魔女は恋心を自覚する
全ての始まりは、アルトの女主人、
スピカ=ルーンの一言だった。
「アルト、ケーキ買ってきて」
「はいぃ!?」
朝起きてから、白い髪を腰まで垂らした
姿で手紙のチェックをしていた彼女は、使い
魔のアルト=ハルメリアに唐突に言った。
アルトの青い瞳が驚愕に見開かれる。
元々彼女の言葉に時に脈絡がなかったり、稀に
会話にならない事を言われる事はもう分かって
いたけれど……。
未だに今の生活に慣れていない自分に、アルトは
なんだか悔しい気分になってうつむいた。
「ケーキなら僕が作りますけど、それじゃ駄目なん
ですか?」
「レティが、新しいケーキ屋が出来たって言ってた
から、食べてみたい」
むぅ、とアルトはすねたような顔になったけれど、
スピカは彼が何故機嫌が悪いのかまるで分かっては
いないようだった。
諦めたようにアルトはため息をつく。
「分かりました。家事を終えてから行ってきますね。
いくつ買いますか?」
「全種類一個ずつお願い。自分の分も買っていいから」
アルトは苦笑した。この少女は、小食なくせに、甘い
物だけは人一倍食べるのだ。
アルトが洗濯し、掃除し、料理をしている間に、スピカは
雪のような髪を結い、きらきらした星の髪飾りをつけて
いた。
今日のローブは、桜色の可愛らしい色だった。
スピカは染色と裁縫が得意なので、自分の服は全て彼女の
手作りだった。
「可愛いですね、その服。似合ってますよ」
「……!?」
スピカの星のように煌めく紅い目が、大きく
見開かれた。
桃色の愛らしい口がOの形に開いている。
驚いた時の、彼女の癖だ。
耳が赤くなる前に、ぱっと彼女はアルトから目をそら
してしまった。
アルトはそんな彼女にさらに可愛い、という印象を
持ちはしたが、スピカの声が冷たくなったので言わ
なかった。
からかわれたと思われたのだろうか。
「早く行ってきて」
「わかってますよ、今行きます」
冷たく言われ、首をかしげながら、アルトは館を飛び
出した。最近スピカの態度が冷たい気がする。
何かあったのだろうかと思いつつも、小心者なアルトは
聞くのが怖かった。君が嫌いになったから、って言われたら
と思うと背筋が寒くなってしまう。
でも、スピカの性格上嫌いな相手を同じ館には住まわせない
のではないだろうか、と悩みつつアルトは歩いていた。
そんな彼は、知らなかった。
「かわいいって。にあってるって」
アルトが館からいなくなった後、スピカが赤くなりながら
口元を緩ませていた事を――。
一方。館を出たアルトは、王都シュザリアで迷っていた。
スピカから地図を貰い忘れた事を、辿りついてから気づいた
のだ。
彼女から受け取った十カトル(銅貨)で馬車に乗り、やって
来たのはいいが、ケーキ屋の場所が分からなかった。
街の人に話しかけても、冷たい声で今忙しいんだ、と返
される。どうしようと思った、その時だった。
「どうしたの、そこの子、迷った?」
黄色い髪を後ろでひとつに結った女性が、優しく話し
かけてくれた。同じ色の目が、好奇心にキラキラ輝い
ている。
人懐こそうなその笑顔に、アルトはなんだかホッとした。
「君さ――。人形の魔女・スピカ=ルーンの、使い魔
でしょう?」
「な、なんで知っているんですか!?」
「君がいたオークションはねえ、知らぬものはいないと
されるくらい、有名なんだよ。落札品とかも新聞に載る
しね」
「だから、みんな僕をさけるんですか?」
「それもあると思うよ。スピカ=ルーンは恐れられている
からね」
キッとアルトは女性を睨みつけた。
にこにこと笑っている彼女の考えている事が読めない。
「あなたも、ですか?」
「冗談でしょう? なら君に話しかける訳ないじゃないの。
私は、殺しを依頼した癖に、後から手のひらを裏返すような
馬鹿は嫌い。だから、スピカ=ルーンを恐れてなんか
いないよ」
どうやら彼女に否定的な考えを持つ人ばかりではないと
気づき、ほっとしたように、アルトは息をついた。
女性がにこやかな顔のままで尋ねる。
