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2、夏侯瑛














 少し、燕旺国えんおうこく皇后・夏侯氏の話をしよう。


 皇后・夏侯氏。名は瑛、幼名は文姫で、外見は少し容姿は整っているものの、どちらかというと平凡な女性である。年は二十四で、皇后になった時、すでに二十三だった。


 燕旺国では行き遅れの域に達していた瑛が、行き遅れになったのは少々理由がある。まあ、ほぼ本人のせいであるが。


 夏侯瑛は顔立ちはふつうであるが、才媛であった。文学、法学、歴史学、兵法、経済学、帝王学、外国語など、様々な分野に精通し、しかも、武術も修めている。彼女は三歳の時にその頭角を現しており、その年で簡単な読み書き計算ができたというのだから驚きた。どこの世界にも、頭のつくりが違う人間とはいるものである。

 その後、学者であった父の影響もあり、彼女は次々と才能を開花させていく。夏侯家三姉妹はいずれも変人であることで有名だったが、瑛はその中でも群を抜いた変人であると言われるようになっていった。


 彼女が十三歳の時、父の友人である䔥家に公子が一人預けられた。これが現皇帝・珀悠である。三姉妹の末っ子である瑛は、三つ年下である彼の面倒を嬉々として見た。末っ子である彼女は、妹か弟が欲しかったのである。結果、彼は瑛になついた。


 珀悠は瑛と共に勉学を修め武術を修めつつ成長する。二人は、様々な意味で問題児であった。


 おそらく、瑛と珀悠の気が合いすぎたのだ。探検と称して迷子になったこともあれば、修行と称してがけから落ちかけたこともある。果てには勝手に戦場に行ったこともあった。これには温厚な瑛の父も怒った。


 それでも、この二人が命を落とさなかったのは、二人の潜在能力が高かったからに他ならないだろう。


 さすがに十代も後半になると、ともに過ごすことは少なくなってきた。珀悠は異母兄である当時の皇帝に仕えるようになっていたし、瑛は瑛で、燕旺国にある学術院で教鞭をとるようになっていた。

 そして、忘れもしない八か月前。ちょうど、瑛は異民族の反乱鎮圧のために国の国境周辺にいた。彼女は従軍したが、武官としてではなく軍師として同行したということになっている。

 そして、そこで聞いたのは皇帝が討たれたという話。それを聞き、軍隊は急遽京師まで引き返した。そして、そこで見たのは登極した幼馴染、珀悠だった……。


 珀悠登極から三か月、瑛の帰還から二ヶ月が過ぎたころ、瑛は䔥宰相の命を受けて立后した。


 瑛が立后したことについては、様々な思惑が錯綜しているのだと思う。


 まず、䔥宰相は珀悠の謀反を推奨した人物だ。政治が下手で、皇帝が何たるべきかを理解していない先帝に、䔥宰相は幻滅していたようである。そのため、自分が育てた珀悠を登極させた。何度も言うが、珀悠は傀儡皇帝ではない。

 䔥宰相は、先帝の遺児である現在の皇太子に帝位を継がせたくないのだと思う。そのため、後宮に娘を集めた。宮廷の勢力均衡を考えれば、下手な家から皇后、ひいては皇太子の母親を輩出できず、彼は瑛に白羽の矢を立てたのだと思う。䔥宰相と瑛の父親は友人同士であり、家格も申し分ない。嫁き遅れではあるが、瑛には教養があるし自分の立場をよく理解して振る舞うことができる。


 さまざまな面から見て、䔥宰相にとって瑛は理想的な皇后であったというわけだ。つまり、現在の皇帝夫妻は䔥宰相の理想なのである。


 そして、あわよくば瑛に珀悠の子を産ませようとしている……のかもしれない。


 瑛は行き遅れであるとはいえ、年齢的にはまだ子供を産める。もしもその子が立太子しても、瑛も瑛の実家も権勢を握ろうとはしないだろう。それも見越しての夏侯皇后なのだ。


 そして、この辺りが複雑なのだが、先帝の皇太子を次の皇帝にすべきだ、と考えている者も多い。先帝の指導係であるりゅう太師たいしなどがそれにあたる。やはり、育てた子はかわいいのだろうか……。


