14、夏侯漣
「瑛様。来客です」
「うん?」
納涼祭の手配をしていた瑛は、彩凜の声に顔を上げた。
「誰?」
瑛がそう尋ねるより先に、訪問客は皇后の居室に入ってきた。
「久しぶりだな、瑛。健勝のようで、姉はうれしいぞ」
「勝手に入らないでよ。あと、帰って」
「ああ。それでこそ瑛だな」
瑛は勝手にこの国の最高位に位置する女性である皇后の居室に踏み込んできた背の高い女性を半眼で見上げた。この芝居気のある口調と態度。間違えようがなく。
「何しに来たのよ、姉上」
瑛の長姉、夏侯漣だった。漣は長身で、中性的な容姿の美女である。きりっとした目つきが格好いいと女学校の学生たちに評判であるらしい。ちなみに、既婚者で三児の母である。瑛より八つ年上なので、現在、三十二歳になる。
とりあえず、漣に椅子を勧める。礼を言って腰かけた彼女は妹に向かって言った。
「いやね。お前の様子を見に来たのと、ちょっと知恵を拝借したくて」
「何よ、それ……」
瑛は眉をひそめて首をかしげた。たぶん、知恵を拝借の方が本題なのだろう。様子を見に来なくても、瑛なら大丈夫だろうと家族は思っているに違いない。何か調子が悪くても、一応皇后である瑛だから、手厚い看護を受けることができるし。
まあ、それはいい。
いつ見ても凛々しい姉だ。珀悠に剣術を教えたのは瑛だが、その瑛に剣術を教えたのがこの姉だったりする。つまり、漣は武人なのだ。
しかも、普段は槍術を好み、馬上槍と呼ばれる馬に乗り槍で戦う戦法を得意とするとんでもない女傑だ。かなりの筋力がないとできないのだが、漣にはそんな膂力があるとはとても思えないのである。
ちなみに、そんな漣の普段の恰好は男性が着るような深衣をまとっている。それが良く似合うので、誰もツッコミを入れられないのだ。普段は帯剣しているはずだが、ここは後宮と言うことで取り上げられたらしい。
「とりあえず、元気そうだな、末妹よ」
「まあね。姉上も元気そうね。まあ、姉上が元気でないときがあるのかわからないけど」
「相変わらずのやつだな」
「それはどうも」
瑛は花茶を一口飲んだ。
「それで、私の知恵を借りたいってどういうことよ」
早速本題に入ろうではないか。漣も依存は内容で「うむ」と一つうなずいた。
「実は、女学校の学生なのだが」
「うん」
「最近、様子がおかしいんだ。勉強が手付かずになったり、とんでもない失敗をしたり」
「それくらいならよくあることじゃない?」
瑛が首をかしげてそう指摘すると、漣も苦笑し「そうなんだけど」と言う。天才と言われる瑛ですら、とんでもない失敗をしでかすことがあるのだ。
「それだけならまあ、よくあることだよね、ですむんだけどな。どうやら、その子が夜中に女学校の校舎に訪れて、書庫でなにかしているようでな」
「……」
とりあえず、どこからつっこんでやろうか。
「まず、その話の信憑性は? 誰かから聞いたの?」
「いや。自分の目で確かめた」
「……」
どうやら、瑛は姉の行動力を見くびっていたらしい。だが、そうなると新たな疑問が。
「見ていたなら、そこに踏み込んで直接尋ねればよかったでしょう」
「いや、踏み込んだらいつの間にかいなくなっていてな」
「……顔がわかっているのなら、次の日、聞いてみるとか……」
「聞いたが、覚えていないそうだ」
「……」
うん。その情報を先に言ってほしかったな。どういうことだろう。夢遊病?