「何か探してるの、君?」
「アルト=ハルメリアです。君君言うのやめてください」
「アルトね。私はメリッサ=ウォーカー。『占いカフェ・
カッサンドラ』って知ってる? そこの店主」
「カッサンドラの!? 僕が探してるの、そこですよ!!」
偶然だね、とメリッサが笑う。アルトは運よく、探していた
店の店主に巡り合ったのだった――。
メリッサ=ウォーカーは、既婚者だった。
よく見ると白い指の薬指に、結婚指輪がはめられている。
銀色のリングには、ラピスラズリが飾られていて、
ひいらぎの模様が彫ってあった。
綺麗な指輪だな、とアルトは思わずそちらに釘づけに
なってしまう。
メリッサは嬉しそうににっこりと笑った。
「結婚、してるんですね」
「そ。人妻だよう。彼は細工師でね、この指輪も彼が作って
くれたんだよ。綺麗でしょ?」
「旦那さんが作ってくれたんですか、いいですね」
「うん……あ、ついたよ」
一瞬悲しそうな目になったが、次の瞬間にはもう
メリッサは笑顔に戻っていた。
どうして、あんな悲しそうな表情になったのだろう。
そう思ったけれど、会ったばかりの人のフライバシーを
侵害するのもなんかな、と思いアルトは聞かなかった。
『占いカフェ・カッサンドラ』は、エキゾチックな
雰囲気だった。
不思議な文様のタペストリーが飾られ、綺麗な
カードや水晶が置いてある。
「で、ご注文は?」
「えーと、全種類一個ずつください」
「一個100カトルだから、2000カトルだねえ」
「えーと、後、もう一つください。このチョコのやつ」
「まいどあり」
2000と100カトル払い、アルトはケーキを受け
取った。
一礼して店を出ようとすると、ちょっと待って、と呼び
止められた。
振り向くと、にやりと笑ったメリッサと目が合う。
「占ってあげるから待ってよ。そこ、座って」
アルトはメリッサの前の椅子に座った。
真剣な顔をした彼女が、タロットと呼んだカードを慎重に
切っていく。
スプレッドはヘキサグラムにするね、とメリッサは
言った。アルトにはタロットカードの知識はないので、
彼女に任せる事にして頷く。
メリッサは七枚のカードを星の形に並べた。
「最初は過去、力の正位置。勇気、危険を伴う判断、独立
心。――君さ、もしかして家出した?」
「えっ!? なんで分かったんですか?」
アルトは出されたミルクティーでせきこんだ。
くすくすとメリッサが笑う。
「なんとなく結果で占っただけだよ。次は現在、世界の正
位置。ふうん、君の目的は達成されたね」
「はい、当たってます!!」
「次は未来、運命の輪の正位置。幸運の始まり、良い方向
への進展。君の未来は明るいよ。次は対応、恋人の正位置。
愛の強さ、直感を信じる。うーん、愛を疑うなって事
かな」
かあっとアルトが赤面した。ガシャン、とカップを引っ繰り
返しお茶を零してしまう。それには構わず、メリッサは
続けた。
「次は環境、っと。審判の逆位置。不満、見当違い。
君は今の状況に満足してないね。当たってる?」
「……当たってます」
アルトはテーブルを拭く手を止め、うつむいた。
なぐさめるように肩を叩きながら彼女は続ける。
「次は願望だね。星の正位置。明るい未来。恋愛の成就。
好きな人と結ばれたいんだねえ」
椅子に座ろうとした彼は、動揺のあまりすっ転んだ。
椅子が倒れ、膝をすりむく。笑いたいのをこらえ、メリッサは
真剣な顔を通していた。
「最終予想。これで最後だよ。死神の逆位置」
「し、死神!?」
アルトがさっと青ざめた。初々しい反応に、ついメリッサは
くすくす笑ってしまう。
「大丈夫。逆だから意味も逆だよ。好転する、変化。……これ
から顧みるに、愛を疑わなければ、君の目的は果たされると
思うよ。お疲れ様」
「あ、ありがとうございました」
「いつでも占うからまたおいでね~」
アルトはメリッサに頭を下げ、嬉しそうな様子で帰って
行った――。
「お帰り、アルト!!」
館に帰ると、スピカが飛び出してきた。
