プロローグ 異世界トリスタン(1)
2ヶ月ぶりの新作です。ヒーロー文庫の仕事が終わって一段落つきましたので。
一昨年に公開した「アドミラル」の完全改訂版です。世界観とヒロインを借りてメカチートの主人公が異世界を救うストーリー。大暴れさせますよ~(w)
「爺、メイフィアの到着時間は変更ありませんわよね」
ディープクラウドと言われる侵入不可のエリアに覆われた空を眺めながら、少女は付き人である執事に時間の確認をした。魔法王国メイフィアに帰国するのは1年ぶりである。
「コーデリアお嬢様。到着は今からおよそ8時間後となっております」
執事を務める老人はそう言いながら、巧みな所作で紅茶を品の良いカップに注いだ。お嬢様と呼ぶ主は、魔法王国メイフィアの第一王女であり、本来なら(殿下)と呼ぶべきであるが、今、乗船している空中艦は一般人も乗っている旅客船であり、ファーストクラスのキャビンといえども、他人の目を気にする必要があった。
王族と分かると周りが気を使うことを避けた王女が貴族令嬢か、財閥の令嬢に成りすますためにそう呼ばせていたのであった。
コーデリア王女は今年18歳。美しい金髪の腰まで届く長い髪はウェーブがかかっており、本人はくせっ毛が嫌だとストレート髪の友達を羨ましがったが、王女にふさわしい気品あるもので誰もが魅了された。
ルックスも一般紙にその写真が掲載されただけで、売上が倍になるという美少女ぶりで、メイフィア国民だけでなく、留学先にタウルン共和国でも有名女優を凌ぐ人気があった。それ故、行動の自由が制限され、せっかく他国に留学に来ているのに意味がないとコーデリア王女は常々不平を漏らしてはいた。
コーデリア王女は留学先のタウルン国立工科大学の長期休暇を利用して実家に帰る途中であった。いつも身の回りの世話をしてくれる執事の老人と一名のボディガードを従えてのお忍びの帰国であった。
コーデリアは小さい頃より、機械いじりが好きで空中艦の設計士を目指していた。目標はあと七年後に迫った「竜の災厄」に対抗する最強の空中武装艦を設計すること。そのために、空中艦のメカニズムでは先進国のタウルンに学びに来ているのだ。
「マリーは元気かしら……。今年であの子も12才よね」
妹の第2王女マリーとは1年会っていない。電話でたまに会話したり、メールのやりとりをしたりするが、自分も勉学に忙しく、6歳年下の妹を構ってやれないことが姉として残念に思っていた。
妹のマリーはまだ小さいながらも持って生まれた(魔力)が高く、パンティオン・ジャッジに出場する公女候補であった。公女に選出されると魔法艦隊を与えられ、世界の代表として、「竜の災厄」に立ち向かうことになるのだ。
自分はそれほど魔力が高くなく、年齢的にも公女にはなれないこともあって、(世界を救う運命にある妹のためになりたい)という思いで遠く、第2浮遊大陸の大国へ学びに来ているのだ。
(あの子のお土産、気に入ってくれるかしら……)
コーデリアがお土産と称するのは耐火筒に収納された空中武装艦の設計図。設計を学びながら、こちらの面では非凡な才能をもっていたコーデリアが作った、妹が将来、座乗するであろう魔法艦隊の旗艦を務める戦列艦の設計図であった。
「マリー様はまだ幼いですから、ぬいぐるみの方が喜ばれるかもしれません」
そう忠告する執事の意見も入れて、タウルンで人気の(たうるんるん)と呼ばれるゆるキャラのぬいぐるみもお土産に買ってはあるが、姉として妹は(設計図)の方を喜ぶと思っていた。
12歳ながら、妹は自分の役割を自覚しており、7年後に備えて魔力の鍛錬と空中武装艦の艦隊戦の戦術について貪欲に学んでいた。もうすぐ、公女候補者が勇者候補を探す目的のための異世界への留学も控えている。多忙な日々を送っていることだろう。12歳なら友達とたわいもない遊びをしたい年頃だろうに。
