旅恋。短編 -kitaguni express-
『まもなく11番のりばに入線いたします列車は、23:27発新潟ゆき寝台急行きたぐにです』
午後23:11。
大阪駅11番線に、新潟行き寝台急行、きたぐにが入線する。
その入線にはたくさんの鉄道マニアたちがフラッシュを焚き、もうすぐその役目を終える”Kitaguni express”の文字を背負った583系の勇姿を収めようとしていた。
さて、このきたぐには大阪を21時に出発するサンダーバードの後、唯一金沢方面に向かう列車にして、同方面への料金列車で唯一米原を経由する列車だ。大阪からはサンダーバード等の出発後に福井・金沢方面へ帰れるために重宝され、金沢からは長岡や新潟から朝方の新幹線への接続、大阪方面へははるかや7時台の新幹線への接続に利用されたために多目的列車の代表として活躍した。また、新津からは快速列車となるうえに新潟への到着時間がちょうど道路が渋滞する時間となるために、利用される客はかなりのものとなっていった。
しかし、他の交通機関との競争や新型快速車両の整備によって利用客は低迷し、2012年3月16日の運転を以て定期列車の運用から外れ、臨時列車としての運用も米原経由から湖西線経由、新津~新潟の快速列車運用もなくなってしまった。
そんな中、そのきたぐにの先頭車両がちょうど止まる位置で撮影する一人の少女がいた。
その後ろで、野暮そうにその様子を見つめる少年。
「がっつくなぁ……梓」
「む、別にええやん!これで見納めやさかい、一騎かてなんだかんだで見に来とぅし」
「そりゃ、新潟は行ってみたいしな」
等と話しているのは橘梓と、桜井一騎。
梓は長い髪をツインにして下に垂らしており、服装はジーンズで、チェックのワイシャツの中にヒートテックを着込み、上からジャンパーを羽織っていた。
一騎は、黒の長袖に焦げ茶のジーンズ、そして同じくジャンパーを羽織っている。
確かに一騎はこの旅行を楽しみにしていた。新潟は松山から行くには非常に遠いし、行けてもお金がかかるから渋っていたのだ。
というのも、梓の立てたプランはしおかぜ→ひかり→きたぐにという乗継は片道だけでも約20000円ものお金がかかり学生が行けたような旅行ではないから。
しかし、梓は心疾患による旅客運賃減額一級を持っているので、運賃は半額、急行券も半額、故に先乗列車のしおかぜに乗継割引がかかり、ほぼ半額での利用を可能にした。尤も、往復するので結局二万円はかかるのだが。
そして何より一騎の想い人との二人きりの旅行・・・ぶっちゃけ前日から胸が高鳴るほど自分らしさを欠いていた。
特にここに来るまでに、『きたぐにの中では極力起きている』と意気込んでいた梓が自分の肩を枕代わりに寝ていたのが一騎一番の興奮どころである。
「でも良かったえ」
「ん?」
「一騎、まさか付いて来てくれるなんて思わなんだもん。私、めっちゃ嬉しかったんやで?」
「そっか、良かった。俺もその…楽しみだったからよ」
自分の口で言うのは恥ずかしかったが、なんとかそっぽを向くことで口にした一騎。
梓もまた、そんな感想を聞いて顔を赤らめる。
「さ、さよか……。なんや急に恥ずかしなった」
「まぁ、その…さっさと乗るか」
恥ずかしさを粉らわせるため、梓の手を引いて乗車しようとする。たが、梓はその手を引き止めて一騎を見上げた。
「せっかくやから…写真。並んで撮ろや。ほら、三脚もあるさかい…」
余程恥ずかしかったのか、梓は顔を真っ赤にして俯く。
無論、一騎も無茶苦茶に恥ずかしさを感じた。
「ば、おま……っ」
「だめ、やろか……?」
カメラを持ちながらの涙目と上目遣いの最強コンボ。
そのエクスカリバー級の破壊力を有するそれは、一騎の心を屈伏させるなど違わなかった。
「……わかったよ…ほら、さっさと立てるぞ」
「っ、うん!」
一転、満面の笑顔になった梓は鼻唄混じりに三脚を組み、きたぐにの先頭車両がしっかり写るようにセッティングする。それから、一騎を並ばせてピントを調節し始めた。
