1、燕旺国
新連載です。よろしくお願いします。
「ああっ。かわいらしい女の子たちがたくさんいるのに手を出せないなんて、なんという苦行!」
彼女は、隣で身悶えて叫んだ青年を見て一言、容赦なく言った。
「とりあえず、あんたやっぱり一回死んで来い」
窓の外に青空が見えるその日、彼女は容赦なくそう言ったのだった。
「だって……だって文姫~!」
「何がだってなの」
呆れた口調で彼女は首を左右に振った。読んでいた書物を机に置き、彼女は青年に向き直る。整った顔立ちをした青年は、その端正な顔をしかめた。
「だって、俺の奥さんなんだよ、一応! それなのに何もできないとか……」
「甲斐性なし」
「そう言うことじゃないんだよ!」
半泣きで訴えてくる青年がいい加減ウザったかったので、彼女は「はいはい、そうね」と適当に相槌を打った。その適当さに青年はがくりと肩を落とす。
「文姫~!」
「ええい、抱き着こうとするな!」
再度書物を手に取っていた彼女は、抱き着こうとする青年の頭を殴った。それなりの厚さのある書物だったので、痛かったのだろう。青年は後頭部をさする。
「痛いよ! 一応、俺皇帝なのに!」
そう。この青年はこの国の皇帝であった。
△
燕旺国は中央平原を平定し、広大な領地を支配する東大陸最大の国である。君主は皇帝を名乗り、周辺諸国を属国として支配していた。
燕旺国の京師・洛陰。そこに、皇帝が住まう禁城がある。禁城には後宮があり、皇帝の妻や女官たちが多数生活していた。
現在の皇帝、汪珀悠は現在二十一歳。後宮の女性は、歴代皇帝に比べて圧倒的に少ないだろう。それもそのはずで、彼はまだ即位してから八か月ほどしかたっていないのだから。
珀悠の一代前の皇帝は彼の異母兄で、この先代皇帝が横暴であった。無類の女好きで美人と見ればあちこち手を出して後宮に住まわせ、珍しいものがあれば必ず手に入れさせた。
政には興味はあったようだが、決してうまくいったとはいえず、むしろ彼は自分の意見を無理にでも押し付けたため、その事業は失敗したこともあった。
後宮に集めた女性も、集めただけ集めて飼い殺しにしていたようだ。美しいとあれば身分も関係なく集められ、一部の民からは横暴であると苦情が上がっていた。
我が強いために妥協ができず、うまくいくはずの事業につまずき、徐々に国は傾いて行く。
そして、前皇帝の即位から七年たった昨年夏。さまざまな方向から要請を受けた珀悠は異母兄を討つために決起する。ちなみに、それ以前に前皇帝に行動を改めるように訴えていたようだが、それをうるさがり、彼を遠ざけてしまったようだ。そのための決起である。
そして、あっさりと京師は陥落。先帝は負けを覚悟して自害し、珀悠が皇帝となった。と、言われている。
その三か月ほどのち、今から半年ほど前に、珀悠は皇后を名門・夏侯家から迎えた。皇后・夏侯瑛は珀悠より三つ年上だった。
それが、この二人である。青年が珀悠。女性が瑛だ。
「皇帝だというなら、もう少し皇帝らしいふるまいをしなさい!」
「いや、文姫になら甘えてもいいかなって……」
「私はあんたの母親じゃないわよ! あと、私の名は瑛だって言ってるでしょ」
そう。珀悠は先ほどから『文姫』を連発しているが、彼女の名はあくまでも『瑛』であり、文姫ではない。文姫は彼女の幼名である。
「わかってるよ。文姫も俺の奥さんだし……」
何故そこで照れる。瑛は珀悠の整った顔を見て、男でも恥ずかしそうな表情が似合うこいつは人生得しているな、と思った。
皇帝・汪珀悠はとても整った顔立ちをしている。細身であるがその体は筋肉でおおわれており、背も高い。黒髪は無駄につややかで、鼻筋は通り、目元も涼やか。女装すれば似合いそうな勢いであるが、精悍な印象も受ける不思議な、しかし、整った顔立ち。ようするに美男子だ。皇帝の着衣が良く似合っている。
対する皇后・瑛も顔立ちは整っている。しかし、それだけだ。外見にはほかに特徴といった特徴はない。背丈は普通よりやや高いか。肉付きは普通で、顔立ちは普通よりやや整っているくらい。緑がかった黒髪は美しいが、それだけだ。超絶美形と言っても差し支えない珀悠の隣にいるにはやや見劣りするだろう。しかも、彼より三つも年上。珍しい年の差ではないが、珀悠が超絶美形であることを考えると、違和感を覚えずにはいられないだろう。
とはいえ、皇帝・皇后になる前からの知り合いである二人はそこそこ仲がいい。そもそも、瑛は世継ぎを生むために皇后として迎え入れられたわけではない。彼女の役目は。
「私は教育係として後宮に上がったのよ」
次の皇帝たる皇太子の教育係であった。
先の皇帝であった異母兄を討った珀悠であるが、彼はもともと自分が皇帝になる気はなかったようだ。だが、京師での戦で異母兄は亡くなってしまい、やむなく登極した。ちなみに、登極の時瑛は京師にいなかった。
異母兄は亡くなったが、異母兄には子供がいた。公主が二人と公子が一人。そのうち、公子を引き取り、珀悠の養子として育てることになった。これで血統は正当なものに戻る。そう思い、珀悠は彼を養子にした。公主二人は、京師制圧と同時に後宮から出た母親の実家に引き取られたようだ。