突然、ぐらりと船が揺れた。よくある気流の乱れによる揺れではない。かなり、大きく揺れたのでコーデリアは手にしたカップを落としてしまった。執事の老人はやっと座席にしがみつき、転倒を避けることができた。気流で揺れる場合は、事前に分かるので乗客にシートベルト着用のアナウンスがあるはずである。
それがないことは、緊急の事態が予想された。揺れの少ないファーストキャビンでもこの揺れだ。後方のエコノミー席では、けが人が出たかもしれない。
「船長、出力いっぱいです」
「ダメです。あと10分で追いつかれます」
操舵手とレーダー管制官が悲痛の叫びを上げる。それは命の危険を帯びていた。先程、乗客の危険を顧みず、急加速を命令したのも船自体が撃墜されることを避けるためのものであった。
「管制官、本当に追ってくるものはS級ドラゴンか?」
「間違いありません。色はブルー。S級のブルードラゴンです」
「……」
「B(ベビー級)級なら、この船のスピードで逃げられますが、S級のスピードでは追いつかれます。あと5分もすれば雷撃弾が飛んでくるでしょう」
副船長がそう冷静に告げる。彼は若い頃にドラゴンハンター稼業をしていたので、乗組員の中ではドラゴンには詳しかった。おそらく、船長を含めてドラゴンに襲われた経験はなく、座学で学んだ程度であろう。それだけレアなケースであったが、(竜の災厄)の時が近づいてきたことを思えば、こういう事態は起こり得た。
「近くにパトロール艦隊はいないか? ドラゴンハンターでもいい。エマージェンシー通信を放て。救援を要請するのだ」
船長は無駄と分かっていたが、そう命ずるしかなかった。今航行しているところは、第2浮遊大陸にあるタウルンと第1浮遊大陸にあるメイフィアの中間地点だ。どちらの領土でもないエリアだ。せいぜいいてもドラゴンハンターの船ぐらいであろう。
両国の防衛ラインから離れたこの場所に救援してくれる武装艦隊がある可能性はなかった。
「船長、この船を捨てて、乗客を脱出ポッドに乗せましょう」
そう副船長は進言した。このままでは、船ごと撃墜されてしまう。そうなれば、誰ひとり助からないだろう。だが、船長は躊躇した。なぜなら、この船がちょうど腐海上空を飛んでいたからだ。脱出ポッドを射出しても落ちるのは腐海。助けが遅れれば、ポッドごと溶かされてしまう。それに射出されたポッドのうち、いくつかはドラゴンの腹に収まってしまうのは確実だ。そんな死に方はゴメンだと船長は思った。
「ダメだ。リスクがあり過ぎる」
「それでは一人も助かり……」
「一瞬で死ぬか、徐々に苦しんで死ぬかの判断だ。君も分かるだろう!」
「そ、そんな。少しでも可能性を……」
船長と副船長が言い争っている中に空気を読まない人物が艦橋のドアを開けて入ってきた。
「船長、先ほどの急加速でお客様に負傷者が出ました。今、医務室に搬送していますが、一人は腕の骨を折る重傷で……。状況を説明しろと騒いで収拾がつきません」
キャビンアテンダントの主任が艦橋にそう報告に来たのだ。艦橋に通信したのだが、反応がないので直接確かめに来たのだ。実際、通信は何度も入っていたが、それに答えられる状況になかったので船長は無視していたのだ。
「やむを得ない。状況を伝える」
「船長! そんなことを言えばパニックなります」
副船長がそう言ったが、初老の船長の決定は変わらなかった。例え、パニックになったとしても訳が分からず死んでいくよりマシというものであろう。
「乗客の皆様。緊急事態です。よく聞いてください」
突然の船長のアナウンスに騒いでいた乗客は静まり返った。ファーストキャビンにいたコーデリアも耳をすました。