「あ、もうちょい寄って?」
「こっちか?」
「あ、逆逆………うん…よし。ほんなら行くで」
ピントを合わせて、10秒のタイマーをしかけた後、小走りで一騎の隣に並んだ。
一騎のそばでくるりと回り、背中をわずかに預けるような形で収まる。
その時靡いた髪から、ふわりと甘い香りが舞った。
「ーーーーっ」
年頃の一騎にはそれだけでもかなり刺激が強く、何を考えていたのかが全て露と消えた。
そんな中で撮られた写真に自分がどういった顔で写ったかなど分かる筈もない。
「えへへ、一騎と記念撮影や」
幸せそうな顔で、撮影したカメラを手に取る梓。
手慣れた感じでカメラを操作し、先程収めた写真の画面にしてまた満面の笑顔を浮かべた。
「一騎めっちゃ恥ずかしそうや」
「い、言うな…」
「えー?なんで顔赤いんー?」
こ、こいつ…分かっててやってやがるな…。
内心どついてやろうかとも考えたが、やはり煩悩には敵わないらしい。
やがて、諦めたように呟く。
「お前が……わいいから」
「へ?」
「お前が可愛いからだっ!」
半ばヤケクソに言い放ち、誤魔化すために乱暴に梓の頭を撫でる。
「ひゃうっ!?」
「………ったく。ほら、乗るぞ」
「あっ、まってぇなっ」
それから漸く列車内に乗り込み、目的の席を探す。
急行きたぐには1~4号車が自由席、6号車がグリーン車指定席、5、8~10号車がB寝台、残り7号車がA寝台となり、快速に変わる新津から利用する人は1~4号車しか使えない。
さて、今回一騎が取った席は10号車3・5番の下段。B寝台と呼ばれる設備だ。
583系のB寝台は三段式で、一段当たりのスペースはそこまで広くない。だが、頭にさえ気を付ければ下段は上体を起こして利用できるため、一騎達はその席を指定した。
目的の席を見つけ、梓は荷物を片方の寝台に全て積み込み、そのままもう片方の寝台に転がり込むとんーっ、と伸びた。
「ふみゅっ……はぁっ」
「子猫かお前は」
言いつつも、一騎はその梓に続くように5番下段に座り込んだ。
「後1分で出発やね」
「そうだな」
すると、ホームの出発合図であるベルが鳴り響く。
約30秒ほど鳴り響いた後、車掌の笛が鳴り、ドアが閉まる。
それから、583系の警笛が鳴り響き………急行きたぐに新潟行きは大阪駅を定刻に出発した。
ゆっくり、ゆっくりと走り始め、やがて35㎞/h程で速度は落ち着く。
それからまたしばらくすると、大きく力行。これから新大阪へと向かう。
車窓からは各方面への最終前後の列車が行き交い、梓はそれをへばりつくように眺め、一騎はそんな梓を眺めていた。
「わぁ…四国じゃ考えられへんくらい列車が走りよる。あ、あれはくろしおやろか?」
反射越しにでも分かるくらい、梓の瞳は輝いていた。女性には珍しく鉄道が大好きな少女であり、一騎もそれなりには知識を持ち合わせていたものの、やはり梓には敵わない。
「本当に好きだな、梓」
「えへへ、列車に乗るの…大好きやし、眺めるんも好きや。一騎は…どないや?」
目をキラキラさせたまま、梓は振り返って一騎に話しかけた。
「そうだな……確かに、楽しいさ。だけど、梓といられるからこそ、かな」
「もう……一騎はそうやって私を辱しめるんやな…」
微笑みながら言う一騎に、梓は顔を真っ赤にしてまた車窓を眺めることに専念し始めた。
そんなことを言っている間にも、きたぐには新大阪を出発し、京都へと向かって行く。
一騎はふと周りを見渡す。
思えば10号車は案外すっからかんどころか、自分達以外の人間が乗車していなかった。
すでに消滅まで1ヶ月を切ろうかというこの時期に、人がまばらというのもやはり不思議な話でもある。
「意外といないな」
「この時期やったら、まだ自由席でごまかす人らばっかりやろね。それにこないだまで走れんかったさかい、それを見越してキャンセルした人らもおるかも分からん」
梓は車窓を眺めたまま、一騎の言葉に生返事。
特段一騎は気にすることもなく、再び周りを見渡した。
すると、検札だろうか。車掌が今、こちらに向かって歩いてきていた。