珀悠の母親の身分は高くない。燕旺国では、母親の血筋が重要視されるため、母親の身分が低い珀悠は自分が帝位を継ぐべきではない、と考えたのだろう。変人であるが、彼は頭が良いのだ。
それならば、異母兄が残した子に帝位を継がせればいい。珀悠はそう考えた。しかし、違うように考える者もいる。䔥宰相だ。
䔥宰相は切れ者であった。曲がりなりにも、燕旺国が先代皇帝の独裁にも国としての形を保っていられたのは、彼の功績が大きいだろう。ついでに、彼は珀悠の養父でもある。
養父と言っても、珀悠は䔥宰相の養子として引き取られたわけではない。䔥宰相はただの世話係なのだ。
珀悠の母親は後宮にいる最下層の皇帝の妃だった。だが、先々代皇帝……つまり、珀悠の父はそんな彼女を見初めた。そして、珀悠が生まれたのだ。
珀悠が生まれたことで、彼の母親は正式に皇帝の妃の一人として認められ、官位を授かった。二十七世婦のひとつ、才人である。崔才人と呼ばれた彼女は、珀悠と共に後宮の片隅でひっそりと暮らしていた。
しかし、崔才人は珀悠が十歳の時に亡くなってしまう。服毒死だったことはわかっているが、自殺なのか暗殺なのかははっきりしなかった。母親の身分が低く、しかもその母親を亡くしてしまった珀悠は後宮から出るしかなかった。後ろ盾のない子供が後宮で生きられるほど、先々代皇帝は優しくはなかった。
そこで、当時六部の吏部尚書を担っていた現在の䔥宰相は珀悠を引き取った。瑛には、これは䔥宰相の打算が見え隠れしていると思っている。
䔥宰相は、自分好みの皇帝を作り上げたのだ。彼は、先々代皇帝も先代皇帝も『君主として力不足』とみなしていたきらいがある。そのために、䔥宰相は理想の皇帝を育て上げるべく、珀悠を引き取ったのではないだろうか。
䔥宰相は才気あふれる男だが、自らが皇帝になろうとは思わなかったようだ。傀儡皇帝を立てることもなく、珀悠は現在、しっかり皇帝業を務めている。彼は聡明な公子だった。
珀悠と瑛が知り合ったのは、彼が䔥宰相に預けられているときである。䔥宰相と瑛の父親が友人であるのだ。そのため、たびたび䔥家には遊びに行っていた。
瑛は、今でも䔥家の邸でうつろな目をしていた少年を覚えている。これが、珀悠だった。
小さいころ、末っ子だった瑛は妹か弟が欲しかった。そのため、少し年下の少年を自分の弟分として世話を焼くのが楽しかった。
それが、気が付いたら弟分は皇帝になっているし、瑛はその皇后となってしまった。
話は戻るが、瑛は珀悠皇帝の子供を産むために皇后になったわけではない。幼いころからの仲なので、二人の仲は良い。しかし、瑛にこの国の皇后の座を渡されたのは、䔥宰相たちが彼女が次の皇帝を育て上げることを望んだからだ。
先の皇帝、珀悠の異母兄にはたくさんの妃がおり、子供も当然いた。彼の皇后の息子は、今も生きている。かわいそうだと感じた珀悠が殺さずに引き取ったのである。
その珀悠が引き取った先代皇帝の息子は、そのまま珀悠の養子となり、今は皇太子である。
珀悠は、正しい血統に皇家を戻すつもりなのだ。そのためには、皇太子の座を脅かす、自分の子が生まれてはならない。それゆえに、珀悠は自分の妻たちに手を出せないでいる。もちろん、後宮の妃たちの中には、皇帝の子を産むことを望んでいる者もいるのだが……。
まあ、それはともかく瑛の話だ。瑛は、そんな皇太子の教育係として後宮に上がった。自分で自分の身を護れて教養もあり、珀悠とも仲が良く、自分の立場をよく理解できる人物として、彼女に白羽の矢が立ったのだ。
「ああ……昔は甘やかしてくれたのに……」
「二十歳過ぎた男が何言ってんの」
はあ、とため息をつきながら珀悠は再び抱き着こうとして来る。今度は手を伸ばしてグイッと顎のあたりを押しやった。
「文姫、ひどい!」
「いつから抱き着き魔になったのかね、お前」
「癒しが欲しいだけなのに……」
「なら、他の妃に抱き着きなさい」
すぱんと切って捨てるが、珀悠は「できたらやってるよ!」と半泣きで叫ぶ。
「俺、これでも皇帝だよ!? 後宮の妃に不用意にそんなことできないよ! 彼女たち、皇帝の子供を産むのを使命として後宮に入ってきてるんだよ!?」
「あー、はいはい」
そもそも、後宮とはそう言う場所なのだから仕方がない。というか、何故子供を作る気がないのに妃を集めたのだ。まあ、後宮がなければ皇帝として体裁が整わないのはわかるが。まあ、䔥宰相あたりの策略だと思われる。
つまり、何が言いたいかというと、珀悠が何も考えずにたきつけるのは、皇太子の教育係として後宮に上がった、彼の姉的存在である瑛だけなのだ。
「文姫~」
「わかったから、情けない声を上げない。それと、私は瑛だから」
いつまでも幼名で呼び続ける珀悠に、瑛はいつも通りにツッコミを入れる。後宮に上がって半年ほど過ぎたが、さすがに慣れてきた。珀悠はパッと笑って瑛を抱きしめた、というより抱き着いた。
「さすがは文姫! 話が分かる!」
「……」
やはり、どれだけ言っても彼は瑛を文姫と呼ぶようだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
久々に中華風です。別に中華風である必要はないのですが、なんとなく恋しくなるんです。
今日中にもう少し投稿しておこうかな、と思っています。