27、継承権
もう10月ですね……。
今回はちょっと注意です。未遂ですが。
三日も経てば、珀悠はだいぶ回復した。まだめまいがするようだが、顔色も良くなってきたし、食欲も出てきたようで瑛は安心した。瑛は宣言通り、彼の話を聞くことにしていた。
「そりゃあ、俺はまだ二十歳と少しの小僧だけどさ。別に何も考えてないわけじゃないんだよね」
「そうねぇ」
「俺だって良かれと思ってやっているわけで」
「うん」
「全否定されるのは結構堪えるんだよね……」
「そうね」
相槌を打っていた瑛であるが、珀悠に睨まれた。
「文姫、聞いてないでしょ」
「聞いてるわよ。水飲む?」
「飲む」
珀悠が瑛から水の入った茶器を受け取る。珀悠は茶器をゆっくりと傾け、中身を飲み干す。空になった器を瑛は受け取る。
「とりあえず、元気になってよかったわ」
「心配してくれた?」
「なんで嬉しそうなの?」
何故かニコニコしている珀悠に、瑛は首をかしげた。珀悠は「何でもない」とやはり笑う。
「ねえ、文姫」
「うん。あと、私は瑛だからね」
「わかってるよ……その、慧峻のことなんだけど」
「何? ついにあんたも権力の味を覚えたか?」
「いや、そうじゃないけど、皇帝がこんなに大変なら、あの子にやらせたくないなぁって」
「親ばかね。血統を正当なものに渡すんでしょ」
「……そうだね」
珀悠がため息をついた。瑛は椅子から立ち上がり、寝台に腰かけ直した。珀悠の頭を抱きしめる。
今、異母兄から帝位を簒奪した珀悠は、先帝派と現帝派で板挟みになっている。先帝派(劉太師派とも言う)は次の皇帝に先帝の遺児・慧峻を推している。こちらは狙いがよくわかるので、ある意味対応は簡単なのだ。
一方の現帝派は、面倒くさい。現帝派は大きく分けて三つの勢力が存在するのだ。
䔥宰相派は主流派であるが、慧峻がまともであるなら、慧峻が帝位を継いでもいいと思っている。
強硬派は主流派の次に数が多い。彼らは、珀悠の血を引く子に帝位を継がせたいと思っている。まあ、言うなら、権力が欲しい人間だ。当初瑛を含め十人だった妃嬪がじりじりと人数を増やしているのは、この強硬派の人間たちが自分の娘や姪などを後宮に入れているからだ。彼女らに珀悠の子を産めと言っているのである。
最後に中立派。一番人数が少ないと言われているが、瑛は、隠れ中立派が最も多いのではないかと思っている。これは文字通り中立派である。なるようになれ派とも言う。
ちなみに、瑛の父夏侯津はどこに属するかと言うと、微妙だ。心情としては中立派。しかし、娘が皇后であることを考えると強硬派。だが、䔥宰相の友人でもあるので主流派とも考えられる。
それはさておき。何が言いたいかと言うと、きっと、珀悠が慧峻に帝位を譲ったとしても、政情は安定しないだろうと言うことだ。珀悠がしている苦労を、慧峻も味わうことになる。
「俺はいいんだ。確かに、䔥宰相にたきつけられたけど、俺は自分で決めて、皇帝になったんだ……」
「……そうね」
「でも、慧峻は違う。彼は、兄上の子供であると言うだけで、皇太子になった」
「でも、それは、あなたが先帝を討たなくても同じことだわ」
事実をただ、瑛は述べる。慧峻は先帝の皇后の子で、あのまま先帝の御代が続いていたとしても、彼は皇太子だったはずだ。
と言っても、慧峻の母は、慧峻を産んですぐに亡くなっているから、母親がいないと言うことで珀悠のようにどこかの貴族に預けられた可能性もある。彼が後宮にとどめ置かれたのは、先帝には慧峻のほかに男児がいなかったからに過ぎない。
と言うことは、やはり珀悠が帝位を簒奪したことで、慧峻が皇太子になることになったのか? いや、まあ、可能性の話であるが。
いつでも、目の前にあるのは現実だけだ。仮定の話など存在しない。
目の前の現実を見つめて、その上で未来を予測する。瑛は、いつもそうしてきた。