「どうも、ご乗車ありがとうございます。切符を拝見してよろしいでしょうか?」
50歳はゆうに越えているだろう。顔には年相応に刻まれたしわ、どことなく縒れたJR西日本の制服。ぱっと見ただけでもあらゆる場所を駆けたベテランだという事を思わせる。
そんな老車掌は、柔らかな笑顔で一騎に切符の提示を求めた。
「えっと、これですね」
「はい……ん?新大阪途中下車だね。この往復は?」
「払ってないので、今清算できますか」
「大丈夫ですよ、切符は要りますか?」
「じゃあお願いします」
「はい、少々お待ちください」
そう言って、慣れた手つきで車内補充機…通称車補機を操作し、新大阪~大阪の往復を発券する。無論、障割・介割での発券だ。
それからお金を収受してから車掌はふう、と息をつき、自分が歩いてきた通路を振り返った。
「今日でこいつも見納めか…なんだか呆気なかったな」
どこか寂しそうな表情に、一騎は何故か心引かれた。
幸い、梓はまだ車窓を見入ったままだ。
ならば、と一騎は車掌に話し掛けた。
「見納め…とは?」
「ああ、いや。今日で私は定年なんですよ。本当なら、こいつのラストランまで居たかったんだが…生憎上の都合というか。そんなこんなで、今日のきたぐにで私の長い車掌人生は終わりさ。
本当なら、この列車の運用ではなかったんだけど無理言って変えてもらってね・・恥ずかしい限りだよ」
いやぁ、まいったな…といった風に話す車掌。
一騎自身もたった一言でそこまで返してくれるとは思わなかったが、それはそれで嬉しく感じた。
「放送とかは大丈夫なんですか?」
「ああ、今日は見習い…というのは語弊があるか。今日は別に車掌がいましてね。結構経験も積んでいるから大丈夫ですよ。
君達はずいぶん若いけど…旅行かい?」
今度は車掌が、一騎達の旅行の目的を問う。
一騎は車窓を未だ眺める梓を示しながら答えた。
「はい、ツレがどうしてもきたぐにに乗りたいと言うもので」
「そうか…いやはや、こんな年で、しかも若い女の子がこいつに興味を示してくれるなんてね。ちょっと嬉しくなるよ」
その間も、梓は車窓から目を離さない。
傍目から見ても物凄い集中力で、見とれているといっても過言ではなかった。
「この列車は、どういった人が利用するんですか?」
「昔は金沢までは雷鳥の最終を乗り過ごしたお客さんで賑わっていたし、こいつは停車駅が多いから、朝方に直江津や越後湯沢に接続できる。今じゃ新幹線にだって長岡から接続してるからね。多目的利用を主眼においた、国鉄時代の生き残りってやつなんですよ」
きたぐにの停車駅は、大阪駅- 新大阪駅- 京都駅- 大津駅- 彦根駅- 米原駅- 長浜駅- 敦賀駅- 武生駅- 福井駅- 小松駅 - 金沢駅- 高岡駅- 富山駅- 滑川駅- 魚津駅 - 黒部駅- 入善駅- 泊駅- 糸魚川駅 - 直江津駅- 柿崎駅- 柏崎駅- 来迎寺駅- 長岡駅 - 見附駅- 東三条駅- 加茂駅- 新津駅- 亀田駅- 新潟駅と、実に30もの停車駅を持つ。
さらに、この区間はサンダーバードと北越とを乗り継ぐ区間であるため、一枚の格安急行券で全て走破できるとなると、やはり学生の利用に非常にメリットがある。また、前述のように金沢方面への最終列車として利用できるため、ビジネスマンにも重宝されるのだ。
直江津以降、後半の区間であれば青森や東京への早期到着を図れるし、ある種では至れり尽くせりである。
だが、その利便さがずっと活かされる筈もなく、ついぞ運転を止めざるを得なくなった。
「まぁ…今日もたくさんフラッシュを炊いていた人がいたけど。無くなるのが嫌なら、乗りに来てよと言いたくなるね。今日だって乗る人は殆どいなくてさ。今日乗った撮り鉄、しかもカメラ抱えて寝台取ってたのは君達だけだよ。まったく・・・といったところだよ。
……まぁ、こんな老いぼれの話はさておき。これからきたぐには長いトンネルに入っていく。そこを抜けて敦賀に入る頃には一面銀世界さ。それじゃあ、きたぐにの旅をとくとご堪能あれ」
