28、家族
今日から完結まで連続投稿!
珀悠が政務に復帰し数日が過ぎた。午前中、いつも通り慧峻に勉強を教えていた瑛は、午後になってから本を読んでいた。彼女の膝の上では慧峻が寝息を立てている。
「今日もいい天気ですね」
「そう言えば、あまり雨も降らないですね」
彩凜と玉蓮が窓の外を眺めながら会話をしていた。瑛は慧峻の頭を撫でつつ、さらに本を読みながら口をはさむ。
「今年の冬は温かいでしょうね。ありがたい話だわ」
「え、どうしてわかるんですか?」
「桜が狂い咲きしてるもの」
「……」
彩凜と玉蓮は沈黙した。寧佳だけが「相変わらずですね」と笑っている。その彼女はお茶を持ってきたのだが。
「陛下がいらっしゃいましたよ」
おまけも連れてきた。
「あ、慧峻、寝てる?」
「寝てるから、静かにね」
まあ、寧佳が招き入れなくても勝手に入ってくる珀悠なので、瑛はすでに気にしていない。瑛の膝で眠る慧峻の頭を撫で、珀悠は「かわいいねぇ」とでれでれする。
「瑛様、お茶はどうしましょう?」
「いただくわよ。置いておいて」
慧峻が膝にいたままでは、飲むこともままならない。なので寧佳は尋ねたのだが、瑛はさらっと飲むと言ってのけた。その状態で飲むのだろうか。いや、そんなことはしない。慧峻にこぼれたらどうするのか。
とありえず、慧峻は長椅子で寝かせ、瑛と珀悠は卓の方に移動する。向かい合うように椅子に座った。
「なんかやたらと甘い香りのお茶だね」
「羅漢果茶よ。最近、いろんな地方のお茶を試すのにはまってるの」
理由としてはそれだけではないのだが、はまっているのは事実である。珀悠は疑った様子はなく「へえ」と笑って、瑛と同じお茶を飲んだ。
「甘っ」
珀悠が驚いた様子で叫んだ。瑛は笑って、「慧峻が起きるわよ」と言った。
「慧峻、いつも勉強頑張ってるもんねぇ」
「いつか父上みたいな立派な皇帝になるんだって。よかったわね」
「う、うれしいような、罪悪感を覚えるような……」
「まあ、ここは喜んでおけばいいんじゃないの?」
瑛は苦笑して言った。珀悠が罪悪感を覚えるのは彼が慧峻の実父から帝位を簒奪したから……と言う話は、もう何度もしているのでいいか。
おそらく、この事実は珀悠が死ぬまで彼を苛むのだろう。
「……ねえ、文姫。もう少し先のことなんだけど」
「何?」
菓子をつまみながら瑛は首をかしげる。珀悠は今度は甘くないお茶を飲みつつ、言った。彼は甘えたであるが、甘いものはそれほど得意ではないらしい。
「あと十年くらいしたら、俺は慧峻に帝位を譲ろうと思う」
「ええ」
瑛は適当に返事をする。珀悠がそうしようと思っているのなら、それでいいのだと思う。
慧峻は今五歳。十年経ては十五歳だ。しばらくは補佐が必要だろうが、十五・六歳になれば、皇帝として登極してもおかしくはない。まあ、若すぎる気はするが。
瑛がそれくらいの頃は、珀悠を誘って地形調査や天体観測をしていたが……これも、十五・六の子供がするようなことではないな。後に聞いたところによると、母の紅蘭は瑛が父と同じ学者になって引きこもりになるのではないかと思っていたそうだ。まあ、ちょっと否定できないかもしれない。
だから、あなたを娶ってくれた陛下には感謝しているの。
以前会った時に、紅蘭はそう言っていた。何となく、追い払われた感を感じた瑛であるが、自分に嫁ぎ先はないかもしれないと思っていたのも事実なので何も言わなかった。
と言うのはどうでもよい。
珀悠は上目づかいに瑛を見た。だから、二十歳も過ぎた男がする仕草ではないって。だが、やはり似合っている……と言うか、可愛いのでツッコまない。
「俺が禁城を出て行くときは、文姫もついてきてくれる?」
珀悠の言葉に瑛はキョトンとした。それからふっと笑う。
「何をいまさら。ここまで来たらどこまででもついて行こうじゃないの」
「……文姫、大好き」
「それ、何度も聞いたわ」
瞳を潤ませてこちらを見てくる珀悠は、どこの乙女だと言いたくなる。実際、生物学上女である瑛よりも、珀悠は乙女度が高いかもしれなかった。
「母上ぇ」
「あらあら。慧峻、起きたの?」
長椅子の方から子供の声が聞こえ、瑛は立ち上がった。慧峻の側に控えていた玉蓮はほっとした様子で瑛を見た。
「瑛様、慧峻様がお目覚めです」
「わかっているわよ」
見ればわかる。自分のまわりには天然が多いのだろうか。
「母上ぇ」
泣きそうな慧峻の声に苦笑して、瑛は彼の隣に座り、慧峻を抱きしめて頭を撫でてやる。
「よしよし。怖い夢でも見た?」
背中をたたいてなだめても、慧峻は泣いているだけだ。たぶん、怖い夢を見たんだと思うが、よくわからない。
「は、母上も、父上も、いなくなったり、しないですよね」
