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悪役令嬢、断罪後の終わらない晩餐 ~食あたり死から始まる異世界フードファイト~  作者: 南蛇井


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第29話「焦げ鍋外交」 ― 焦げ鍋村から、香辛料と風が旅立つ ―

朝霧の残る焦げ鍋村。

 昨夜の宴の名残りが、まだ広場の空気をやさしく包んでいた。

 石の地面には焚き火の灰が残り、焦げついた鍋からは、わずかに香ばしい匂いが漂っている。


 七流派の使者たちは、それぞれの馬車に荷を積み込み、出発の支度をしていた。

 フェルドは手際よく書類を束ね、ルーチェはガラス細工の箱を丁寧に布でくるみ、ドランは大きな肉包丁を腰に差し直す。

 その姿を、村の子どもたちが取り囲んでいた。


「ねぇ! もう帰っちゃうの? もっと食べたい!」

「焦げ鍋スープ、明日も作ってよー!」


 ドランは頭をかきながら、困ったように笑う。

「ははっ……ったく、お前ら胃袋強すぎだろ。オレでも腹いっぱいだぜ。」


 ルーチェはしゃがみ込み、子どもの掌に小さな砂糖細工をそっと乗せた。

 朝陽を受けて、その花は一瞬だけ、本物の花よりも眩しく光る。

「次に会うときは、もっと甘い花を咲かせてあげるわ。」


 フェルドは無言で、泣き顔の少年の頭を軽く撫でた。

 少年が鼻をすすりながら笑うと、フェルドは小さく息を吐き、視線を空に上げる。

 朝陽が雲を裂き、村の煙突から立ち上る湯気を金色に染めていた。


 リョウコは少し離れた場所で、その光景を見つめていた。

 誰もが、食卓でつながっている――そんな穏やかな錯覚が、心を満たす。


(――こんな“外交”なら、何度だってやりたい。)