車掌は優雅に一礼すると、そのまま後ろへ引き返していった。
それを見送ってからふと梓に視線を戻すと、梓はなにやら聞きたそうな顔で一騎を見上げていた。
「車掌さんとなに話していたん?」
「いや…些細な世間話…かな」
「あの車掌はん、今日で定年なんやね…寂しいやろなぁ…」
聞いてんじゃねぇか、というツッコミは辛うじて飲み込んだ。
「せやけど、やっぱああいう長い人からしたら昔から走っちょる列車が消えるんは我が子が死ぬるんと同じやから。銀河のラストランした人も涙飲んだいうから…」
「ああ………」
自分が憧れた列車に乗り、あちこちを駆け回ったであろうあの老車掌。
きっと、あの車掌もきっとこの列車に思い入れがあるのかと思うと、どこか胸が熱くなるものがあった。
「ほな、そろそろ…ちょっとなんか食べよか?」
梓は新大阪で買い込んだ、車内で食べる用のつまみや簡単な食べ物、そして飲み物を広げる。
その中のさきいかの封を開け、続いて若干ぬるまになった一騎にココアを手渡した。
一騎はそれを受けとると、プルタブを開けて窓辺りに置く。
それから梓が自らのココアを開けるのを待った。
「今、近江塩津辺りやろか」
「そう、だな。時間もずいぶん経ったし、京都も出た。後は敦賀ループを抜けりゃ遂に北陸だな」
ちょうど駅を通過したらしく、車窓からは刹那だが近江塩津駅の駅看板が見えた。
これから列車は、新疋田を通過すれば敦賀ループに入り、敦賀駅へと入っていくだろう。
「乾杯、するか?」
「あ…待って」
「うん?」
ココアを掲げて、梓に近づけようとした一騎を梓は制した。
そして。
「んっ・・・」
「っ!?」
突然の口づけ。一騎は困惑する。
「な、な・・・っ」
「あはは、ええやん?ほな・・・乾杯しよか」
自分のココア缶を掲げて、一騎のそれを待つ。
言いたいことはいくらでも出てきたが、一騎はそれを飲み込んで、自分もそれを掲げた。
「じゃあ・・・乾杯」
「うん、乾杯」
キン、という小気味よい音。
車窓は敦賀ループ後半に差し掛かり、辺り一面、前日までの大雪で雪化粧されていた。そしてきたぐにはそんな銀世界と化した敦賀のホームへと入っていく。
この時間は車掌のアナウンスもカットしているために、降りる人は自力で起きていなければ、新潟や長岡なんていうこともあながち少なくない。
だが・・・二人の旅行は、まだ終わらない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さて、もうそろそろやね」
「ああ・・・・」
敦賀からほぼ雪一面に染まり、深夜ながらも雪の白さ故に淡く明るい景色を眺めながら、呟く。
きたぐにには、いくつか長時間停車する駅がある。
新潟行きであれば、米原、金沢、直江津、長岡の四つであるが、こういった取り鉄と呼ばれる人間はこの長時間停車する駅でいったん外に出て、停車中の列車を撮影するのが一般的である。
だが梓は米原での停車は棄て、次に止まる金沢で心置きなく撮影しようという魂胆で居たのだった。
すると、だんだんきたぐにはその速度を下げて、金沢のホームに入線していく。
やがて、停止位置に緩やかに止めると、折り畳み式のドアが解放される。
「よっしゃ、いこ」
梓は手早くカメラをセッティングすると、足早にホームへと躍り出た。
やれやれと思いながらも、一騎はその後をついて行く。
外に出ると、ホームですらも雪一面に染まっていた。ホーム端段のところがは雪によって傾斜でしかなくなっているし、留置線を見やればロータリーを通さなければ復旧不可能なほど雪が積もっていた。
今日はくもりであるが、巻き上げた雪で先頭車両のほぼ半分が真っ白になっており、雪の質の違いを実感すると同時に、よく運転できたなという思いがこみ上げる。
カメラを携えて駆けまわる梓を視界の端に入れつつ、きたぐにの最後尾をほうを何気なく見る。
そこには先程検札を行っていた老車掌ともう一人の女性の車掌がいた。女性の車掌の左腕には研修中のワッペンが付けられており、あの車掌が老車掌の言っていた見習いの子なのだろう。