瑛はそっと珀悠の髪を撫でた。ぎゅっと彼の腕が彼女の体を抱きしめる。
「そうね、珀悠。もしも、慧峻が大きくなって、皇帝になりたくないと言ったなら、あなたが皇帝を続ければいいのよ」
文句を言うやつは、私が黙らせてあげる、と言った。その場合、皇位継承問題が勃発する気がしたが、この際、気にしないことにする。珀悠が笑う気配がした。
「文姫の言う通りかもしれない……文姫と結婚できただけで、俺、皇帝になった甲斐があったかもしれない」
「何よ、それ」
瑛も苦笑を浮かべた。珀悠が病み上がりとは思えない力で瑛の腰を抱き寄せた。完全に寝台に乗り上げた瑛の膝に自分の頭を乗せる。
「ずっと、君を姉のように、母のように慕って来たと思ってた。でも、違った」
目を閉じ、珀悠は言った。瑛は黙って彼の話を聞いている。
「たぶん、出会った時から、俺は君のことが好きだったんだ……」
「……それは思春期の少年によくある、年上の女性にあこがれる、と言う現象ではなく?」
「文姫、今日も絶好調だね」
珀悠は笑って、瑛の腰に手を回し、顔を彼女の腹に押し付けた。くすぐったくて瑛は悲鳴を上げる。
「ちょ、くすぐったいっ」
「ああ、ごめん」
くぐもった声が聞こえた。謝罪は口にしたものの、珀悠は瑛を解放しようとはしなかった。瑛も強くは出ない。相手が病み上がりだから、と言い訳してみるが、実際には珀悠と触れ合うのが心地よかったからだ。瑛はふっと笑う。
「でも、そうね。少なくとも、私もあなたに会ってから、毎日が楽しかったわ」
頭が良すぎるせいで、先がわかる。だから、楽しくなかった。だが、突然瑛の世界に現れた少年は、瑛には想像もつかないことをいろいろやってくれた。
一人では予測できることも、二人だとわからない。思えば、あのころの瑛はさみしかったのだ。五歳年上の晶は嫁いでしまっていたし、八歳年上の漣は一緒に暮らしていたが、夫がいて子供もいた。
贅沢な話だ。姉にかまってもらえなくなっただけで、人生が楽しくないなんて。
「私も、あなたの妻になれてよかったわ」
珀悠が視線をあげた。瑛が珍しくもにこりと微笑んでみせると、珀悠は目を見開いた。そんなに驚かなくてもいいだろうに。
「今日の文姫は優しいね」
「いつも冷たいみたいに言わないでよ」
いや、いつもはもう少し態度は冷淡かもしれないが、病人には優しくしようと決めたのだ。珀悠はくすくすと笑う。
「そうだね。君はいつでも優しいよね」
珀悠は身を起こすと、瑛に口づけた。そのまま押し倒される。ああ、なんだか既視感を覚える。
「……風邪、うつったらどうしてくれるのよ」
唇が離れたすきにそう訴えるが、珀悠は「もうほとんど治ってるから大丈夫」と笑うだけだ。それでも一応、瑛の訴えを受け入れてくれたのか、彼は今度は抱きしめるだけにしたようだ。珀悠が上なので、ちょっと重いけど。
その時、ばん、と寝室の扉が開いた。入ってきたのは鬼気迫る笑みを浮かべた史紀である。
「な・に・を。しているんですかっ、陛下!」
「うわぁ。般若」
いつもどおりの暢気な声で珀悠は言った。史紀は彼の下にいる瑛も睨む。
「皇后様も、陛下を甘やかしすぎです!」
「いや、私の力では珀悠に抵抗できないんだけど」
普通に抱き着かれる分には殴り飛ばせるが(実際に何度か殴っている)、上からのしかかられるとさすがに力負けする。
「屁理屈はよろしい」
「……」
何となく、子供のころを思い出して瑛は珀悠と顔を見合わせた。先に身を起こした珀悠が、瑛を引っ張り起こしてくれる。彼女は寝台から降りると靴を履き、乱れた衣服を直し、さらに乱れた髪から髪飾りを抜き取った。ぱさりと長い黒髪が背中に滑り落ちた。
「瑛姫、聞いてる!?」
「なんでみんな同じこと言うのかしら。聞いてるわよ」