 焦げた鍋の中から、ふたたび小さな泡が弾ける。

 それはまるで、まだ続く物語を告げる合図のように。


 鳥のさえずりが、朝の村に戻ってくる。

 焦げと塩と、少しの笑い声。

 それが、焦げ鍋村の“平和の香り”だった。

村の門前。

 荷馬車の車輪が小石を踏み、朝の静けさを切り裂く。

 遠くで鶏が鳴き、焦げ鍋村の一日はもう始まっていた。


 その前で、フェルドがリョウコの前に立った。

 いつもと変わらぬ無表情――けれど、その目の奥に、どこか名残惜しさが宿っている。

 彼は懐から、小さなガラス瓶を取り出した。

 瓶の中には、深紅の粉末がわずかに光を返す。


「これは、王都の味の象徴だ。」

 フェルドは瓶を差し出した。

「“ルミナ・ペッパー”――王家専用の香辛料。

 ……君の焦げ鍋が“本物”なら、これを越えられるはずだ。」


 瓶の中の粉末が、朝陽を浴びて、血のように赤く輝いた。

 その色は、どこか挑戦の色にも見えた。


 ルーチェが小さく笑い、フェルドの横で肩をすくめる。

「彼、王家の倉庫からちょっと“拝借”したのよ。

 捕まらないうちに使ってね?」


 ドランは腹を抱えて笑い出す。

「へっ、王都で焦がす準備はできてるってこったな!」


 リョウコは目を細めて、ガラス瓶を両手で受け取る。

 その掌に、わずかな温かさが残った気がした。

 ルミナ・ペッパー――王都の味。

 けれど、それはもう、挑戦状のようにも見える。


「焦げと塩の女でも、王都の舌に勝てるかしらね。」


 リョウコが笑うと、朝の風が髪を揺らした。

 フェルドもほんのわずかに口角を上げる。

「勝てるさ。焦げは、誤魔化しがきかない味だからな。」


 その一言が、旅立ちの合図のように響く。

 馬車のドアが閉まり、使者たちの列が動き出した。

 風に揺れる深紅の香辛料が、陽光の中で小さく輝く。


 焦げ鍋村に残されたのは、ひとつの瓶と、温かい香りの記憶。

 それが――“料理で繋ぐ外交”の第一歩だった。

街道には、朝の光が斜めに差し込んでいた。

 七流派の馬車が、ひとつ、またひとつとゆっくり動き出す。

 荷車の軋む音と、馬の蹄の響きが、村の静けさに溶けていった。


 ドランは大きな体を揺らしながら、子どもたちに向かって大げさに手を振る。

「おいおい、泣くなって! また焦がしに戻ってくるからよ!」

 子どもたちは笑いながらも、目尻を拭う。


 ルーチェは馬車の窓から身を乗り出し、柔らかく手を振った。

 風に揺れる金の髪が、朝陽に照らされてきらめく。

「焦げ鍋の味、忘れないでね――次は“王都風”で再現してあげる。」


 フェルドはただ前を見ていた。

 振り返らず、まっすぐに。

 その背中には、王都を背負う者の覚悟と、ひと匙の情が滲んでいた。


 馬車の列が小さくなり、やがて地平に溶けていく。

 残されたリョウコは、広場に戻り、焦げ鍋の前にしゃがみ込む。

 鍋の底には、昨夜の火の名残が赤く光っていた。


「……ありがとね。」

 小さく呟いて、リョウコは火に息を吹きかける。

 ぱち、と音を立てて、炎が消えた。


 湯気の代わりに、かすかな香ばしさが漂う。

 リョウコはその香りを吸い込み、微笑んだ。


(焦げた鍋の跡が、残る。

 でも、それは汚れじゃない――私たちが“食べた”証。)


 隣に立つリリエが、小さく頷いた。

「ねぇ、次は……どこを焦がす?」


 リョウコは立ち上がり、遠くの街道を見つめる。

 陽光が彼女の瞳に反射して、焦げ鍋のように温かく光った。


「決まってるでしょ。――王都の胃袋よ。」


 その言葉に、風がそっと応えるように吹いた。

 灰が舞い上がり、街道の方へ流れていく。

 それはまるで、“焦げ鍋の香り”が次の旅へと先に行くかのようだった。


 そして、少し切ない旋律が、村の丘に残る。

 けれどその音には、不思議と前へ進むリズムがあった。



昼下がり。村の宿屋の前には、旅支度を整えた焦げ鍋ギルドの面々がいた。

 風に乾いた香草の匂いが混じり、どこか出発の気配を運んでくる。


 ミナは地図を広げ、真剣な顔で道筋を指さした。

「王都まで、だいたい五日。途中の検問は三つ。どれも“飢餓省”の管理下だってさ。……めんどいね。」


 その言い方はあっけらかんとしているが、眉の動きには慎重さが滲んでいた。


 セイラは背伸びをしながら、リョウコの背中をぽん、と叩く。

「でも行くんでしょ? 焦げ鍋外交、見せてやろうよ!」


 リョウコは肩をすくめて笑う。

「外交っていうより……腹の話だけどね。」


 ミナが苦笑し、リリエが吹き出した。

「たしかに。うちらの“条約書”はレシピ本だもんね。」

「署名はスプーンで、印鑑は焦げ跡。」


 笑い声が宿屋の軒先に響く。

 通りがかりの村人が振り返り、微笑んで手を振った。


 リョウコは荷を背負い直し、ゆっくりと空を見上げる。

 青空には、薄い雲がひとすじ――王都の方角へ流れていた。


「行こっか。」

 その一言で、三人がうなずく。


 リリエが軽く鍋を抱え、セイラがフライパンを回し、ミナが地図を畳む。

 それぞれの音がひとつになり、まるで“出発のリズム”のように響いた。


 村の風がまた吹き抜ける。

 焦げ鍋ギルドの笑い声が、その風に乗って遠くへと流れていった。


 ――焦げた香りとともに、新しい旅が始まる。

昼下がりの陽光が丘を越え、草の波に銀の筋を描いていた。

 焦げ鍋ギルドの馬車は、きしむ音を立てながらゆっくりと坂を登り、そして、王都の見える稜線へと差しかかる。


 荷台の上で、リョウコは風を感じて目を細めた。

 背後から吹く風に、焦げた鍋の匂いがほんのり混じっている。

 村の朝、子どもたちの笑い声、灰の舞う広場――すべてがその香りに溶けていた。


 リリエが手綱を握りながら振り向く。

「ねぇ、リョウコ。もう村の匂い、届かなくなっちゃうね。」


 リョウコは懐から、フェルドにもらった小瓶を取り出す。

 陽の光を受けた瓶の中で、赤い粉が微かにきらめいた。


「香辛料の匂い……ちょっと強いけど、悪くない。」


 リリエが口元をゆるめて言う。

「焦げのほうが勝つと思うけどね。」


 リョウコは笑い、瓶をくるくると回す。

「――なら、勝負はすぐ決まりね。」


 馬車が坂を下り始める。

 前方には、霞の向こうに王都の尖塔がかすかに見えていた。

 その姿は、まるで次の料理の材料のように、まだ手の届かない場所で輝いている。


 風が吹く。

 焦げ鍋の香りと、王都の香辛料が混ざり合い、空の中でひとつの匂いになった。


 ――焦げと香辛料。

 二つの匂いが混じるとき、王都の食卓に、新しい風が吹く。


 そして、焦げ鍋ギルドの旅は、再び始まった。






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