一番可能性として高いのは、その学生が嘘をついている、と言うことだ。しかし、嘘をついているにしても、書庫で何をしていたのかがわからない。
だが、書庫で行われることが多いことならわかる。
「その学生は優秀?」
「そうだな……さすがに我が妹ほどではないが、優秀な方ではあると思う」
漣が妹びいきなのはいつものことなので受け流す。それに、瑛がそこら辺の人物より優秀なのは事実だ。
「学術院もそうだけれど、女学校もいろんな人が出入りするわね」
「まあ、そうだな」
漣はいまいち要領を得ない様子で、瑛の話に相槌を打っている。漣は女学校の講師だが、瑛は学術院の講師だった。もちろん、男性が通う学術院の方が人の出入りが激しいが、女学校もそれなりに人の出入りがあるはずだ。
人の出入りが多い場合、何があるか。それは、いわゆる間諜の侵入である。
瑛は皇后になってから政治にほとんど関わっていない。皇后が政に関わらないのは通例であるし、彼女も自身の才覚で議場を混乱させようとは思っていない。
だから断片的にしか知らないが、情報は力になる。珀悠や琅明たちから話を聞き、だいたいのことは頭に入っている。
現在、燕旺国はほぼ二つに割れている。䔥宰相派と劉太師派だ。䔥宰相派は皇帝派、劉太師派は皇太子(先帝)派と言い換えてもいいだろう。
愚帝であった異母兄から玉座を簒奪した珀悠か、それとも先帝の子慧峻か。大きく分けて、燕旺国はこの二つに分けられていると言って過言ではない。
だが、何も派閥がこの二つしか存在しないわけではないのだ。様子をうかがっている者、中立を貫く者、はたまた、珀悠、慧峻とは別に皇帝を仕立て上げようとする者までいるらしい。
そう言ったものが、女学校にも入り込んでいるのだろう。
「多くの人が出入りする場所には、情報を求めるものが簡単に出入りできるわ」
瑛がそう言うと、漣も気づいてようで「あ」と声をあげた。もちろん、まだ間諜だと決まったわけではないが、書庫は秘密の文書のやり取りなどが多く行われるので、可能性は高い。
間諜と言っても誰の命令を受けているのかわからない。情報を求める権力者は多く、女学校や学術院に学生として優秀な子を派遣し、情報を持ち帰ろうとする者が後を絶たない。
だが、書庫で秘密裏にやり取りをしているとなると、怪しさが倍増である。
「まあ、断言はできないけど、だとしたらその怪しすぎる行動はどういうことなのかしらね」
「浮かれているか、私に気付かせたいかのどちらかのようだね」
漣が腕を組み、椅子の背もたれに寄りかかった。大体やっていることの予想はついたが、本当に何をしているのかは謎のまま。しかし、それを解明するのは瑛でなくてもいいはずだ。
「まあ、もうしばらく様子を見てみれば? 姉上なら、そのうち真相にたどり着けるかもしれないし」
「そうだね……」
漣が納得の様子を見せたので、瑛は外にいる人物に声をかけた。
「珀悠。遠慮しなくてもいいわよ。入っていらっしゃい」
すると、漣が驚いた表情で入口の方を振り向いた。視線が合った珀悠はぎこちなく笑みを浮かべる。
「お久しぶりです、漣さん……」
「お久しぶりにございます、陛下」
漣はさっと立ち上がり、拱手をとる。片手の拳を掌で覆い、それを少し上げながら頭を下げる独特の方法。つられそうになった珀悠だが、自分が皇帝であることを思い出してぐっとこらえていた。
「文姫、どこで気が付いたの?」
「気配はなかったわね。でも、隠れたつもりかもしれないけど、入口から服の裾が見えていたわ」
ばっと珀悠が引きずっていた裾を押さえつける。漣がそれを見て「いじめないの」と言っているが、別にいじめているわけではない。
「ご、ごめん。立ち聞きなんて、よくないかなと思ったんだけど」
「……まあ、陛下にも関係がないとは言い切れませんし、別にかまいません」