 という冗談はともかく、䔥宰相と劉太師は敵対関係にあるということだ。劉太師は先帝を討った珀悠を良く思っていない節があるし、その皇后である瑛が皇太子に教育を行うことも良く思っていない様子だ。皇太子の義理父親と母親である、というだけで珀悠と瑛は存在を認められている気がする。特に、瑛は母親の役割を求められている気がする。いや、世話とかは好きだけど。

 珀悠に子ができれば、皇太子の立場は危うくなる。そのため、劉太師は後宮の女たちをけん制しているところがある。


 ちなみに、珀悠の立場としては、劉太師に近いだろうか。彼は、皇太子が大きくなれば皇帝の地位を譲るつもりでいるのだ。だからこそ、劉太師とも何とかうまくいっている。

 珀悠の子に帝位を継がせたい䔥宰相と、先帝の子である皇太子に帝位を継がせたい劉太師。その板挟みとなって、珀悠がつらいのは理解しているつもりだ。だが。


「それとこれとは話が別だぁっ」


 瑛は珀悠の顎をグイッと押しのけた。彼の首がのけぞり、「ぐえっ」という皇帝らしからぬ声を漏らす。いや、瑛の行動も皇后らしからぬが。


「何するの!」


 珀悠が抗議の声を上げるが、瑛にも言い分がある。


「それはこっちの台詞だっつーの! 胸に顔をうずめんな!」


 一度珀悠に自分を抱きしめさせた瑛であるが、彼があろうことか彼女の胸元に顔を摺り寄せてきた。


「あんたの母親業は、私の職務内容に入っていないわ!」


 一応母親ということになっているが、珀悠の母親ではない。皇太子の母親だ。一応。


 瑛に母親が務まるかははなはだ疑問であるが、母親となってしまったからには母親業を務めるつもりである。

 だが、珀悠の母親になったつもりはない。その珀悠は唇をとがらせて反論してきた。何でそんなにかわいらしいしぐさを取るのだ。


「いいじゃん! ちょっと甘えるくらい……」

「甘えるなとは言ってないわ。甘え方に異論があるのよ」


 抱き着くだけならともかく、それ以上のことは許可できない。いや、許可も何も珀悠は皇帝で、瑛はその妻であるから許可も何もないのだが。

 形式上だけであっても、瑛は珀悠の妻だ。そのため、彼女は珀悠の考えに従うつもりだ。彼が現在の皇太子を次の皇帝とみなしているのなら、瑛もそう考える。彼を次の皇帝にするためには、珀悠には子供がいない方がいいのだ。

 おそらく、珀悠と瑛が本気を出せば、この情勢はいつでも変わる。自分たちの好きな方へ、好きなように。

 先帝の子を皇帝にしたいと思えばそうできるだろうし、自分たちの子を皇帝にしたいと思えばそうできる。

 ただ、やらないだけだ。その方が燕旺国は平和であると、二人は理解しているのである。


「そういえば、朝廷の方はどうなの?」


 瑛と不毛な争いをしている珀悠であるが、彼は皇帝として政も行っている。中心となって政治を動かしているのは䔥宰相であるが、許可を出すのは必ず珀悠であるし、異論があれば絶対にその案件を通さない。一応、珀悠もちゃんと皇帝業をしているのだ。


「相変わらず、勢力的には真っ二つだねー。夏侯尚書がどっちつかずだから、均衡を保っているというか」

「あー、うちの父親、やる気ないからね」

「学術院があそこまで発展したのは、夏侯尚書のおかげだと思うけど」


 瑛の父親は宮廷で礼部尚書を賜っている。礼儀や外交、教育をつかさどるのが礼部である。瑛が女性でありながら学術院で教鞭をとることができたのは、彼女の父が礼部をつかさどっているからだ。基本的に、この国では身分の高い女性が職業を持つことはない。

 燕旺国には女学校が存在する。しかし、まだできてから一年もたっていない。珀悠が登極した後に創立した学校だからだ。学術院は官吏や武官、学者を目指す男性が、女学校は女性が学ぶ場所となっている。