思わずケーキの入った箱を落としそうになり、彼は慌てて
持ち直す。
「今帰りました、スピカさん。――これ、ケーキです」
早速スピカは箱を開けた。
ショートケーキ、ガトーショコラ、モンブラン、エクレア、
シュークリーム、ティラミス、スモモのタルト、ブラウニー、
ミルフィーユ、トルテ、スフレ、チーズケーキ、プリン、
スコーン、マカロン、マフィン、アップルパイ、シャルロット、
コケモモのタルト、キイチゴパイなどが、次々に可愛らしい
口に消えていくのは、圧巻だった。
アルトは粉砂糖をたっぷりとかけたガトーショコラの前で、
思わず動きを止めている。
「アルト、お茶淹れて」
スピカがそういう頃には、かなりのケーキが彼女のお腹に
収納されているようだった。かなり食べるのが早い。
味が分かっているのか、と聞きたいくらいだ。
が、スピカの目はきらきらと煌めいており、頬も紅潮していた
から、かなり美味しいのは確かだった。
ハーブティーを淹れ、二人分にカップに注ぎ終えたアルトは、
自分のケーキを一口食べてみた。
「お、おいしい……」
アルトは落ち込んだ。かなり落ち込んだ。
何故って、自分の作るものより、はるかに美味しいのだから(店
出してるから当たり前なのかもしれないが)。
あの人に弟子入りしよう!! アルトはそう決意した。
全てはスピカのために。愛する彼女のためだった――。
次の日、スピカは買い物に行くから一緒に来ないか、と聞いて
来たが、アルトは行く所があるからと断った。
スピカが悲しそうな目をした事に、彼は一切気付かなかった。
やりたい事に対する熱意でそれ所ではなかったのだ。
アルトはすぐに馬車に乗り、昨日のカフェにやって来た。
「メリッサさん!!」
「え~と、君は昨日の……」
「アルトです!! 僕を弟子にしてください!!」
「ダメ~☆」
「だ、駄目なんですか!?」
「私は弟子は取らないの。……でも、君が通って、勝手に
私の技を盗むのは止めないけどね」
「ありがとうございます!!」
それから、アルトは足しげくここに通った。
スピカの誘いは、幾度となく断られた。
アルトとしても辛かったが、彼女の喜ぶ顔を見たいという
一心で耐えた――。
スピカは苛立ちを募らせていた。
アルトが、少し前はどこにでもついてきていたアルトが、ここ
最近、毎日出かけるからと、誘いを断り続けるからだ。
王都シュザリアの市場で、「凶悪悪魔君人形(限定品・
1500カトル)」を購入しカフェによろうと立ち寄った彼女は、
そこに使い魔の姿を見つけた。
「アル……」
声をかけようとして言葉につまり立ち止まる。
アルトが、自分以外の(レティ・リイラをのぞく)女性と、楽しく
話している。女性が何事か言い、アルトが赤くなった。
泣きそうになり、スピカはぬいぐるみを抱いたまま、館に逃げ
帰った。声をかけるなんて、とても出来そうになかった。
ちなみに、アルトの名誉のために言っておくと、彼はもちろん、
メリッサが好きではなかった。
好きは好きだが、愛してはいない。既婚者だし。
あくまで友人として好きなのだ。
赤くなったのだって、彼女に、「告白しちゃえば?」とからか
われたからだったりする。
スピカは全然知らないし、ついでに言えば、薬指の結婚指輪
にも彼女は気づいてなかった。
「リイラ、私、病気なのかな」
遊びに来たリイラ=コルラッジに、スピカはすっかり気落ちした
様子で言った。ぎょっとなってリイラが叫ぶ。
「病気!? 何があったの!?」
「なんか変なの。アルトに褒められると赤くなるし、アルトが
誰かと楽しく話してると、悲しくなるの」
「それ、病気じゃないわよ。恋よ恋」
「恋……?」
子供のようにスピカが小首をかしげる。
頬を桃色に染めると、これが恋、と呟き、まだずきずきと痛む胸に
手を当てた――。
カフェの女性店長に弟子入りし、スピカの
ために美味しいケーキを作ろうとするアルト。
しかし、スピカはそうとは知らずに勘違い
して――!? ようやくスピカが自分の想いに
気づきました。