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第一の扉◇等価原理の闇

「よし、取り付いたぞ!」

 ジョンはハーネスを、巨大な太陽系外探査船『ディープスペース号』の船体の所々にあるメンテナンス用のフックに取り付けた。

「了解、ジョン。慎重に」

 メンテナンスビークルで支援しているマークが、ジョンをモニタしながら応答した。

「これは酷いな。かなり大きなデブリが衝突したようだな」

 ジョンが感想を漏らす。

「修理依頼書によれば、衝突物は反物質粒子になってますね」

 マークが資料を読み上げる。

「なるほど。だから『貫通』してない訳か」

 ジョンはへしゃげて捲れ上がったハニカム外装の頂点に立って、修理箇所を俯瞰していた。

「内部は対消滅爆発の影響だけです。衝撃吸収用のハニービーハニカム構造体の交換が主作業ですから」

 マークは淡々と作業手順書を読み上げた。

「それなら早く終わるな。今日こそは早く帰るぞ。寂しい想いをさせているエレンの誕生日だからな」

 ジョンは嬉しそうに言った。

「そうですよ、全く……。あ、そうそう、実は僕もエレンさんに誕生日プレゼントを用意してあるんです」

 マークの言葉に少し不自然さを覚えたジョンだが、気のせいだと思い込んだ。

「そうか。エレンも喜ぶぞ。さっそく作業開始だ、ハニカム外装の撤去を開始する」

 ジョンはメーザーで外装板の切断に取り掛かった。

「メーザー銃にエネルギーを送ります。バルブ開放。出力百パーセント」

 テキパキとビークルでパネル操作を行うマーク。

「一枚目を撤去。二枚目の作業に移る」とジョン。

「了解。アームを旋回します。X・三十三、Y・二百七、Z・マイナス六十二」とマーク。

 ジョンが師匠でマークが弟子の師弟コンビの絶妙なコンビネーションは、ネプチューン・ISC(海王星・インターナショナル・スペース・シティ)で、スペースビルダーという職業で誰が一番かと問われれば、この二人の名前が真っ先に挙がるだろうという程の腕前だ。

「最後の六枚目が終了した」

 的確かつ迅速に、ジョンは作業をこなしていく。普通のビルダーならばこの作業を三十分以上掛かるのだが、ジョンは十五分で終えてしまったのだ。

「構造体の解体作業に移行する。ロボットアームの出番だ。マーク、上手くやれよ」

 作業指示は既に頭に入っているジョンは、マークに指示を出す。

「了解。任せてくださいよ、フッ」

 不敵に笑ったマークの操作パネルの横に、スイッチが付いた二つの小型装置が置いてあった。

「ロボットアーム稼動範囲内から退去する」

 ジョンはマークに連絡した。その直後にマークは意味深な通信内容をジョンに送った。

「BYE」

 マークは小型装置の一つを手に取りスイッチを押した。するとロボットアームが暴走を始めた。それを見ていたジョンは、ロボットアームが自分の方向へと向かってくることに気付いた。

「おい、マーク! 何やってんだっ! ちゃんとコントロールしろ!」

 そう叫んでいるジョンを、ロボットアームは弾き飛ばした。

「うぐっ」

 相当な衝撃が左足を襲い、ジョンは呻き声を上げる。

 マークは次の行動に素早く移っていた。もう一つの小型装置のスイッチを押したのだ。すると、ジョンのMMU(有人機動ユニット)が暴走、アポジモーターがマキシマム噴射をして、ジョンは『ディープスペース号』から遠ざかり始めたのだ。

「うぅおーっ!」

 ジョンは凄まじい加速に耐えるのがやっとで、喋ることさえ出来なかった。

 メンテナンスビークルから冷たい眼差しでジョンの動向を見ていたマークは、素早く二つの小型装置を踏み潰して、その後すぐにダストシューターで船外へと放り出した。そして、平然とした顔で緊急通信のスイッチを入れた。

「エマージェンシー。緊急通報。機器類が暴走してジョンが宇宙空間に投げ出された。繰り返す。緊急通報。機器類が暴走してジョンが……」

 マークはニヤニヤとしながら、ゆっくりと冷やかにエマージェンシーコールを続けた。


 ジョンは凄い勢いで遠ざかり、あんなに大きかった『ディープスペース号』があっという間に豆粒になり、やがて見えなくなった。真っ暗で漆黒の宇宙空間をジョンは突き進んでいた。

