魔女は再び狙われる
使い魔アルト=ハルメリアは、
今日は朝から機嫌が悪かった。
何故なら。
「スピカ~。お前が好きだ~。
俺はお前を愛してる~」
とか変な節をつけて歌うバカ様
――否、貴族の坊ちゃんである、
エトワール・クロウ・リルアラが
いるからだ。
顔だけは無駄に美形な彼は、
スピカに惚れたらしく、熱烈な
アプローチを開始していて、
はっきり言ってスピカにも
アルトにも大迷惑だった。
「麗しい顔をどうか見せておくれ
え~。俺のスピカあああ~」
騒音公害もいい所だった。
次第に、スピカ=ルーンの紅い目に
苛立ちの色が浮かんでくる。
本人の怒りを示すかのように、二つに
結い分けられて星の髪飾りをつけた
白い髪が逆立っていた。
「うるさい」
この館の女主人であるスピカの声と
共に、大量の水流が彼に振りかかった。
がぼがぼと言いながらまだ歌おうとする
エトワール。
以外に一途なようだった。
きっと、彼がくどけば、あっさりOKする娘
だっているだろうに。
そこだけは評価してもいいかもしれない、
とアルトは思った。
スピカを選んだ事と、一途な所だけは。
そこではっとなって、アルトは金の髪を
乱しながらスピカの背に抱きついて止めた。
「スピカさん、水は駄目です!! 死んじゃ
いますよお!!」
もちろん、エトワールに襲い掛かった水は
魔女であるスピカが放った物だ。
彼女が止めない限り、あれはいつまでも
彼への攻撃を止めない。
スピカは白い頬をむぅ、と膨らませた。
しかし、アルトを突き飛ばしたりはしない
ので従う事にしたのだろう。
「じゃあ、火で行く」
「火も駄目です!! 彼は人間ですから!!」
「じゃあ、あいつを追い出して、アルト」
「苦手なんですけどね、あの人」
アルトは渋々ながら彼に近づいた。
前回ボコボコされた記憶は、少年の中ではまだ
記憶に新しい。
震える体を思わず抱きしめていると、大丈夫、
とスピカはにっこりと笑った。
蕾が綻ぶかのような可愛らしい笑みに、思わず
アルトはどきりとなってうつむく。
「君に何かあったら、今度こそ殺っちゃうから」
「殺しちゃ駄目ですってば!!」
完全に無視されたエトワールが、二人の気付か
ない所で死にかけていた。
もう声さえも聞こえない。
綺麗に整えられた、短い闇のような漆黒の髪が力
なくくたりとして青ざめた顔に垂れ落ちている。
異国の言葉で星を表す名前の通り、星のように
きらめく銀の瞳は今や伏せられていた。
次第に彼の手足さえも青くなっていく事に気づき、
アルトが慌ててスピカへと言葉を投げる。
「スピカさん!! あの人、死にかけてますっ!!」
「殺した方が私のため、君のため」
「スピカさあん!! そんなに迷惑だったん
ですか!?」
アルトが泣きそうになっていたのに気が付いた
のか、渋々と言った様子で彼女は動いた。
白い指がパチン、と鳴らされる。
すると水が引いていき、水流から解放された彼は
苦しげに咳き込んで口内に入った水を履き出した。
ふん、とスピカが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「これにこりたら、家に帰れ、エトワール」
「スピカ。素直になれ!! この嫌がらせさえも
君の愛のかた――」
「うるさいうるさいうるさいうるさい。とっとと
帰れ!!」
げしげしとエトワールを蹴りつけるスピカ。
が、エトワールは素直になれ、と言い続けていた。
とんでもなくポジティブシンキングな奴である。
アルトは思わず彼に同情してしまった。
「馬鹿様~。リルアラ家の大馬鹿さま~」
とその時だった。
からかうような声と共に、背の高い男性が森に
やって来た。
使用人のような黒のお仕着せを着ているので、
おそらくは、エトワールの家に仕えているの
だろう。
それにしては口調に小馬鹿にしたような響きが
あるが。
「イリアス!! 馬鹿様はやめてくんない!