 つまり、瑛は男性ばかりが通う学術院で教えていたことになるが、そのことについては今は省いておこう。

 瑛の父親はやる気はないが、優れた人物であり、革新的な考えを持っているのは確かだ。そうでなければ、有能な䔥宰相が友人なんかしていないだろう。


「と言っても、直接政に関わってないからね……だから、私があんたの皇后に選ばれたんだろうけど」


 政には直接かかわらない礼部尚書の娘であるからこそ、瑛は皇后になった。様々な条件が良かったのだ。珀悠は瑛を見て笑う。


「でも、奥さんが文姫で良かったよ……文姫には迷惑かもしれないけど」

「何度も言っているけど、瑛だって。それに、さっきその口で『かわいらしい女の子たちが奥さん』だって言ってたでしょう」

「そんなさげすんだ目で見ないで!」


 珀悠が半泣きで言う。本気で瑛に嫌われたくないと思っているのがわかるそのしぐさが少し可愛らしい。いや、相手は二十一歳の男なんだけど。こうして懐いてくれるから、瑛も彼を嫌わない。嫌えない。


「だって、手を出せないならいないのと同じ……」


 まだいうか、この男。


「私にも出せないでしょうが」

「……うーん」


 珀悠は首をかしげつつ瑛の頬に手を当てた。顔を自分のほうにむけさせてじっと瑛の顔を見る。必然、瑛も珀悠の顔を見ることになり、こいつ、本当に顔立ちが整っているな、と思った。


「まあ、出されても困るけど」

「……そうだよね」


 どこかがっかりした様子を見せて、珀悠は瑛の頬から手を放した。残念ながら、それらは瑛の職分外だ。


「……朝廷に戻るよ」

「そう。頑張ってね」

「うん」


 立ち上がった珀悠の背中がいつもより少し小さく見え、瑛は少しかわいそうになった。少し素っ気なくし過ぎただろうか。

 瑛も立ち上がり、彼の後を追った。


「早めに執務終わらせなさいよ。今日は一緒に夕餉にしましょう」


 そう言うと、珀悠は嬉しそうにうなずいた。単純だな、お前。


「父上? 母上?」


 子供の声が聞こえた。珀悠と共に部屋を出てみると、そこには五歳くらいの男の子が立っていた。


「あら、慧峻けいしゅん

「久しぶりだなー、慧峻。ちょっと見ない間に大きくなったなー」


 のんびりした口調でそう言いながら、珀悠は男の子……皇太子・慧峻を抱き上げた。慧峻は先にも述べたとおり、先帝の遺児である。さすがに叔父と甥なので、珀悠と慧峻は結構似ている。親子だと言っても不自然でないくらいには似ている。要するに、慧峻も顔立ちが整っているのである。

 珀悠に抱き上げられた慧峻は、いつもより高い目線に嬉しそうだ。瑛はそんな慧峻を微笑ましく見ながら、珀悠に言う。


「これくらいの子は、少し見ないとすぐ大きくなるわよ。姉上が言っていたわ」


 瑛には二人の姉がいるが、二人とも既婚者で子供がいる。子供を育てた経験のある姉がそう言うのだから、事実なのだと思う。


「……そう、か。やっぱりもう少し頻繁に会いに来た方がいいのかなぁ」


 そう言う珀悠はちゃんと真面目に父親業をしようとしているのだろう。瑛は苦笑を浮かべる。


「そこらへん、微妙なところよね」


 珀悠は亡き異母兄の遺児である慧峻をかわいがりたいようだが、珀悠が慧峻を構うことを良く思わないものもいる。政治的な面を考えると、珀悠はあまり慧峻と接触しない方がいい。


「慧峻、おいで。お父様はこれからお仕事だから、お母様と一緒に遊びましょう」

「はい」


 珀悠が慧峻を下ろすと、慧峻は瑛の方に近寄ってきた。彼女も慧峻を抱き上げようとするが、思ったより重くて持ち上がらなかった。珀悠が片手で抱き上げていたから、いけると思ったのだが。


「父上。お仕事頑張ってください」

「うん。行ってくるよ」


 珀悠は妻と子に手を振りながら朝廷に戻っていく。瑛は慧峻の頭をなでながら、手を振りかえした。

 慧峻は、養父である珀悠を慕っている。実の父である先代皇帝が亡くなったのは彼が四歳の時だ。物心つくかつかないかという頃であり、先帝は自分の子供にあまり頻繁に会いに来なかったようだ。そのため、慧峻は珀悠が自分の実父であると思っているのだと思う。


 二十一歳にして五歳の子供と、三つ年上の妻を持つ珀悠は、もしかしたらかわいそうなのかもしれない。瑛は苦笑し、慧峻と手をつないだ。


「さあ。今日は何をして遊びましょうか」














ここまでお読みいただき、ありがとうございます。



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