「やばいな、こりゃ。マークめ、なんてヘマをしてくれたんだ!」

 何とか加速に耐えていたジョンは、まずMMUをリセットして停止させ、加速を停めた。そして、自分の宇宙服とEMU(船外活動ユニット)そしてMMUをチェックした。気密と気圧調整機構はOK。呼気循環機構もOK。宇宙服内温度調整機構も大丈夫だ。ほとんどの機能が正常に維持されていたことにジョンは感謝した。ただし、ロボットアームが直撃した左足が異常に痛くて脹れていることをジョンは知覚していた。たぶん打撲以上、骨折も視野に入れなければならない損傷だろうと推測した。

「現時点で生命維持が出来なきゃ一巻の終わりだからな、少々の痛みくらいは……。問題は、あとどの位の時間、この生命装置が稼動するかだ」

 ジョンは機器のチェックを始めた。通常、EVA(船外活動)を行う際に設定されるEMUの機能維持時間はミッションタイムの倍の時間と規定されている。今回の『ディープスペース号の修理』は四時間だから八時間の機能維持時間が設定されているはずだった。再チェックした結果、元々四時間分の機能維持エネルギーしか搭載されていなかったことが判明した。

「何てことだ!」

 というのも、スペースポートを出る直前の宇宙港管理官の検査では規定の八時間だったのだ。これはスペースポートを出てからしか出来ない工作だ。どう見てもこれはマークの仕業としか考えられなかった。

「どうして、マークがこんなことを?」

 ジョンはそう思ったが、それを憶測するのは後回しにした。予定よりも遥かに短い生命維持装置稼働時間に対応するために、この位置を維持するか、出来るだけスペースポートに戻る必要がある。最低でも定点維持ならレスキューチームに発見され易い。ジョンは身体を回転させてMMUのアポジモーターを点火して加速を止めた。ジョンは酷い減速で苦しかったが、生き残るために耐えた。そして、ビーコンのスイッチを入れた。このエマージェンシーコールが出ている限り、ジョンの位置を特定できる。これでジョンの出来ることは終わった。あとは出来るだけ安静にして生命維持装置に負担を掛けないようにして、少しでもエネルギーを温存するのだ。


 何もすることが無くなったジョンは眼を閉じた。もっとも漆黒の闇のような宇宙空間に放り出されているので、眼を閉じているか開いているかは宇宙服のヘルメットの縁が見えるか見えないかの違いだけになっていた。今のジョンには、この無限遠で真っ暗な宇宙空間で、進んでいるのか、止まっているのか、退いているのか、全く分からなくなっていた。数多くの現場(スペースビルド)をこなしてきたジョンでさえ未経験のことだった。

「この『孤立感』は初めてだ」

 ジョンは太腿の痛みを感じない程にこの感覚に打ちのめされていた。この孤立感に押し潰されないように、ジョンは眼を閉じて、頭の中でこの「事故の経緯」を最初から辿り始めた。

「外装撤去作業までは順調だった。その後だ、異変が起こったのは」

 ジョンはその時点を思い出そうと必死になり、そしてあることを思い出した。

「あの時、マークは『BYE』とか言ってた気がするぞ!」

 そのことに気付いたジョンが目を見開いた時、ジョンの視界に飛び込んできたのは漆黒の宇宙空間ではなく、ホテルのスィートルームのような部屋だった。

 真っ赤な絨毯が敷き詰められ、アンティークでデコラティブなチークで装飾された内装、室内に一つしかない小さな窓にはアイリスのステンドクラスが嵌め込まれていて、そこから差し込むオレンジ色の夕陽が、強烈に部屋の中を紅く染めていた。ジョンはその部屋の中で、MMUとEMUを装備した宇宙服のままでポッカリと浮かんでいた。

 その部屋には二人、いや、一人と一匹が佇んでいた。赤いベルベットの生地で張られたキャブリオレのカウチソファに、黒の喪服を着てベールの付いた黒の帽子を被った比較的若そうなご婦人が座っていた。その傍らに、縞模様が世にも珍しい水色の猫が、器用に二本足で立っていた。ただし、その右前足にはチタンブレードの長剣が握られていて、それを杖代わりにしていた。