若様だろ!?」
痛みに端正な顔をしかめながら、エトワールは
がばっと起き上がりイリアスと呼んだ少年を睨み
つけた。
短い黒髪に暗い青の瞳を持つ少年は、しかし
怯んだ様子もなく肩をすくめている。
「うるさいです、馬鹿様」
「だから、馬鹿様じゃねえっつの、クビにするぞ
お前」
「残念ですが、馬鹿様。俺が仕えてるのは旦那様
ですので。あ、馬鹿だから分かんないか」
「ふざけんな、このヤロお!!」
「はあっ!!」
がすっと鈍い音が響き渡った。
イリアスと呼ばれた少年が、エトワールの鳩尾に
拳を叩きつけたのだ。
倒れ掛かってきたのを受け止め、もの凄い笑
顔でもう一度殴っている。
さすがにエトワールが気の毒になったので、
思わずアルトは止めに入っていた。
「え、ちょっ! 何してんですか!?」
「馬鹿の口を封じました」
「一応主の息子ですよね!?」
「あー、大丈夫です。俺ら幼馴染なんで。……
うちの馬鹿様がお世話かけました~」
アルト達に一礼するイリアス。
スピカが無表情で話に割り込んでもにこにこした
顔のままだった。
一見穏やかそうな顔だけれど、何だかアルトには
彼のお腹の中に黒い物が見える気がする。
「こいつ迷惑だから殺していい?」
「あー。駄目ですよ。こいつ、殺しても死なないんで。
悪運だけは強いんですよね~。食事に毒盛っても、誰か
が零したり、奴がたまたま食べなかったりします
しね~」
「殺意あり!? 何があったんですか、あなた達の
間に!?」
「……何もないですよ?」
「今の間は何なんですか!!」
怖い会話を続ける彼らに、半泣きになったアルトが
割り込んだ。
本当に二人の間に何があったかは分からないが、毒を
持った事が遭ったという事実がアルトの背筋を寒く
させた。
あ、信じたんですね、冗談だったのに……とイリアスが
ボソッと呟いたがアルトには聞こえていない。
スピカには聞こえていたのでチッと舌打ちしていた。
「イリアスさんっていいましたね!! 早くこの人連れ
てってください!! スピカさんが殺す前に!!」
「また来ますので、さよ~なら~」
最後までにこにこしながら、イリアスはエトワールを
かついで去って行った。
もう二度と来ないで。アルトは心からそう思った
そうな――。
彼らが帰った後、アルトはいつものように彼女の
食事を作った。
今日のメニューは、ガトーショコラとハーブ
ティーだった。
ハーブティーの方は、庭に咲いていた摘み立ての
ハーブを使った香しい紅茶である。
ガトーショコラはスピカの好みに合わせて甘目に
焼いてあり、一口食べると幸せな気分になれるような
美味しいチョコレートケーキだった。
このまま店を出せるのではと思われそうなほどの
絶品に、自然とスピカの口元が綻ぶ。
「――スピカさん」
「何?」
ケーキを食べながら、スピカはアルトに目を移した。
行儀悪いですよ、と言われるけれどスピカとしては
これを途中で食べるのを止めるなんて出来そうに
ない。
「お願いがあるんですけど、いいですか?」
「ん……いいけど」
「スピカさんの、お仕事見学させていただきたいん
ですが……」
スピカは突然のアルトのお願いに、紅い目を丸く
したものの頷いた。
いつも従順なアルトがお願いするなんて珍しいし、
なんだか嬉しくもある。
スピカは研究室として使っている所に、アルトを
招き入れる事にした。
アルトはわくわくしながらスピカについて行く。
そこは奇妙な匂いが充満していた。
定期的に掃除はしているのか、あまり汚れては
いない。
透明のフラスコとビーカーが、いろいろな大き
さでたくさんあり、どれにも様々な色の液体が満た
してあった。
匂いの正体はこれなのだろう。
さらにいろいろな色の水晶が、きらきらと煌めいて
綺麗だった。
スピカは無言で研究を開始している。
試験管の一つに入れられた水色の液体に赤い液体を
混ぜ、さらに緑の液体に入れた。
一体、何を作っているんだろう、とアルトは思う。
が、なんだかもくもくと黒い煙が上がって来たので
アルトは青ざめた。
「アルト、ふせて!」
「え、えええ!?」
唐突にスピカに突き飛ばされ、倒れ込む。
と、先ほどの試験管が破裂し、轟音共に壁が
破壊された。
爆発する寸前、スピカが慌ててそれを壁に
叩きつけたのだ。
幸い、被害は壁だけでアルトにもスピカにも
怪我はなかった。
「だ、大丈夫、です、か?」
「大丈夫。直すから……我の召喚に応えよ!!
