使い魔は主に恋をする
買われた少年は、名をアルト=ハルメリアと名
乗った。
元は貴族の子息だったが、いきなり誘拐され人
身売買を生業とする男に売られたのだという。
不安なのだろうか、淡い色の青い瞳を潤ませ美
しい金の髪を持つ頭を微かに震わせていた。
「あの、僕、何をすればいいんですか!?」
そう言う少年――アルトに、雪のように白い髪の
ツインテールを揺らしながらスピカ=ルーンは
ただ笑った。
アルトはその妖艶な笑顔に思わずドキっとなっ
た。
可愛らしいのに、その顔は何故か良く似合っ
ていた。
「なにもしなくていい。君が好きな事をすれば
いい」
「好きな……こと……?」
「そう。私が君と築きたいのは、そんなうすっ
ぺらい関係ではないから」
と、ぴたりと彼女は足を止めた。
自分の住みかを見つけたからだ。
木と土を使って魔法で立てられた館は、井戸
や畑や鶏小屋と共にそこに存在していた。
館に入りかけたスピカは、少し考えてから
アルトの所へやってきた。
少年にしては少し白い手を取り、口づけする。
柔らかい唇の感触と、唐突に口づけされたとでギョッと
なり、顔を紅潮させる彼の前で、手と足にはめられた鉄製
の枷が破壊された。
満足そうに頷き、スピカは館に入っていく。
驚いたように目を見開いたまま、アルトも彼女に
続いた――。
「あなた、魔女なんですか?」
「そう。悪魔的な、ね」
少し緊張が解けて来たのか、青い瞳をきらきら輝かせ
るアルトに、スピカは得意そうに言った。
が、次の彼の言葉に眉根を寄せる。
「そんなの嘘ですよ。あなたは、ちっとも悪魔的じゃない。
大体、僕を助けてくれたじゃないですか」
「助けた訳じゃない。君が、貴重な存在だから買っただけ。
使い魔にするために」
「使い魔? なんです、それ?」
「魔女に仕える僕のような物だよ。君、私と契約をする?」
アルトは吸い込まれるように、スピカのルビーのような
紅い目を見つめた。
やがて、アルトはこくり、と頷いた。
してもしなくても、行く場所がない以上、ここにいるしか
ない。
ならばした方がいいと思えた。
何より、彼女がそれを望んでいるならそうした方がいい、と。
「――契約をします」
「賢明だね」
スピカの可憐な顔がアルトに近づいて来る。
訳が分からない彼に、彼女は説明もせぬまま、桜色の唇を
彼の唇に重ねた。
まるで森の中にいるかのように、微かにハーブのような
香りが彼女から漂う。
熟れた果物のように、アルトが赤面した。
と同時に、体中から力が溢れてきて、立っていられなくな
りその場に膝をつく。
「契約完了」
そういって微笑む彼女は、やはり悪魔的かもしれない。
アルトはそう思ったのだった――。
使い魔となったアルトの初仕事は、井戸から水を汲む
事だった。
最初は気が付かなかったが、館の裏手に井戸があった
のだ。
木と石で作られた簡素な物で、滑車がついているため
水が汲みやすそうだ。
定期的に掃除がされているのか、アルトが覗き込む
と透き通った綺麗な水が溜められているのが見えた。
何故、今アルトが水を汲む事になったのかというと、
主が、風呂に入りたいと言ったのだ。
アルトは小柄な体格で、あまり力がないので出来る
か不安だったが、それは杞憂だった。
契約をして力を得たからか、重いはずの桶はちっと
も重くなくいともたやすく出来たのだ。
羽か子猫でも持っているみたい、とアルトは思う。
井戸に固定された桶から、スピカにこれを使って、と
渡された少し大きめの木桶に水を移す。
(……そういえば、僕、キスなんてしたの初めてだった
な)
指でそっ、と主の唇と触れ合った唇を指でなぞると、
照れ臭さや彼女の唇の感触を思い出してアルトは思わ
ず赤くなった。
顔が熱を持ったかのように熱い。
う~っ、と唸りながらアルトはしばし頭を抱えたけれ
ど、仕事の事を思い出して慌てて意識を切り替えた。
木桶を抱えて床を濡らさないように館へと入る。
「主、水を汲んできましたよ~」
