第四の扉◇救世主の光
そこには二人、いや、一人と一匹が佇んでいた。
赤いベルベットの生地で張られたキャブリオレのカウチソファに、黒の喪服を着てベールの付いた黒の帽子を被った比較的若そうなご婦人が座っていた。その傍らに、縞模様が世にも珍しい水色の猫が、器用に二本足で立っていた。ただし、その右前足にはチタンブレードの長剣が握られていて、それを杖代わりにしていた。
その一人と一匹がいる部屋は『アインシュタイン・エレベータ』と呼ばれていた。
室内は、毛足の長い真っ赤な絨毯が敷き詰められ、アンティークでデコラティブなチークで装飾された内装、室内に一つしかない小さな窓にはアイリスのステンドクラスが嵌め込まれていて、そこから差し込むオレンジ色の夕陽が、強烈に部屋の中を紅く染めていた。
差し込む光でオレンジ色に染まった男一人、その部屋の真ん中に立っていた。
「夕陽の光が眩しい部屋ですな」
そう呟いた男は、一枚の白く長い布をサリーのように何重にもまとい、髪は癖毛で長く肩まで伸びていた。顔は頬が痩せこけていて、口に髭を溜めていた。細い手の甲と痩せ細った足の甲には丸い刺し傷があり、まとった白い布の脇腹部分は血が固まったであろう褐色の染みが付いていた。
「貴方でも光が眩しいのですね」
喪服のご婦人が男に問い掛けた。
「あぁ、まだ人間だからね」
男の目は半眼で、口は真一文字に結ばれ、最初からその表情を変えずに喋っていた。
「私は『マーサ』、そしてこの珍しい毛色の猫ちゃんが『ドド』さん。多分、貴方は……」
喪服のご婦人・マーサは肘を付いて顎に手の甲を当てながら、その男に訊いた。
「私は『イースー』と申す者。磔にされ葬られてから三日目。目覚めたばかりだ」
男は静かに答えた。
ドドさんは真面目な顔で訊いた。
「筋牌ですか? 萬子? 筒子? それとも索子待ち?」
「麻雀ではない!」
イースーと名乗った男は少々声を荒げたが、表情は変えなかった。
「それじゃあ、まだ貴方には『影』があるのね?」
マーサは顎に手を当てたまま、イースーに問いた。
「私には最初から『影』は無いと思っているが?」
イースーの言葉にマーサはニヤリとした。そこにドドさんが割り込む。
「それは『はさみ』で切り取っ……」
「そんな『道具』は持ち合わせていない」
イースーはドドさんが言い終わる前にアッサリと否定した。
「『影』が無いってことは『光』なのね?」
マーサの質問にイースーが答える。
「あぁ、そうだ」
イースーの答えにすかさず反論するマーサ。
「ってことは、貴方の周りには『影』が出来るってことよね?」
「いや、それはない」
表情を変えないイースーの回答にマーサの顔が曇る。
「それはどういうこと?」と質問を返すマーサ。
「私はあくまで『光』であって『光源』でない」と澱み無く答えるイースー。
ここでまたドドさんが割り込む。
「貴方は特殊な存在なんだ。『波』でもあり『粒』でもあり、しかしどちらでもない」
「確かに私自身は特殊な存在だ。しかし『光』は何処にでもあることも確かだ」
二人の会話にマーサが突っ込む。
「何処にでもあるっていうのは『光』であって、貴方ではない」
「その通りだ」
表情を変えないイースーにマーサは更に突っ込む。
「貴方は『ケプラーの光の逆二乗の法則』を知っているのかしら?」
イースーは無言だった。
「遠くへ行けば行くほど弱くなるのよ」とマーサはニヤリと笑う。
再びドドさんが割り込む。
「速度も一定ですよね。もともと相当に速いですけど」
「あぁ、そうだ」
イースーはここで初めてニヤリとした。
「それが私の信条だ」
そこでドドさんがニヤリとする。
「もっともそれは『時空』があっての話ですがね」
ドドさんの言葉を聞いた途端に、イースーは元の表情に戻って押し黙った。
「量子力学は難しいのよ」とマーサはフッと笑って、漏らすように言った。
「確かに」と真剣な表情のドドさん。
それに釣られたイースーも、宙を見て口を開いた。
「相対論までは黙認出来たが、あの学問だけは受け入れられない……」
マーサとドドさんは顔を見合わせた。
「それはオフレコですね?」
ドドさんの質問に、イースーは慌ててマーサとドドさんを見た。
「え? あ! あぁ、そうだ。も、もちろんだとも」
イースーの額から汗が流れ落ちるのをマーサとドドさんは見逃さなかった。
「そろそろ弟子たちの所へ行かねば……」
そう言ってイースーは、そそくさと姿を消した。
「あの人、ただの『パシリ』だったんじゃないですか?」
ドドさんは遠慮なくマーサに質問をぶつけた。
「どうかしら。私はそこまで言わないけど」
マーサは意地悪な言い方で質問をかわした。
「ズルイですよ、その回答!」
ドドさんは真剣に怒っていた。
「そこまでにしてあげなさいよ。彼はいつも宇宙空間を1Cで走っているんだから」
マーサはフフフと笑った。