古よりの盟約により、出でよ、
アルテミス!!」
弓を構えた男装の美しい少女がその場に現れた。
スピカは彼女に命令を下す。
彼女がアルテミスなのだろうか、とアルトは
思った。
「この場を元の姿に!!」
スピカが彼女に銘じると、純白の光がその場に
飛び散った。
すると、破壊されたはずの壁が跡形もなく
直って行く。
しかし、アルテミスと呼ばれた少女が消えて
しまうと、スピカはいきなり倒れてしまった。
「スピカ、さん……?」
アルトはスピカを抱き上げた。
スピカはぴくりとも動かない。
顔が青ざめていて、いつもよりスピカの肌は
白かった。
「スピカさん!!」
アルトはスピカを揺さぶった。返事はない。
目も開かない。彼は一時的にパニックに陥った。
「どうしよう……おちつけ、おちつけ、とりあえず、
ベッドに寝かせて、おちつけ……」
それでも、アルトは自分に言い聞かせると、迅速に
行動した。
スピカを私室に運び込み、しばらく使われた形跡の
ないベッドに寝かせる。
急いで村と城へ行き、リイラ=コルラッジと、
レティーシャ・エルト・モランを呼びに行った。
二人はスピカを見て泣きそうになったが、懸命に魔法
書を調べ上げ、解決方法を見つけてくれた――。
その方法とは、使い魔が主に力を分けるという事
だった。
契約する際、少し魔女の魔力が使い魔にも分け与え
られているらしい。
アルトがスピカの額に向かって手をかざすと、少し
ずつスピカの顔に精気が戻って来た。
半日以上そうしていただろうか、ようやくスピカが
目を開けた。
「バカバカバカ!! 心配したのよ!!」
リイラは泣きながらスピカに抱きついた。
ブルネットの髪は急いで走って来たせいでくしゃ
くしゃで、黒い瞳には涙がたまっている。
「わあーん、バカバカぁ!!」
レティもリイラと同じように抱きつく。
スピカは罰が悪そうに、うつむいていた。
アルトも精一杯の怖い顔をしている。
「心臓に悪いですから、気をつけてくださいね!!」
「仲直りする前に、死んじゃったらどうしようって
思ったじゃないの!! アルトがいなかったら、本
当に死んじゃったかもしれなかったのよ!!」
「ごめん……三人とも」
スピカは二度と魔力をつかいはたすな、と二時間に
渡ってこんこんとリイラに説教された。
だが、その代わり、彼女と仲直りする事が出来た
のはスピカにとって幸運だったのかもしれない。
レティは勉強があるからと不満そうな顔をしつつ
帰ったが、リイラは心配だからと次の仕事にもついて
来た。
次の仕事は場末の酒場の客引きとして、酒を飲む
事だった。
ここの国では、未成年禁酒法がないのだ。
アルトは一杯で目を回したけれど、スピカとリイラは
かなりの酒豪らしかった。
飲むは飲むは。強い酒や甘い酒、そんなに強くない
酒までゆうにかなり巨大なジョッキで二十杯は飲んで
いた。
しかし、アルトだけは気持ち悪そうな顔をしている。
「よく、そんなに飲めますね」
「いや、もっと飲める」
「まだ足りないわねえ」
「えええ!?」
「もう一軒行きましょうか?」
「もう勘弁してくださいよ!!」
アルトが半泣きになったが、二人は構わず別の店に
行ってしまい、アルトは匂いだけで酔って吐きそうに
なり、少し休む事になった――。
そして次の仕事に向かおうとした、その時だった。
「スピカあああ!!」
バカ様ことエトワールがいきなり目の前に飛び
出して来た。
彼には仕事とかそういうのはないのだろうかと
スピカ達は思わず呆れた。
どれだけ暇なのだろう。
「こんな所で会うなんて、俺達うんめ――」
「スピカ=ルーン、死ねっ!!」
「い、ぎゃああ!!」
何か言いかけたが、スピカへの復讐者の少女が飛び
出して来て、彼の鳩尾を蹴り飛ばしていった。
「ディオナ=コーラルの名において、絶対にお前を
殺してやる!! 兄、レヴァンの敵!!」
ここでやっと少女の名が明かされた。
ディオナは小刀を構え、スピカに向かって来た。
スピカはよけない。今にも泣きそうに、紅い目が
歪んだ。
ディオナの小刀が、スピカの腕に突き刺さる。
息を飲んだ彼女の手が微かに震えた。
スピカが顔をしかめながら小刀を引き抜き、
真っ赤な血がローブを汚す。
「よくも!!」
カッとなったアルトがディオナに殴りかかった。
