1 勝利条件
「晴翔、今日からお前の妹になる子だ。挨拶なさい」
ある日父さんが再婚し僕に義妹が出来た。
肩まで伸びる黒髪に大きなリボン、くりっとした目には何処か警戒の色が浮かんでいた。
「はるとです!わっちゅあねーむ?」
当時の僕は英語教室に通っておりついつい習いたての英語を使ってしまう癖があった。
女の子は少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さな声で答えた。
「……とうか」
「とーかちゃん?これから僕のまいしすたーになるの?よろしくね!」
僕が手を差し出すと、彼女は少し戸惑った様子で口を開いた。
「よろしく。でも、おにいちゃんとはみとめないから」
「え」
これが僕と彼女のファーストコンタクト、小学2年生冷たい風が吹くある冬の日だった。
どうやら彼女は簡単に心を開いてはくれないらしい。ならばどんな手を使ってでも開いてやろうーーー幼心に僕はそう決意した。
まず最初にやったのはたくさん話しかける事だ。
「とーかちゃん! おかあさんにチョコ買ってもらったから一緒に食べよ!」
「別にいい」
「とーかちゃん! この前のボケモンの続き一緒に見よ!」
「興味ない」
「とーかちゃん! 田中さんちの猫が庭にいたから見にいこ!」
「……」
断られてもめげずに誘い続けた。
ある日、僕がクラスメイトと喧嘩して怪我をした時。
「……ばか」
とうかが小さく言った。
「え?」
「こんなの、考えればわかるじゃん」
そう言いながら絆創膏を貼ってくれた。
それが、彼女が初めて僕に触れた瞬間だった。
中学生になる頃には、とうかはすっかり家族に慣れていた。
ただし僕にだけは相変わらず素っ気ない。
「とうかー、ジュース飲む?」
「自分で取れる」
「宿題手伝おうか?」
「大丈夫」
だがある日、学校帰りに男子数人がとうかに絡んでいるのを見た。
「おい、ちょっと遊ぼうぜ」
「……」
とうかが困っているのを見て、僕は思わず間に入った。
「その子、僕の妹なんで」
男子たちは面倒くさそうに去っていった。
その帰り道。
「……助けてなんて言ってない」
とうかはそう言った。
でも少し歩いてから、ぽつりと付け足した。
「でも、ありがと」
高校生になる頃には、とうかはすっかり変わっていた。
変わったというか——
やたら僕の近くにいるようになった。
朝。
「はると、起きて」
「目覚まし鳴ってる……」
「私が起こした方が早い」
学校でも。
「はると、帰ろ」
「友達いるだろ」
「今日はいい」
そして家では。
「はると」
「んー?」
「彼女作らないの?」
「作らないっていうか作れないっていうか」
ゲームをやりながら答える。
とうかはしばらく黙ってから口を開いた。
「じゃあもし仮に万が一、いや億が一ありえないんだけど、はるとのことが好きな子がいたら付き合うの?」
「もちろん」
「誰でも?」
「of course」
「ふーーん」
「なんだその顔はー?」
ニヤニヤしている義妹の頬を引っ張る。
「ムワァァ…」
ハムスターみたいで可愛い。
「そういえば言い忘れてたけど来年から上京して一人暮らしするから」
「…………は?」
本当にとうかの口から出たのか疑うくらい低い声だった。
「………はるとに一人暮らしは絶対無理。諦めるべき。そもそも家事だってできないでしょ。自分の生活能力ちゃんと理解してる?朝は目覚まし三個鳴っても起きないし、放っておいたら昼まで寝てるし、冷蔵庫の中身は三日で空にするし、洗濯は色物と白物一緒に入れるし、前なんてカレー作って鍋焦がしてたよね?覚えてる?掃除は?はるとの部屋、私が三日放置したら床見えなくなるんだけど。ペットボトルと漫画と服が層になってるの何あれ?地層?あと健康管理は?絶対コンビニ弁当ばっかりになる。野菜食べない。風邪ひいても病院行かない。熱出しても『寝れば治る』とか言う。で、私が看病しに行くことになる。そういう未来が見えてるんだから一人暮らしとかいう無謀なこと考えないで大人しく家にいなよ。」
一息で言い切った。
「……長い」
「重要なことだから」
とうかは腕を組んで、じっと僕を見る。
「というか」
「?」
「なんで上京するの」
「大学」
「こっちにもある」
「行きたいとこが東京なんだよ」
「……」
とうかは黙った。
珍しく、すぐに言い返してこない。
「まあ、まだ一年あるしさ」
僕がそう言うと、とうかは小さく息を吐いた。
「……はると」
「ん?」
「さっきの話」
「どれ」
「好きな子がいたら付き合うってやつ」
「ああ」
とうかは僕をじっと見た。
何かを考えている顔。
「じゃあ」
少し間を置いて言う。
「もし、その子が私でも?」
「は?」
「仮の話」
「いや仮でも」
「なんで」
「妹だから」
とうかは少しだけ眉をひそめた。
「……義妹」
「同じ」
「違う」
「違わない」
「違う」
「違わない!」
数秒の沈黙。
「……わたしははるとをお兄ちゃんと認めてない」
「でも今は家族だろ」
「家族」
とうかはその言葉を小さく繰り返した。
「……そうだね」
少しだけ俯く。
でもすぐに顔を上げた。
「でも」
一歩、距離が近づく。
「お兄ちゃんじゃない」
「……?」
とうかは少しだけ頬を赤くしていた。
でも視線は逸らさない。
「だって」
小さく息を吐く。
「お兄ちゃんだったら」
一瞬だけ言葉が止まった。
それから、ぽつりと続けた。
「こんなこと思わない」
「…とうか?」
とうかは少しだけ笑った。
意地悪そうな、でもどこか照れた笑い方。何か嫌な予感がする。
「じゃあゲームしよ。私を妹として見れなくなったら、はるとの負け。大人しくはるとは私のお婿さんになるの」
「それ僕の勝利条件なくない?」
「……じゃあこの一年、私で勃たなければはるとの勝ち。一人暮らしを許可する。妹に欲情する兄なんていないなら余裕で呑んでくれるよね?」
釈然としないし、丸め込まれている感じもするが、こうなると僕の義妹は意地でも動かない事を知っている。
「……分かった」
こうして絶対に勃たせたい義妹と義妹じゃ勃たない僕による攻防が幕を開けた。