「よく気が付いたわね、ジョン」

 喪服を着たご婦人がヒラヒラ喋りで話し掛けてきた。

「普通はなかなか気付かないですけどね」

 水色の縞の猫が甲高い声で突っ込みを入れた。

「君たちは誰だ? どうしてこんな場所にいるんだ? そしてここは何処なんだ?」

 ジョンは酷く困惑した様子で、目の前の一人と一匹に尋ねた。

「私は『マーサ』で、こちらの猫は『ドド』さん」

 喪服を着てヒラヒラ喋りの女性、マーサが答えた。

「ここは『アインシュタイン・エレベータ』と申す処。簡単に言うと『時空の狭間に浮かぶ箱』でしょうか。それ以上の説明は無意味だと思われるので語りませんが」

 甲高い声で水色の縞の猫、ドドさんが答えた。

「どうして私は浮かんでいるんだ?」

 ジョンの言葉に、二人は顔を見合わせてからジョンに向き直って言った。

「解らないわ」とマーサ。

「解りません」とドドさん。

 微妙な時間、沈黙がその場を制した。


「マークが言った『BYE』とはどういう意味なんだ?」

 ジョンは二人を無視して誰に言うでもなく呟いた。

「『さよなら』に決まってるじゃないの」とマーサ。

「文字通りの解釈で良いと思われ」とドドさん。

 ジョンは二人の言葉に激怒した。

「いい加減なことを言うな!」

「全くおめでたい人ですねぇ」とドドさん。

「解ってないわね、殺されかけたというのに」とマーサ。

 二人の言葉にジョンは驚愕した。

「そんな! バカな!」

「明らかでしょうに。あなたに当たったロボットアームは誰が操作してたのよ」とマーサ。

「あなたのMMUがどうして暴走したのか。それになぜ酸素も不足していたか」とドドさん。

 ジョンの額には冷や汗が流れていた。

「マークが、この私を、殺そうとした?」

「マークが何て言っていたか、憶えてる?」とマーサ。

「マークはただの実行犯。黒幕は他にいますよ」とドドさん。

 ジョンはまさかという顔をして驚愕した。

「エレンかっ!」

「最近、彼女はあなたに不満だったみたい。『あたしを見てくれない』って」とマーサ。

「そのエレンに、あなたの才能に嫉妬しているマークが入り込んだ」とドドさん。

 ジョンはうわ言のように言った。

「最愛のエレンが……。信頼していた相棒のマークが……」

 言葉を失い、脱力したまま宙に浮いているジョン。それをマーサとドドさんは静かに見詰めていた。

「どうします、ジョン?」とマーサ。

「戻りますか? それともこのまま?」とドドさん。

 しばらく脱力していたジョンだったが、ヘルメットの中で顔を上げて二人を見た。

「私は戻るよ」

 短くそう言ったジョンに、マーサとドドさんはうなずいた。

「それがいいかと」とドドさん。

「賢明な選択ね」とマーサ。

 二人の言葉にジョンが微笑み掛けた瞬間、ジョンの視界はブラックアウトした。


「ジョン、聞こえるか? こちらはレスキューチームだ!」

 鼓膜が破れそうな大音量の通信音で、ジョンは正気に戻った。どうやら気を失っていたようだ。しかし、あの二人、いや一人と一匹はやたらと現実感があったような気がしていた。

「こちら、ジョンだ! 感度良好過ぎて頭がガンガンと割れそうだ!」

 ジョンは精一杯のジョークでレスキューに返信した。

「大丈夫か、ジョン? 酷い『事件』になっちまったな。奥さんと助手が捕まったようだぜ。外部装置によるプログラム改竄なんて古臭くて、あれじゃ簡単に足が付いちまうよ」

 レスキューの無遠慮な情報に、ジョンは少しだけ胸がチクリとした。

「そうか。『事故』ではなく『事件』か」

 ジョンは寂しそうに呟いた。

「ジョン、君を目視で確認したぞ。今からストレッチャーで迎えに行くからジッとしてろよ」

 レスキューの言葉にジョンは気丈に答えた。

「大丈夫だ。自力でそっちに向かうよ」

 それを聞いたレスキューは怒鳴った。

「バカ言うなっ! おまえの左足はあられもない方向を向いてるぞ。無理するな、そこで待ってろ」

 ジョンはフッと笑った。

「分かったよ。ゆっくりと君たちの到着を待つとするよ」

 そう連絡して、ゆったりとした気分で漆黒の宇宙空間に浮かぶ白いレスキュー船を眺めていた。


「これで良かったのか……」とドドさんが呟いた。

「これでいいのよ。恐らく彼自身も薄々感付いていたことなんだから」とマーサ。

「宇宙空間の闇の中でハッキリ、自覚したと?」とドドさん。

「加速度運動か、等速運動か、それとも静止か。その状態の中できっと彼は何かに気付いたのよ」

 マーサの言葉に、しばらく考えてからドドさんが応えた。

「それは『等価原理』ですかね?」

 マーサはニヤリと笑った。

「さぁ、どうかしら?」

 したり顔で二人は佇んだ。

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