思えば、確かにアナウンスの声が若干ソプラノ気味だったように思える。
すると、老車掌と目が合った。老車掌はにこやかに笑うと、こちらに手を振ってきた。きっとこちらにおいでという合図だろうか。
梓の事は放っておけないが、あれほど真剣に写真のピントを合わせたりして撮影しているのだから、邪魔するのも可哀想に思い、一人で向かう事にした。
「やぁ、また会ったね」
「ええ。こちらの方が?」
「ああ、今日の見習いだよ。直江津からの事についての仕事内容の確認を、ね」
女性車掌はぺこりと頭を下げた。肩までの黒髪をストレートに下ろしており、おとなしい印象を与える。
老車掌はホーム中ほどまで移動してきて、撮影をする梓を見据えながら、一騎に問いかけた。
「あの子がお連れさんだったかな。ものすごく真剣に撮っているね」
「ええ。彼女、心疾患なんですけど。この列車がなくなると聞いて・・・行くと言って頑なだったんですよ。それで無理を圧して今日の旅行を」
「それほどきついものを持っているのかい・・・?」
「いえ。日常生活には問題ないんです。ただ、なにかあっては大変ですから」
苦笑いを浮かべながら、一騎は梓を見据えた。すると、たまたま梓と目が合い、梓は撮影を中断してこちらまで息切れしない程度の速さで走って向かってきた。
「なんや一騎、こんなところで車掌さんと美味しそうな話してからに。あ、お世話になってます~」
「ああ、この子のお連れさんかな。君が、写真を?」
「あ、はい。昔の列車撮るんが好きで、結構こっちの一騎と飛び回ってます」
「そうかい。君達のような美人さんと好青年に乗ってもらってきたぐにも喜んでいるだろう」
「え、やだそんな美人だなんて・・・」
頬を赤らめながらも、まんざらでもなさそうな梓。
一騎もそんな風に言われるのは滅多にないので心持ちむず痒く思う。
そして、車掌はおもむろに懐中時計を取り出して時間の確認をする。
今となっては電波時計による時間正時の多い中で、いまだ懐中時計にて仕事をしている老車掌が不思議に思えた。
「それ、いつも使ってはるんですか?ものごっつ使い込んでいるように思えますけど・・・」
梓が、老車掌の持つ古びた懐中時計を指さして問いかけた。
「これかい。いつもは私も電波時計で、こいつはお守りみたいなものなのだが、今日は特別な日だしね・・・今日に合わせて電池を入れ替えて使っているんだよ。
・・・さて、そろそろ出発かな。今日はほとんど人もいないからこっちの自由席でちょっとゆっくりしていくといい。後で・・・老いぼれの土産話でもいかがかな」
笑顔でそう言って、老車掌は女性車掌に目配せした。すると、女性車掌は支柱に取り付けられた発車ベルまで歩いてくと、そのスイッチを操作して、発車予告を行う。
一騎達は言葉に甘えて、自由席の車両に乗り込み発車を待った。
そして、きたぐにはほどなく金沢を出発し、これから直江津のほうに向かって走っていく。
100km/hを超えたところだろうか。きたぐにのノッチがオフになったころを見計らって老車掌が現れ、一騎達が座っていた辺りまで歩いてきた。帽子は脱いで、自分の胸元に添えてある。
「向かい、座ってよろしいかな?」
「いいんですか?」
「ご覧のとおり、この1号車は私達だけさ。まぁ・・・そんな日は今に始まったことじゃないのだがね」
苦笑いを浮かべながら、車窓を眺める老車掌。
そんな横顔に二人は寂しさを感じた。
「昔はね、この列車は日本海と一緒に青森まで走っていたんだ。もちろん日本海のほうがグレードが高かったから、そちらに乗れるようなお金のない人たちや、日本海が止まらない駅に用がある人たちによく利用されていたんだよ。そして、冬に修学旅行やアルペンルート旅行をする人達や新潟から上京する人たち・・・」
『わーい!』
『すっごーい!』
『こらこら、さわいじゃいけないよ。君たちはどこへ行くのかな?』
『『スキー!』』
『そうか。じゃあ・・・ちょっとおもしろいものを見せてあげよう』
