受難
「アイリーシェ」
名前を呼ばれたアイリーシェこと、アイリーシェ・フランシスカは盛大に顔をしかめた。もう、それはそれは嫌そうに。
名前を呼んだ青年はファレノプシス・デュール。デュール王国第一王子である。
アイリーシェはこの男に気に入れられて、現在、婚約者となっている。しかし、アイリーシェは盛大に顔をしかめるほどにこの婚約に反対していた。好きでないし、デュール王国のファレノプシスは鬼畜で冷酷だと近隣諸国で有名で、大陸随一の権力と財力をもってしても、嫁ぎたくない先ナンバーワンと言われているから。
実際に流れてくる噂は酷い。権力者ゆえに命を狙われるのは、権力ゆえ。仕方ない。しかし、その撃退方法があまりにも残酷すぎた。普通に殺すのではなく、じわじわとゆっくり、拷問しながら殺すらしい。
幼なじみの王妃筆頭の令嬢は、その時のことを想像して卒倒したと聞いた。それが理由で婚約破棄になったとも。
あくまで噂。しかし、それを裏付けるような発言や行動が多い為、噂は広まる。
婚約破棄となり、ファレノプシス王子は他国に花嫁を募り、デュール王国にて花嫁選抜というなの舞踏会が開かれた。
アイリーシェも招かれた国の一つで、フランシスカ帝国、第三皇女。姉二人は除外された。一人は跡継ぎであるからだ。しかし、もう一人は、拒否したのだ。皇女あるまじき行為であるが、病弱で転移魔法に耐えうる体力がないとみなされ、候補から外され、アイリーシェにまでその話は回ってきた。
アイリーシェが花嫁になることは限りなくゼロ、というかほとんどありえないが、誰も出席しないというのは体裁がわるい。しかし、幼い妹たちに行かせるのはもっと危険だ。
だから、アイリーシェは大人しく舞踏会に出席し、つづがなく終わらせ、さっさと帰る心積もりでいた。回りの重臣たちも、アイリーシェを他国へ嫁がせたくない為、顔を出すだけでよかった。
しかし、一瞬のミスで、アイリーシェは嫁ぐつもりのない王子に気に入れられてしまった。
その出来事は、舞踏会一日目に訪れた。
夜の帳が降りて、空が橙色から夕闇に変わる頃、舞踏会は幕を開けた。
城で一番大きな広間、鏡の間と呼ばれる所で行われた。
部屋を照らすのは数え切れないくらいの最高級クリスタルのシャンデリアと、施された光魔法。その光は照らすだけではなく、鏡が張られる部屋を輝かせる役割がある。
幻想的な空間の下、舞踏会は滞りなく進んでいた。
冷酷で残酷な王子であるが、容姿は最上級。光を浴びて輝く銀髪に、冷ややかに細められる紫の瞳は宝石のように煌めいていた。すっきりとした顔立ちに、 整った各パーツが配置されている。
(女性が好みそうな容姿ね)
と、遠く離れた場所から眺めながら、アイリーシェはファレノプシスをそう評した。
その評価した通り、彼の周りは花に群がる蝶で溢れている。
色とりどりの衣装を身に纏い、蜜を得ようともがいている。
噂など、まるでなかったように。
競い、蹴落とそうとしている。
大陸随一の権力と財力に加算された容姿で、どうやら噂は霞んだらしい。
(まあ、早く決めてもらった方が有り難いし、頑張ってほしいわ)
あの中からさっさと選べばいい。
お気に入りを、王妃として。
選ばれた王妃には同情する。暗殺者とあの王子の相手をしなければならないのだ。そんな人生、アイリーシェは真っ平ごめんだ。
国で平穏に過ごしたい。
結婚も、必要なら条件のあう男性とならしてもいいと思っている。
国もアイリーシェの力を認めて、趣味も容認しているのだから。
(早く帰って、愛でたい!)
だから、この退屈な時間が早く過ぎるのを祈った。
その声が聞き届けられたのか、退屈な空間は一瞬で終わりを告げた。
暗殺者の来訪という形で。
辺りが真っ暗になった。周りで令嬢や各国の姫君たちが悲鳴を上げ、騒ぐ。
その中でもアイリーシェは冷静だった。
夜目が利くアイリーシェは目を凝らしながら、辺りを見回す。
そして、黒に溶け込む服装の人間が三人いることに気が付く。それが、王子を目掛けて走っていくことにも。
しかし、この国の王子が、気付かないはずがなく。
部屋の光を戻すと同時に、暗殺者たちを圧倒的な魔法で拘束した。
ガシャンと武器を落としながら、三人で一纏めにされ、身動きできずに、顔をしかめている様が見えた。
さすが、と言うべきだろう。それほど、手際がよかった。
暗殺され慣れているだけはある。
顔色一つ変えない王子と、顔色が悪い取り巻き。
顔色が悪い者たちは改めて実感したことだろう。彼に選ばれるという、その立場と危うさに。
(噂の真偽が分かるかもしれない......いや、ここでそんなことするはずないか......)
と思っていたら、彼は場所や、集まっている人間など関係ないらしい。
真っ赤な炎を片手に生み出すと、暗殺者に与えようとする。
「依頼主は誰だ?」
冷めた顔で、冷めた顔で問いかけた。
三人とも口をつぐみ、誰一人喋ろうとはしなかった。
会場中が息を潜めて行く末を見守る中、王子はため息をついた。
「話さないなら、用は無い」
それが、合図なのだろう。
周りで息を呑む者たちがいた。
アイリーシェはこんな場所で危険な魔法を使うこと、暗殺者たちを始末しようとすることに怒りを感じていた。
(殺させない!)
咄嗟に移動魔法を使い、間に割り込む。
「っ!?」
王子と周りが息を呑む。
アイリーシェは簡素ながらも強度の強い結界を張った。
そのお陰で惨劇は起こらなかった。
しかし、アイリーシェの隠していた魔法力を明かすことになってしまった。
アイリーシェは青ざめる。
反対に、王子や側近たちは歓喜していた。
しかも、殺されそうになっていた暗殺者たちまでもが。
その様子を見て、嵌められた、と思った。
でも、既に遅かった。
(誰か時間を戻してください!)