ディオナは動かない。否、動けないのだろう。
敵という大義名分で刺したが、彼女は人や生き物を
害した事がなかった。
アルトに突き飛ばされるように、彼女はへたり
込んだ。
誰かを傷つけたという後悔と恐怖で体が震え、
上手くよける事が出来ない。
「よくも!! スピカさんを!!」
アルトは容赦なくディオナを殴りつけ、彼女の
体は宙を舞った。
そのまま受け身を取れず、背中を地面に打ち
つける。
さらにアルトが殴ろうとしたので、スピカは
制止の声を投げた。
「アルト、やめなさい。私は大丈夫だから」
アルトは命令を無視しようとしたが、主の言葉の
強制力で動けない。
悔しそうな顔をしつつも拳を下した。
「あ、あたし……あたし……」
すっかり同様したディオナは、何か言おうとして
いるものの言葉になっていなかった。
スピカが悲しそうな顔で彼女の前へと出る。
「もう、終わりにしないか? 私が言うべきでは
ないのかもしれないけれど、復讐は復讐しか生ま
ない。私が死んだら、アルト達があなたを殺すかも
しれない」
「あんたに、あんたに何がわかるのよ!! 私の苦し
みも!! 悲しみも知らないじゃないか!!」
「うん、知らない。けど、知ろうとする事は出来る」
ディオナの目が迷うように泳いだ。
だが後ろの二人の姿を見て、彼女は迷いを捨てた。
彼女には仲間がいる。でも、自分には誰もいない。
その事実が少女の怒りに火をつけた。
「絶対に、絶対に、あんたのこと、あたし、許さない
んだから!! ――次は本当に殺してやるからッ!!」
ディオナは走り去ってしまい、スピカはただうつむい
ていた――。
スピカとアルトが館へと帰ったその頃。
ディオナはスピカがいるのとは別の森で、古い小屋に
帰っていた。
「あたし、どうしたらいいの。教えて、兄さん。
レヴァン兄さん。兄さん!!」
寄る辺のない少女は、ただ一人、すすり泣くので
あった。
唯一の肉親だった、兄の名を呟きながら。
ディオナだって分かっていた。
仇である魔女を殺しても、兄がもう二度と戻って来ない
という事を。だが、どうしても恨みは消えなかった。
悲しむも。痛みも。ぶつける相手は、魔女しかいなかった
のだ。
魔女が兄殺しを後悔をしているとしても。
もう戻る事は出来なかった――。
スピカはリイラと別れてアルトと共に館に帰った後、
入浴する気にも食事をする気にもなれず、体を濡らした
布で拭いた後ベッドに入った。
最初は安らかだったその顔は、悪夢によって歪んで
苦しげになっていた。
スピカは悪夢を見ていた。
今まで殺した人間が、彼女を逆に殺そうとするという、
酷い夢だった。
夢の中で、彼女は引き裂かれ、突き刺され、火をつけ
られ、命乞いをしてもそれは許されなかった。
全ては、彼女が殺した者たちにやった事だった。
繰り返される殺戮。死ぬ事さえも許されない。
たすけて、と彼女は呟いた。もうゆるして、と。
それでもそれは止まることなく続く。
その時だった。
〝スピカさん、大丈夫ですか!! スピカさん!!〝
声と共に、空中から白い手が伸びてきたのだ。
スピカはその手を取った。と同時に、目を覚ました。
気づくと、アルトが手を握っていてくれていた。
「アルト……」
「どうかしましたか?」
「怖い夢をみたの」
「大丈夫ですよ。僕がついてますから」
「アルト、私、人を殺したの。依頼されるままに。
何人も。むしけらのように」
アルトは一瞬驚いたような顔になったが、すぐに
頷いた。
その表情はスピカを責めるような物ではなく、
なだめるような優しい顔だった。
「そんな私でも、生きるケンリって、あるのかな。
私は、あの子になにをしてあげればいいんだろう」
「何も、しなくていいと思います。仮に、あったと
しても、それはあの子が考えるべきですから」
「そう……。アルト、こんな私でも、一緒にいて
くれる? 最後まで……」
「もちろんですよ。話してくださって、ありがとう
ございます。……もう、眠った方がいいですよ。
僕がずっと手をにぎってますから」
「ありがとう……」
やっと、スピカは安心したように眠った――。
今回はちょっと長いです。暗殺者の
少女のフルネームが明かされました。
人を殺した過去を後悔するスピカの
心情を書いてみました。
貴族のバカ様は完全なやられ役です(笑)。