『『わぁ・・・!!』』
『さ・・・おやすみの時間ですよ』
「特別にちょっといいものをお見せしましょう」
おもむろに立ち上がった老車掌はその辺りの席を慣れた手つきで動かし、あっという間に一騎達が利用していた三段寝台へと変えてしまった。
「わ・・・」
「これが583系の見せどころの一つだね。昼時はこうしてベッドをたたんで通勤列車に使われたものさ
」
『どうかされましたか、お客さま?』
『ええ、いや。今日から大阪へ大学進学で向かうのですが・・・すこし不安で』
『そうですか・・・。私も、この仕事に入るために青森のほうから飛ばされてきたのですが。誰しも最初は不安です。あまり気負わずに、やりたいことに専念されては・・・いかがですか?』
『そう・・・ですね。ありがとうございます。私の話を聞いてくださって』
『いいんですよ、旅は道連れ、世は情けですから』
「しかし・・・寝台列車とは不思議なものでね。なぜだかお客さんの検札をするたびに立ち止まって、みなさんのお話を聞いたものですよ。時には二時間三時間と長話を聞いたこともあって、見習いの時はよく先生に怒られたものです」
「それでも、やっぱり話はずっと聞いたんじゃないんですか?車掌はん、なんや優しそうやから」
「恥ずかしながら、見習いが解けて本務の時はいつもそうだったね。一時期はよく利用されるお客さんと仕事終わりに食事などもしたものです」
きっと、出会いはそういうものなのだと思いますよ、と車掌は静かに笑みを浮かべた。
「さて・・・話の続きですが・・・。きたぐにが電車化してしばらくたった頃かな。この列車もだんだんと利用客が減ってね・・・。国鉄の民営化もあったんだろうけど、上越新幹線や新型特急、新快速の整備・・・おもにサンダーバードの681・683系かな。そういった列車の整備でこいつの需要が減ってきたんだ。
そして・・・3/16。こいつは最後の運転を迎える」
ちょうど、きたぐにの汽笛が鳴り響く。おそらく、トンネルに入ったからだろう・・・車窓も見えなくなった。
老車掌は立て付けたベッドに寄りかかりながら話を続ける。
「私もそういうのがあって、本当にどうしようか悩んでいたんですよ。残るべきか、辞めるべきか。残った仲間もいたし、この際辞めるといった仲間もいたし・・・入りたくても、入れなかった仲間もいた。
その無念とか、バトンみたいな気持ちを抱えて、ひた走るのか・・・ここらで区切りをつけるべきか・・・。私には、あの時結論付けることは出来なかった。そして、今に至るわけですよ」
梓と一騎はどことなくその言葉になんとなく疑問を感じた。
確かに、上層部の行いが原因で散り散りにされてしまうのは非常に遺憾だろうし、どうしても弾かれる人は存在する。
ただ、どうして答えを出せなかったのか・・・。
それだけが、二人の頭をもやもやさせた。
その口火を切ったのは・・・梓。
「どうして・・・やめられへんかったんですか?」
「梓・・・っ」
それは聞いてはいけないだろうと、梓を諌めようとしたが、それを老車掌は阻んだ。
「いいんですよ、きっと誰でも気になるでしょうから・・・。もちろん、一緒にこの時代を生きた仲間は大事だったんです、それは確かです。
ただ、それらよりも・・・。時代の華を作ったブルートレイン。その車掌として生きてきた私は、そいつらと自分の人生を終えたかった。最後まで走りたかった・・・。当時は高速化を担い、今は夜行でのんびり・・・。人の人生と同じですよ。若いときは一番になりたい思いで全力で、最後はゆるやかにひっそりと。そんな人生も、滑稽でありながら、素敵だとは思いませんか?」
一騎と梓は、その老車掌の言葉の真意は分からなかった。
ただ。
「その言葉の意味は・・・、たぶん俺達には車掌さんと同じ年にならないと分からないと思います。だけど・・・きっと車掌さんの人生はきっと充実してたのではないでしょうか」
本当は、そんなさみしすぎる最後はあまりにも悲しい。
だが、若い自分たちにはその言葉を紡ぐには30年は早い。