「当艦は現在、S級のドラゴンに追跡されております。あと10分後には完全に追いつかれます」
聞いた者は凍りついた。中にはドラゴンに追われているということ事態が理解できないものもいた。ほとんどの人間はドラゴンを実際に見たことはなかったからだ。だが、このトリスタンに住む者は小さい頃より繰り返し教えられてきた。(竜の災厄)というこの世界の運命を。そしてドラゴンがどれほど恐ろしい怪物かということを。
「お、追いつかれたらどうなるのだ!」
「し、死ぬってこと?」
エコノミーキャビンはパニックになる。席にベルトで固定されているので体を動かすことはできないが、泣き叫んだり、怒鳴ったりと大騒ぎになっていた。
「ドラゴンに追われているですって?」
コーデリアは自分たちが危機的状況にあることを予想していたが、落ち着いて状況をボディーガードに聞いた。ボディーガードは先程、王族特権で艦橋に入り、状況をある程度掴んできたのだ。
「S級のブルードラゴンだそうです。救援要請をしているようですが、状況的に厳しいですね」
そうボディガードは報告した。黒スーツに黒サングラスの女性である。落ち着いた口調は職業柄であろうが、サングラスの奥にある目は動揺して泳いでいるだろうと思われた。
「例え、ドラゴンハンターがいてもS級相手じゃ勝ち目はないわ。あれを倒すにはパトロール艦隊クラスの戦力がないと……」
コーデリアは窓の外を見た。後方に目視でドラゴンが小さく見えた。小さな光が徐々にスピードを上げてこちらに迫ってくる。
(雷撃弾……)ブルードラゴンが口から出すブレスである。その電撃の塊が船に当たれば、凄まじいエネルギーの爆発で撃墜は免れないであろう。船が大きく傾き、後方から来る攻撃をかろうじてかわす。
だが、通過した雷撃弾の放電で船全体が感電する。それは電子系統の部品を故障させた。船内が停電し、乗客はますますパニックを起こす。対策が取られていない民間の客船ではどうしようもなかった。
「お嬢様、ファーストキャビンには専用の緊急脱出ポッドがあります。それで脱出しましょう」
執事がそう進言した。空中艦には緊急用に脱出カプセルが積まれている。だが、それはドラゴンに襲われた時を想定していない。こんなに激しく揺れる船内を全乗客が移動してカプセルに移動することなどは不可能である。コーデリアは迷った。船長からは脱出命令は出ていない。自分だけが王族特権を使って逃げるのは良心が許さないのである。
だが、執事とボディガードは王女のそんな思いも意に介すことなく、シートベルトを外すと強引に王女の手を取ってファーストキャビンを出た。激しい揺れに見舞われて、壁に体を打ち付ける。これでは脱出カプセルがある場所へ移動することはかなり困難だ。
「離しなさい! 乗客を見捨てて、私だけ脱出するわけにはいきません」
コーデリアは掴まれた腕を振り払う。だが、執事もボディガードもこの王女だけでも生きながらえさせることが自分たちの最期の任務だと思い、それを許さない。
「お嬢様、逃げてください。それが魔法王国メイフィアの民のためです」
「お嬢様は次期、メイフィアの女王陛下となられるお方です。ここは生き残り、竜の災厄に立ち向かうのがお役目です」
「これも運命です。運命には抗えません。わたくしはここで皆さんと共に死にます」
コーデリアはきっぱりとそう言い切った。そもそも、この状況で脱出できる可能性もかなり低い。船からカプセルで逃げたところで、下は腐海なのである。救援がすぐ来なければ死ぬ時間が少しだけ長くなるだけだ。
コーデリアがふと視線をずらすと廊下に少女が倒れているのを発見した。エコノミーキャビンの乗客であろう。おそらく、席を離れていた時にこの状況になり、ここまで逃げてきたと思われた。