申し訳なさそうな珀悠のびくびく度に漣も怒る気をそがれたようで、優しく言った。珀悠はほっと息をつく。
「ありがとう。漣さん」
漣は笑って珀悠に「とんでもない、お役にたてて光栄です」と笑った。瑛も珀悠に全く関係ない話ではないから特に口を挟まなかったら永遠にお蔵入りだった可能性がなくもない……。もちろん、瑛が珀悠に話さないからだが。
「それでは、私は失礼します。瑛、知恵を貸してくれてありがとう」
「ええ。でも、よく考えてみてね」
「もちろんだ」
漣は深くうなずき、最後に手土産の茶葉を残して帰って行った。彼女も何かと忙しいのだろう。瑛は残ったお茶を黙ってすすった。
「珀悠もお茶を飲む?」
「うん……いや、いい」
珍しく硬い表情で彼は首を左右に振った。瑛は「どうしたの?」と首をかしげる。
「文姫……さっきの話だけど」
「うん。私は瑛ね」
ツッコミを入れたが、さすがにそろそろどうでもいいと思い始めている瑛である。その証拠に、最近、ツッコミの回数が減ってきている。
「そうじゃなくて……その女学生が間諜であると判断するのは、早計じゃないか?」
君らしくない、と珀悠は指摘する。瑛は微笑んだ。
「悪い方に考えておいた方が、物事は楽に進むわ」
「そうかもしれないけど。君は冷酷で、そしてとても優しい人だ。君が簡単に『間諜だ』と名指しするのはおかしい。……と、思うんだけど」
よく見ているな、と瑛は思った。以前、䔥宰相は瑛のことを『甘い』と称した。そして、『甘さを理性で制御している』とも言った。珀悠はそれを、冷酷と優しさに言いかえたのだ。
「そうね。でも、私はその子が間諜である、と名指ししたわけではないわ。姉上にも、よく考えるように言ったし」
あれだけ情報を渡したのだ。漣も聡い。きっと気が付くだろう。
その女生徒の行動が、ただの恋煩いであることに。
書庫で情報のやり取りが行われるのは事実だ。そして、間諜を学生として送り込むことも多いのも事実である。だが、そう言った訓練を受けたものは、絶対にばれないように情報収集・交換を行う訓練を受けているはずなのだ。だから、その行動が他人に把握されているその女生徒は、間諜ではないのだろう。
書庫でやり取りされるのは情報だけではない。例えば、人に言えない付き合いをしている場合の恋文とか。とにかく、外に出しにくいもののやり取りを行っていることが多いのだ。
相手にすでに配偶者がいる場合とか、家の都合とか、いろいろな場合が想定できるが、その女生徒の場合はどうなのだろう。とにかく、彼女は書庫の中で相手と手紙のやり取りをしているのだろう。
思い出してくすっと笑った瑛を見て、珀悠が彼女の膝に寝転がる。瑛が抱き着くことを断固拒否したので、最近の珀悠は瑛の膝に頭を乗せることが多い。
「楽しそうだね」
「いや。若い子はいいなぁ、と思って」
女学校の学生なら、確実に瑛より年下だろう。女学校にいるのは、たいてい二十歳以下の少女だから。ここが学術院とは違うところである。学術院は、それこそ琅明のような少年から壮年の男性まで、さまざまな者が学んでいる。
「文姫だってまだまだ若いでしょ」
「ここにいると、自分がだいぶお姉さんのような気がするのよね」
実家では瑛は末っ子だが、後宮の妃の中では最年長である。女官の中には瑛よりも年上の者はいるが、女官と妃嬪ではやはり少し違うのだ。
「そんなことないよ。それに、若いのがいいとは限らないし」
珀悠が必死に瑛に言い募る。その様子がかわいらしく思えて、瑛は目を細めて「そうね」とうなずいたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
瑛の姉・漣は男前な美女です。夫も子供もいます。
さて、お知らせです。一週間ほど、この話を連日投稿したいと思います。なぜなら、もう一方の小説のストックがなくなったからです。
そんなわけで、しばらくおつきあいください。