だけど、こんな優しい笑顔を浮かべられるなら、きっと。
「ふふ・・・ありがとう。最後に、君たちに会えてよかったよ」
この人の人生のレールは、輝いていたはずだ。
そう・・・一騎は思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『次に止まります駅は終点の新潟、新潟です。長らくのご乗車ありがとうございました。北国の銀世界はご堪能いただけたでしょうか。車内にお忘れ物などなさいませんようにお願いいたします・・・』
長かったきたぐにの旅行も、最早新潟駅に到着するのを待つばかりだ。
あれから、一騎と梓は老車掌の昔話をいろいろ伺っていた。なかには老車掌の出会いや失敗談、嬉しかったことなども聞けて、起きていれば長い旅行もあっという間に長岡だったりするのだから、不思議なものである。
新潟の二つ前、亀田を出、荷物をまとめながら梓は一騎に問いかけた。
「ねぇ、一騎。あの車掌はんは・・・ほんまに幸せやったんやろか」
「ん?」
「一騎は車掌はんの人生は充実して言うたけど、私・・・やっぱ分からへんねん。どうして・・・こんな時にも笑顔でいられるんやろか」
「なんだ、梓はてっきり分かってんのかと思ったぞ」
「え~?」
あからさまに不機嫌な顔をした梓。
意地悪しているつもりはないが、わからないなら教えてやろう、と一騎は人差し指を梓の唇に当てた。
「お前、きたぐにに乗った時言ってたろ。『こういう列車が消えるのは我が子が死ぬのと同じだ』と。たぶん、あの車掌はこの列車と最後まで走りたかったんだ。このきたぐにが消えるのと同時に定年退職なのはたまたま偶然だろうけど、消えるなら・・・せめて最後までってところか。だから、本当なら他の線区でさみしく終わるところを無理言って新潟まで仕事したんじゃないか」
「あ・・・」
「だから、きっとあの車掌は幸せだったと思うぞ」
「・・・せやね」
そして、きたぐには新潟に到着する。
新潟に降り立つと、金沢ほどではないが、かなり降り積もった雪でホーム全体が染め上げられていた。
窓越しに向かいのホームを見ると、始発のいなほが止まっており、きっとシャッターチャンスだと梓が走っていきそうだな・・・と一騎は内心で苦笑いする。
「あ・・・あの車掌はんなんかいろんな人と話してる」
梓が指差す先を一騎も見る。
すると、東日本で働く、かつての同僚や後輩たちだろうか・・・よく見れば西日本の人であろう私服の人や老車掌の奥さんと思しき人たちが老車掌を囲んで定年のお祝いや感謝の言葉を口々に言っていた。
その様子を見て、一騎と梓はなんだか幸せな気持ちになった。
「確かに・・・充実してはる」
「だろ?」
「私らも・・・あんな風になれるかな?」
「なるさ・・・絶対」
一騎は梓の肩をそっと引き寄せる。
そして、二人の視線の先にいる老車掌たちの姿に・・・自分たちを重ねてみるのだった。
ご読了ありがとうございます。
私は撮り鉄というよりは乗り鉄といった感じのですが、少しでも583系の車内やきたぐにの勇姿をご想像できたなら、幸いです。
それらを知らない方々には、車掌がどういった気持ちで仕事をしていたか、そんな昔話を聞いてどう思ったかなどを考えていただけたら・・・と思います。
ちなみに、実際にこのきたぐにには乗車しました。
わざわざ一か月前から席を取って待ち望んでいたのですが・・・その時期からほぼ一か月運転できなかったという。
本当に乗れるのか?と思いながら居たのですが、無事運転できてやれやれと言ったところでした。
それ以外の情報は主にwikiから得ました。なので、だいたいの情報はwikiで手に入ります。
それですべてが分かるわけではないし、私自身つたない知識を繋いでこの作品を書いたので現実との相違点があるかもしれませんが、その当たりは『所詮架空だから仕方ないよね』という広い心で見逃してください。
それでは、最後になりましたが、この作品を読んでいただいてありがとうございました。