「大丈夫?」
コーデリアは駆け寄ると少女を抱き起こした。年は10歳ぐらい。妹のマリーと重なった。頭から少しだけ血が流れていたが、コーデリアがハンカチで抑える。そんなに大きな怪我ではなさそうだ。コーデリアに抱き起こされて少女の意識が少し回復した。
「う……うう……。ここはどこ? こ、こわい」
「大丈夫よ。お姉さんが守ってあげる。あなたの名前は?」
「フ、フィン。フィン・アクエリアス」
「お母さんかお父さんは?」
「いないです。わたしはおじいちゃんのところから一人で帰る途中……」
「そ、そう」
コーデリアはフィンの右手首にはめられた腕輪に気がついた。これはパンティオン・ジャッジに出場する候補者が持つ腕輪である。この腕輪は全国から魔力の才能がある少女50人に与えられる。3ヶ月ごとにランキングが変わり、最終的にパンティオン・ジャッジに出場する5人が決定されるのである。フィンの腕輪は「5」と刻まれていた。かなり有望な候補者である。
(この子だけでも助けなければ……)
コーデリアは強烈にそう思った。妹のマリーもそうだが、この子が7年後の「竜の災厄」から人々を救う救世主になるかもしれないのだ。
激しい振動と凄まじい音がする。耳が麻痺する感覚。ドラゴンブレスの2擊目の雷撃弾が船に直撃したのだ。凄まじい振動とともに後方部分が爆発炎上した。後方にあった貨物室とエコノミー席は瞬時に吹き飛び、乗客もろとも空中に四散する。前方のエリアも少しだけ時間があったに過ぎない。この状態では空を飛べず、落下するしかないからだ。さらにとどめの雷撃弾が向かってくる。
「お、お嬢様~っ。お逃げください……」
激しく体を打ち付けられた老執事はそう言って息絶えた。ボディガードも倒れている。フィンを抱いたコーデリアも体が飛ばされたが、運のよいことに硬い壁ではなく、部屋から飛び出してきたソファーベッドに救われた。通路には部屋の調度品が飛び出し、足の踏み場もない状態だ。
急がないとこの船はもう何分も持たないだろう。コーデリアはフィンを背負った。急いで脱出カプセルに向かう。だが、コントロールを失った船内で移動することは容易ではない。火災の煙が室内に充満してきつつある。
激しく壁にぶつかりながらもコーデリアはフィンの手を引いて脱出カプセルがあるファーストキャビン專用エマージェンシーエリアに入った。だが、10個程のカプセルが滅茶苦茶に破壊されていた。かろうじて使えそうなカプセルが1つだけ目に入る。カプセルは一人用である。
「うん」
コーデリアは小さく頷くとためらいもなく、フィンを乗せる。
「お姉ちゃんは?」
そう尋ねるフィンにコーデリアは優しく微笑んだ。そして例の設計図が入った筒を渡した。フィンの手をギュッと握る。
「これをわたくしの妹。マリーという名前よ。マリーに渡して。そしてあなたは生き残ってこの世界を救うために戦うのです。それがわたくしの願い……」
激しい爆発音がする。後方で爆炎が迫る。コーデリアはそっとカプセルのドアを閉めた。フィンが中で叫ぶが声は聞こえない。口の動きで自分の名前を聞いているのだと分かった。コーデリアはニッコリと笑った。少女が怖がらないように精一杯の笑顔だ。
「コーデリア……。それがわたくしの名前」
フィンが(コーデリア)と復唱した時に最後が訪れた。大爆発と共に船体が折れて粉々になったのだ。
(マリー……。姉様は先に逝きます。あなたは生きて、この世界を救いなさい)
壊れた船体の破片と共に外へ放り出されたフィンが乗ったカプセルは、パラシュートが開いてゆっくりと腐海へと降下していった。
四散する火の粉の中をドラゴンが咆哮をしつつ、通過していく。
それは人類に対する勝利を確信する咆哮であった。