
「あ~」
珀悠は今度は机になつく。その頭に史紀が書類の束を置いた。
「これに目ぇ通して、御璽と署名をお願いします」
「……わかった」
とりあえず、仕事を終えたら瑛に会いに行こう。そう思った。先延ばしにしていても、仕方がない。怒られるなら早いうちに怒られてしまおう。
△
「あら。お疲れ様」
「……」
予想に反して、瑛は怒っても泣いてもいなかった。いつも通りに出迎えてくれたが、長椅子に綿がたっぷり入った座布団(枕か?)を置き、それに寄りかかって椅子の上に足を投げ出している。要するに楽な格好だ。衣服もいつもよりゆったりとしていて、髪は結っているが髪飾りは少ない。
「どうしたの?」
入り口で立ち止まった珀悠を見て、瑛は首をかしげる。読んでいた書物を閉じ、卓に置いた。
「……お、怒ってない?」
「怒ってるって言ったらどうするの?」
「早めに決着をお願いします……」
珀悠が萎れて言うと、瑛は軽く笑い声をあげた。
「別に怒ってないわよ。私の危機管理が甘かったのもあるから」
珀悠はほっとすると同時に、瑛も同じか、と思った。自分たちの子供ができて、二人とも責任感を感じるとは。いや、責任感はいるんだけれども。
瑛は長椅子から足をおろし、靴を履いた。珀悠は空いた場所に座る。
「ええっと。大丈夫?」
「平気よ。でも、すごく眠い」
言った側から瑛があくびをかみ殺す。珀悠は少し微笑んだ。
「大丈夫なら、よかった」
瑛も目を細めて微笑む。何となく穏やかな空気であるが、現実はそんなに生暖かくない。
「しばらくは文姫が身ごもったことはかくしておけると思うけど、ずっとは無理だよ」
「わかってるわ。どう考えても、性別によっては帝位継承問題に発展するわね……」
瑛もため息をついた。彼女は体重を預けるように珀悠の肩に頬を摺り寄せる。いつもは珀悠が抱き着くのだが、今は瑛が身ごもっているので自重している。そのために瑛の方からすり寄ってくるのだろうか。だとしたら、可愛い。
珀悠はもし、瑛が生む子が男児であっても、帝位は慧峻に譲るつもりだ。珀悠も瑛も、慧峻を実の子として育てているし、たとえ瑛が子を産んだとしても、その子は二人目として扱うつもりだ。瑛も納得してくれている。
こういう、情勢を理解しているところが、瑛が䔥宰相に気に入られる要因なのだろうと思う。
だが、納得しないものも多いだろう。珀悠の子がいるのならば、その子に帝位を継がせるべきだ、と言う意見が当然出てくるはずだ。その意見をどうやって退けるか……ある意味自業自得だが、今から頭が痛い。
「女の子なら問題ないんだけどね」
瑛が苦笑気味に言った。各家の当主ならともかく、皇帝位は女児に継承権はない。そのため、瑛が生むのが女児であれば問題ないのだ。
だが、男女どちらか、その確率は半々だ。やはり対策を考えなければならない。
「でもまあ、そんなに心配することはないかも」
瑛は珀悠の肩から頬を離して言った。珀悠は「なんで?」と尋ねる。
「今、この国で力を持っているのは劉太師と䔥宰相でしょ。二人とも、慧峻が次の皇帝になることに異論はないはず。劉太師はむしろ慧峻を皇帝にしたいだろうし、䔥宰相も珀悠が決めているのなら反対しないと思うし」
䔥宰相が反対しない、と言うのは大きい。宰相は、官吏の長だ。彼が賛成しなくとも、『反対しない』と言うのは大きい。
「なるほど。やっぱり、文姫はすごいねぇ」
そう言うと、瑛は苦笑した。
「落ち着いて考えれば、珀悠も気づいたと思うわ。少し落ち着こう」
「うん」
瑛が落ち着いているので、珀悠もだいぶ落ち着いてきていたが、素直にうなずいた。
「とりあえず、君が身ごもったことはしばらく伏せておくから」
「それがいいでしょうね。わかったわ」
風邪で寝込んでることにする、と瑛はうなずいた。瑛が身ごもったと知られれば、彼女は多方面から命を狙われるようになるだろう。今でも暗殺者が送り込まれるほどなのに、彼女には苦労をかける。
「……文姫は、後悔してない? 皇后になって」
思わず尋ねると、瑛はいつもと同じように笑って言った。
「何言ってるのよ。後悔したなら、もう、とっくの昔に後宮を出てるわ」
彼女なら、やってのけるだろう。珀悠は苦笑して「そうだね」とうなずいた。
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