受難2
周りの状況を眺め、アイリーシェは嵌められたのだと瞬時に悟った。そして、自分が花嫁という、ありがたくもなんとも無い肩書きを手に入れてしまったと理解する。
大陸中に蔓延る噂話より確実なのは、この国の者達は意地悪で、演技が上手だということだ!
あんな大人数が集まる場で始末しようとするなど、有り得ない。あれが本当に送られてきた刺客ならばどうしていたのか想像したくはない。あの調子なら軽く屠った気もするし、きちんと別室に連行し、しかるべき対処を施してから身柄をどうするのか考えたかもしれない。
考え込んでいるアイリーシェの目の前にファレノプシスがやって来た。
「我が国の花嫁は貴女が相応しい。フランシスカ帝国第三皇女、アイリーシェ」
紫水晶のような瞳を眇め、ファレノプシスはアイリーシェを見下ろす。その声には僅かに興味という名の熱が込められているような気がした。
アイリーシェは一瞬だけ顔を顰め、次いで微笑みを浮かべる。その間の時間は一秒にも満たないからファレノプシスからもアイリーシェの表情の機微はわからなかっただろう。
「まぁ、わたくしが貴方様の花嫁?貴方様の花嫁は先程まで戯れておられた花たちではなくて?」
アイリーシェは皮肉を込めて返事をすると周りは騒然とする。
アイリーシェの返答が些か慇懃である為だろうが、周りにとやかく言われる筋合いはない。
ファレノプシスに咎められるならまだしも、周りの国の者にその資格はない。
フランシス帝国は大陸二位に君臨し、デュール王国が同等と認める唯一の国だからだ。といってもアイリーシェはフランシスカ帝国の跡継ぎではない為頻繁に国外へ赴くことはなく、姉の第一皇女リュテシューラほどファレノプシスと面識があるわけではない。彼が激昂する可能性もあった。
しかしファレノプシスはアイリーシェの物言いに対して表情を変えることなく、淡く微笑みを浮かべたままだった。
「余興に驚いて離れていくような花はいらないよ。僕が欲しいのは強い花だもの」
「.....左様でございますか。ですが、わたくしも強い花ではないですよ」
アイリーシェはさりげなく自分も除外してくれと仄めかす。
「余興に驚くことなく対処した貴女が?リュテシューラ姫も君のような妹がいるなら教えてくれればいいのにね」
「.....身に余る光栄でございますが、わたくしは婚約を承認する権利を持ちえません故、この場でお返事することはできません。また後日、使者を送るということで宜しいでしょうか?」
ファレノプシスと言い合っていても埒が明かないと悟ったアイリーシェは国の重臣たちに任せようと、この場は逃げることにした。
もちろん了承してもらえると思った。
しかし、アイリーシェの考えは甘かったのだ。
ファレノプシスはアイリーシェと更に距離を縮め、身体を抱き上げる。ふわりと浮き上がる身体に呆然とし、アイリーシェは反応に遅れた。
「殿下!?」
アイリーシェはすぐさまファレノプシスから逃れようともがくが、びくともしない。
「うん、人目のある所で話していても仕方ないし、ちょっと二人きりになれるところへ行こうか?」
耳元で小声で囁かれ、アイリーシェは頬を赤く染める。
(耳元で囁かないで!しかも二人きりになれるところへですって!?冗談じゃないわ!)
そんなところへ連れ込まれたら既成事実を作られる可能性もあるし、婚約成立の噂が流れる。
そう思っていても口に出すのは憚られる。
口に出すことで更に現実味を帯び、真実になってしまうから。
アイリーシェは周りにいるはずの付き添いと使者を探す。助けを求め視線を巡らせるが彼等は真っ青になって絶望しているらしく、役に立ちそうにない。我に返るまで助けがあることを期待するだけ無駄のような気がした。
ファレノプシスはアイリーシェの動揺と落胆も気にも留めず扉へ向かう。
ゆっくりと豪奢な扉が開き、廊下へ出る。
廊下へ出た瞬間、会場内から色んな声が聞こえた気がするがアイリーシェもそれどころではなかった。