「スピカでいい。次からはそう呼ぶように」
赤いクッション素材が縫い込まれた一人掛けの木椅
子に座ったスピカにキッと睨まれ、アルトは肩を竦め
た。
はい、と返事をして下がろうとすると、スピカが平
然と言う。
「一緒に入る? アルト?」
「はいぃ!?」
アルトの顔が、これ以上ないほど紅くなった。
せっかくさっきの意識を頭から追いやったというのに、
また頭が沸騰しそうなほどの熱さが彼を襲う。
アルトだって年頃の男の子だった。
いきなり自分と同世代の、しかも可愛らしい少女と一
緒に風呂に入るかと聞かれて、紅くならない訳はない。
「そうか。入るか」
「入りませんよ! や、やめてください、そう言う事
言うの。ぼ、僕も男なんですよ!!」
「男が女と風呂に入るのに、何か問題でも?」
「あ、ありますよ! とにかく駄目です! 入りませ
ん!!」
からかっているのかとスピカを睨むと、彼女は何故
怒っているのだろう、と不思議そうな顔をしていた。
アルトは相当に風変わりらしい、と幼い女主人に対
しての評価をそうくだし、そのまま居間として使って
いるらしい部屋から逃げ出した。
アルトは彼女についてきて、契約した事を早くも
後悔し始めていた。
彼女はいろいろな事に無頓着なのだった。
主人というよりは、何故か動物の世話をしている気分
になるアルトだった。
実際、今だって滑らかな肌をタオルで隠しもせずに
歩いているのだ。
少年のように凹凸の少ない、白い肢体が目に入り
そうになり、アルトは慌てて視線をそらした。
「す、スピカさああん!! なんてカッコしてるん
ですかああああ!!」
「なんて恰好って? 私のローブ早く取って」
「早く着てくださああああい!!」
目をやり場に困ったアルトは、慌てて白い飾り気
のないローブを彼女に押し付けた。
首をかしげながら、スピカがそれを頭からかぶる。
タオルなどで拭いたようには見えなかったが、髪は
ちっとも濡れていないようだった。
魔法でも使ったのだろうか。
スピカは白い髪を木の櫛でとかして二つに結い分け
ると、星の形をした髪飾りを二つ、髪に飾った。
きらきらと、本当の星のようにきらめいている。
「綺麗ですね、それ」
「リイラがくれたんだ。これはいつもつけてる」
「リイラって誰ですか?」
「リイラ=コルラッジ。私の親友。最近は来ない
けど、いつも食事の用意とかしてくれる」
「最近ってどのくらい来てないんですか?」
「……一週間くらい?」
「一週間!? その間、食事はどうしてるん
ですか!?」
「食べてない。面倒だし、私は作れないし」
アルトはギョッとなった。
食事を食べていない?
こんなに細くて折れてしまいそうな体つき
なのに?
「駄目じゃないですか!! 僕、すぐに何か作
りますから、ちゃんと食べてください!!」
「まだ研究が終わっていな――」
「研究より食事の方が大事ですっ」
諦めたらしく、ようやくスピカは頷いた。
あまり使った形跡のない台所に飛び込むと、アルトは簡単な野草のスープを作り、味見し
て大丈夫だという事を確認した。
多分親友のリイラが作ったと思わしき堅め
に焼き上げられたパンも一緒に出す。
居間と研究部屋以外はほとんど使っていな
いようで、少し埃のたまっている部屋を掃除
し、洗う事なく積み上がっていた洗濯物を洗
い、ピカピカに床を磨き上げたりして働く。
と、当たり前のように与えられた食事を食
べていたスピカが、あ、と小さく呟いた。
「ど、どうかしました!?」
「リイラのよりおいしい……」
美味しくなかったのか!?と焦りながらも
駆け寄ると、スピカは美味しいと告げて笑顔
になっていた。
アルトも嬉しそうに笑う。屋敷にいた頃よ
り、ここの方が自分の居場所なのかもしれな
い。彼にはそう思えた。
スピカ=ルーンの隣こそが――。
いろいろと無頓着な主に
ためらうアルト。役に立つ
使い魔を手に入れて上機嫌な
スピカ。二人の生活は始まった
ばかりです。