皇帝に説教をしていた史紀に名を呼ばれ、とっさにそう言い返す。なんと言うか、考え事をしている瑛は人の話を聞いているように見えないのだ。いや、普通はそうなのだが、瑛に限っては考えつつ相手の話もちゃんと聞いている。
「珀悠を甘やかしすぎないようにってことでしょ。はいはい。気を付けます」
「瑛姫ってそんな子だったな、そう言えば」
史紀が呆れたように言った。呼び方が『皇后様』から昔と同じ、『瑛姫』になっている。ちなみに、珀悠のことは昔から『珀悠様』と呼んでいた。
珀悠が䔥家にいたころ、瑛と珀悠は様々な騒動を起こした。そのたびに、彼女らを叱っていたのはこの史紀だった。瑛より三歳年上の彼は、瑛と珀悠の監視役を自覚していたのだ。ちなみに、何度か拳骨を食らったこともある。いや、あの時の自分は怖いもの知らずだった。
「あなた方が皇帝夫妻じゃなかったら殴ってますよ」
「……」
再び、瑛と珀悠は顔を見合わせる。史紀も一通り怒って落ち着いたらしく、口調が丁寧語に戻っていた。
「……それで、なんかあったの?」
珀悠が寝台の上で胡坐をかきつつ言った。瑛は寝台に腰かける。そばにあった椅子には史紀が大量の書簡や書類を置いたからだ。その量の多さに珀悠がびくっとした。
「陛下が倒れられたので、政務がたまっております。とりあえず、後は陛下が御璽を押すだけですので」
「……うん。ありがとう」
そう言いながらも、珀悠の顔色は優れない。三日も休めば政務がたまることは当然だ。彼は優秀なので、余計に仕事がたまるのかもしれない。
「まあ、頑張って」
「うん……」
何となくかわいそうになったので、瑛は珀悠の頭を撫でた。すかさず、「そこ、甘やかさない!」と史紀から指摘が飛んでくる。
「甘いと言うより激甘ですよ、皇后様!」
「ええ? そう?」
「自覚症状がないのが性質悪いですね!」
最近、女官たちにもよく言われるので、瑛は肩をすくめるだけにとどめた。
「それはともかく、陛下がいらっしゃらないことで、先帝派が勢いづいてます」
「劉太師が?」
「いえ、この場合は劉太師に便乗する若いやつらね。劉太師は確かに嫌味だけれど、珀悠の気性を知っているわ。あなたがあまり皇帝業が好きでないことも気づいていると思う」
「……」
珀悠沈黙。それをいいことに瑛は言葉をつづけた。
「黙っていれば慧峻に帝位がめぐってくるのだから、時々嫌味を言うくらいですむのよ。でも、若いやつらは違うわよね。若ければ何でも許されるわけではないのに」
「なんか実感こもってますね」
「伊達に年下の小娘たちの相手をしてないわよ。でもまあ、今は現帝強硬派が勢いあるんじゃない? 先帝派は劉氏の血族が多いからね」
あと、先帝の時代に権力を得たやつら。つまり、全体的に年齢が高いのだ。
「後宮にいるのになんという分析力……」
恐ろしい、と史紀がわざとらしく言う。これでも瑛は、江州の一件以来反省したのだ。情報は、どこにいても必要である。
「こればかりはどうしようもありませんが、陛下には少々居心地が悪いことになっているかと」
史紀がさらりと言った。珀悠は困ったように微笑み、「そうだね」と言った。彼の手はいつの間にかおろした瑛の髪をもてあそんでいる。いつの間にか三つ編みを作り始めていた。
「まあ、登極したばかりのころは完全に場違いだったし、それに比べれば大丈夫だよ。後宮に戻ってくれば文姫がいるし」
「はいはい。今日もあなたは幸せね」
瑛は適当に受け流す。その甘ったるい空気に、史紀は吐きそうになった。
「あんたら……私がいないところでやってくださいよ」
女官たちは嬉々として見ているのだが、どうやら、男女では感じ方が違うようであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
明後日から、この作品完結まで連続投稿しようと思います。一週間くらいでしょうかね。よろしくお願いします。