えぐえぐとしゃくりあげながら発せられた言葉にドキッとしたのは瑛だけではないだろう。長椅子の後ろから様子を見ていた珀悠もびくっとしたし。
ちらっと瑛は珀悠と目を見合わせる。彼がうなずいたので、慧峻をちょっと苦しいくらいギュッと抱きしめてやる。
「大丈夫よ。いなくなったりしないわよ」
ついでにお父様もいるわよ、と言うと、珀悠が瑛と反対側の慧峻の隣に座り、瑛ごと慧峻を抱きしめた。
「大丈夫だぞー。母上も父上もいるからな」
両親(養い親だが)に挟まれて、慧峻はほっとしたらしく、再び瑛の膝に頭を乗せて眠りに落ちた。瑛と珀悠もほっとする。
「ビックリしたわ」
「本当だね。やっぱり、小さかったとはいえ、父親と母親がいなかった記憶はあるのかな」
「まあ、三つ四つのころだから、夢に見るくらいには記憶に残っていても不思議ではないわね」
実の所、珀悠が登極する前まで、慧峻がどんな暮らしをしていたのかわからない。彩凜は先帝の時代から女官をしていたが、女官長になったのは珀悠が登極してからなので、それ以前のことはそれほど詳しくないようだ。
おそらく、先帝の皇后の子ということで、女官たちも面倒を見ていたと思う。だが、先帝は子供を顧みなかっただろうし、慧峻の生母は彼を産んですぐに亡くなっているのだ。
だから、慧峻は実の親を知らないのだ。それ故に、彼は瑛と珀悠を実の親だと思っている。
その、両親がいないときの後宮時代の記憶があるのかもしれない。慧峻は、初めて瑛と会ったときにこう言ったのだ。
「僕の母上ですか? やっとお会いできました!」
つまり、瑛を実の母親だと思っているということだ。それについては、そのうち説明すればいい。五歳の子供には難しい話だし。
だが、昔の後宮での生活は、夢に見るほどさみしかったのだろうか。こんなに小さいのに、この子は苦労性だ。と思いつつ、慧峻の頭を撫でてやる。
「今日は、親子三人で寝てみる?」
「えー……」
珀悠が残念そうな声を上げる。あれか。子供がいると、できないことがあるからか。
「いい年した大人がすねないの。昔、あなたが怖い夢見たって泣きついてきたとき、史紀が一緒に寝てくれたんでしょ。それと同じよ」
「なんで知ってるの!?」
「史紀から聞いたに決まってるでしょ」
珀悠をかわいがった瑛であるが、当時すでに十三歳であったため、さすがに夜一緒に寝ると言うことはなかった。そのため、珀悠が泣いた時に一緒に寝てくれたのは史紀らしい。本人から聞いた。もう一人の当事者・珀悠は何が恥ずかしいのか身をくねらせている。
「何がそんなに恥ずかしいのよ。今でも私と一緒に寝てるでしょ」
「文姫、天然? 天然なの!?」
「あなたに言われたくないわ」
自分が少々常識はずれである自覚はあるが、珀悠ほど天然ではないと思っている。……たぶん。
「こ、子供のころの失敗は恥ずかしいでしょ!」
「別に怖い夢を見るのは失敗じゃないでしょ」
夢は自分で制御できないのだから、失敗ではないだろう。だが、珀悠は体をくねらせ続けている。
「いい加減にしなさい。私は子供を二人面倒見てる気分よ」
「ええっ」
珀悠が衝撃を受けて落ち込んだ。ちょっと言い過ぎだっただろうか。反省。
「……冗談よ」
「その間が信用できない」
「……」
瑛がいろいろやらかすので、珀悠もすっかり疑り深くなってしまったらしい。瑛は少し考えた。ちょいちょい、と珀悠を招きよせる。間に慧峻がいるので、彼は顔だけ寄せてきた。
頬を両手で包み、瑛は珀悠の唇に自分の唇を押し付けた。近くで「きゃっ」と悲鳴が上がるが、たぶん玉蓮だろう。
「……さすがに、本気で子供だと思っている相手にこんなことはしないわよ」
そう言おうとしたのだが、何を思ったか瑛の言葉を遮るように珀悠は瑛がしたのよりも深く口づけてきた。間に慧峻がいるので、つぶすまいと瑛は必死に体勢を保つ。
「ちょ、いろんな意味で無理なんだけど」
間に慧峻がいるので体勢を崩すことができないが、甘い口づけは力が抜ける。瑛は珀悠が唇を離したすきにグイッと彼を押しのけた。ちょうど慧峻が身じろいだので、珀悠も離れた。
「子供に止められたぁ」
「家族ってそう言うものでしょ」
ちなみに、瑛も両親がいちゃついているときに乱入したことがある。こちらは確信犯なので、より性質が悪い。
「お二人とも、いい加減になさってください。玉蓮が真っ赤です」
彩凜からお叱りが飛んだ。言われてみれば、玉蓮が顔を赤くしていた。瑛と珀悠は顔を見合わせて苦笑した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
瑛は変人と言うより空気を読まない子のような気がしてきた。




