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第二の扉◇もう一匹の猫

 その部屋は『アインシュタイン・エレベータ』と呼ばれていた。

 室内は、毛足の長い真っ赤な絨毯が敷き詰められ、アンティークでデコラティブなチークで装飾された内装、室内に一つしかない小さな窓にはアイリスのステンドクラスが嵌め込まれていて、そこから差し込むオレンジ色の夕陽が、強烈に部屋の中を紅く染めていた。

 その部屋には二人、いや、一人と一匹が佇んでいた。

 赤いベルベットの生地で張られたキャブリオレのカウチソファに、黒の喪服を着てベールの付いた黒の帽子を被った比較的若そうなご婦人が座っていた。その傍らに、縞模様が世にも珍しい水色の猫が、器用に二本足で立っていた。ただし、その右前足にはチタンブレードの長剣が握られていて、それを杖代わりにしていた。

 その一人と一匹の目の前に、かなり大きい箱がフェードインしながら現れた。その箱はかなり年季の入った樽の廃材で作られていたが、かなり頑丈に作られている風情で、密閉度も高そうだった。

 喪服を着たご婦人『マーサ』は、アンニュイな仕草でアルトボイスのヒラヒラ喋りで言った。

「なぁに、あれは?」

 縞模様が世にも珍しい水色の猫『ドド』さんは、頭のてっぺんから出ているような甲高い声を響かせて言った。

「何処かで見た憶えはありますが……」

 しばらくすると、その箱がガタガタ揺れ、箱が倒れそうなほど大きく揺れたと思ったら、大きな音と共に前面の板張りの蓋が開いた。

「おーっと、ビックリ!」

 ドドさんは身をひるがえしたが、マーサは相変わらずアンニュイな仕草でカウチソファに座っていた。

 蓋が開いた箱の中から、真っ白な猫が二本足で歩いて出てきた。

「やっと自由になれたにゃん」

 毛が長くて上品そうな風体だったが、顔付き、特に目付きがいやらしく、口元に締りが無い感じだった。

「ドドさんのお友達?」

 マーサは鋭いツッコミをドドさんに差し向けた。

「こんな奴、知り合いじゃないですよ!」

 ドドさんは慌てて否定したが、出てきた白い猫もそうだった。

「こんなソーダアイスみたいな奴は知らないにゃん」

 ドドさんはムキになって言った。

「誰がソーダアイスですか! 名前は『ドド』って言いますけどっ!」

「私は『マーサ』よ。あなたの名前は何ていうのかしら?」

 マーサが目を細めて聞くと、白い猫は素直に答えた。

「僕の名前は『ルドルフ』にゃん。無理矢理にこの箱の中に押し込められたにゃん」

 ルドルフは、マーサにごろごろと喉を鳴らし始めた。

「この箱の中は苦しかったにゃん、寂しかったにゃん。マーサ、僕を撫でて慰めて欲しいにゃん」

 飛び付くルドルフに、マーサは蹴りを入れた。うぐ!と唸って床に転がるルドルフ。

「痛いにゃん、酷いにゃん」

 苦痛で顔が歪むルドルフにマーサは冷徹だった。

「十年早いわ!」

 ルドルフがマーサにじゃれている間に、ドドさんは箱の中を調べていた。

「ふむふむ、この容器の中身はラジウムで、そこに置かれているのは放射線測定器。それにつながっているのは……硫酸が入った容器の上に青酸ナトリウムの滴下装置ですか。なるほど、なるほど」

 ひと通り調べた後、ドドさんは顎に手を当てて考え込んでいた。

「これは、ひょっとして……」

 ドドさんが何か閃いた時に、その箱の中にぶっ飛ばされたルドルフが転がり込んできた。

「何をするんだにゃん! 僕は愛が欲しいだけだにゃん」

 マーサは荒々しい息遣いで仁王立ちしていた。

「いい加減にしなっ! おととい来やがれってんだ! ドドさん、さっさとソイツを箱に閉じ込めなさいっ!」

 ドドさんはビックリした。こんなに怒り狂ったマーサを見るのは久しぶりだった。ルドルフというこの白い猫、マーサに相当な嫌がらせをしたんだと悟る。ドドさんは、逆鱗に触れたマーサがどうなるかをよく知っているので、マーサの言うままにルドルフを箱に連れ戻して蓋を閉めた。

「何をするにゃん! 出してくれにゃん!」

 箱は恐ろしい勢いでガタガタと揺さぶられていた。

「大丈夫ですかね?」と心配そうなドドさん。

「放っとけ!」とかなりご立腹のマーサ。

 ガタン!

 一段と大きく揺れた箱は、先程よりも激しい勢いでその蓋が再び開いてしまった。蓋が開いた箱の中から今度は、白い猫と鮮やかな山吹色の猫の二匹が出てきた。

「酷い目に遭ったにゃん」と白い猫。喋り方から白い猫は先程のルドルフだった。

「爆乳がいると聞いて」と、もう一匹の鮮やかな山吹色の猫が挨拶した。

「今度は黄色の猫かっ! 誰だ、お前はっ!」と怒鳴るマーサ。

「私は紳士ですが」とキョトンとした顔でマーサに返事をする山吹色の猫。

「黄色いコイツは『ヨーゼフ』っていう名前にゃん」と白い猫のルドルフが答えた。

 ドドさんはしかめっ面になった。そしてマーサは更なる怒りに我を忘れてしまいそうな勢いだった。

「アーモンド臭で死にそうだった」と呟くヨーゼフ。

「あの箱はオレンジの匂いがするにゃん」とうなずくルドルフ。

 ルドルフとヨーゼフの会話に、ドドさんは顔が真っ青になった。

「コイツ等、青酸ガスでは死なないんだ!」

 マーサはドドさんの言葉を無視して、チカチカと怒りで赤くなった拳を振り下ろした。

「とっとと消えちまぇーってんだ!」

 マーサの一撃で、白い猫と山吹色の猫は箱の中にぶち込まれ、その勢いで蓋がパタンと閉まり、出現した時と同じように、大きな箱は部屋から静かにフェードアウトした。


「あんな奴等で『思考実験』しようなんて無茶ですよ」

 ドドさんは溜息をついた。

「全くだっ!」

 マーサの怒りはまだ収まっていなかった。

「実際に実験をしてはいけませんよ、ホントに!」

 ドドさんの言葉にうなずきながらマーサは言った。

「絶対に『シュレーディンガー』はもっと上品だったはずだっ!」

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