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悪役令嬢、断罪後の終わらない晩餐 ~食あたり死から始まる異世界フードファイト~  作者: 南蛇井


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第10話 「胃袋の聖女、誕生」

夜明けの霧が、山の稜線をなぞるように降りていた。

 その靄の向こう、ヴァルグロウ村の畑に――

 新しい緑が芽吹いていた。


 つい昨日まで、そこは黒焦げの大地だった。

 魔獣を焼いた跡。煙と血と焦げた鉄の匂いが、まだ土の奥に染みついている。

 それでも――その焼け跡の中心から、小さな芽が伸びていた。


「……おい、見ろよ。」

 村人Aが、朝靄の中でしゃがみこむ。

「ここ、焦げ跡だったはずだ。」


「“あの娘”が焼いたあとから、芽が出たんだ。」

 村人Bが呟く。

 声の端には、恐れと――ほんの少しの希望が混じっていた。


 風が畑を撫で、芽吹いた草がかすかに揺れる。

 それを見つめる人々の間に、言葉にならない“敬意”が漂った。

 誰も口には出さない。

 だが、心のどこかで、皆が同じことを思っていた。


 ――あの娘は、何かを呼び起こしたのかもしれない。


 そして、村の朝は静かに動き始める。

 遠くの丘では、リョウコが小さく伸びをしていた。

 まるで、芽吹いた大地と同じように。


 朝靄が薄れ、村の中央にある石造りの広場から、かすかな湯気が立ちのぼっていた。

 リョウコは、村人たちから少しずつ分けてもらった芋と葉野菜を鍋に入れ、静かに煮込んでいた。


 鍋は古く、底は何度も焦げついた跡がある。

 けれど、そこから立ちのぼる香りは、不思議なほど柔らかかった。

 ほんの少しの塩と、大地の匂い。

 その香りが、村の空気をやさしく包みこむ。


「また、作ってる……」

 広場の端で、子どもが囁く。

 その目は、好奇心と、少しの憧れ。


「罪人のはずが、どうして祈って見えるんだ。」

 老人がつぶやく。

 焚き火の光が、彼のしわだらけの顔を淡く照らした。


 リョウコは何も言わない。

 ただ、木の匙でゆっくりと鍋をかき混ぜる。

 その動きには、焦りも迷いもなかった。


 ――まるで、祈りのように。


 その背中は、罰を受ける者のものではなかった。

 むしろ、“生かそうとする者”の背中だった。

 湯気の中で、リョウコの影がまっすぐに伸びていた。


その日、ヴァルグロウ村の朝は静かだった。

 だが、土道の向こうから、硬い靴音が近づいてくる。


 鎧の胸に王国の紋章を刻んだ若い兵士が、馬を引いて現れた。

 肩には埃、表情には疑念。


「“神の胃袋”の奇跡、だと?」

 彼は低くつぶやく。

「罪人がそんなことをできるはずがない。」


 村人たちは道をあけた。

 その先で、焚き火のそばにリョウコがいた。

 鍋の中では、湯気が静かに立ちのぼっている。


 彼女は子どもに木の椀を渡し、

「熱いから、ゆっくりね」と優しく笑った。


 その瞬間――。

 ふわりと、煮込まれた芋と野菜の香りが、風に乗って漂った。

 兵士の喉が動く。

 そして、かすかに――腹の音が鳴った。


 リョウコは彼に気づき、ふと振り向く。

 微笑を浮かべたまま、穏やかに言った。


「どうぞ。おかわりもあります。」


 一瞬、兵士は言葉を失った。

 この村に来るまで、彼女を“罪人”としか思っていなかった。

 だが今、目の前のその人は――誰よりも清らかに見えた。


 椀を受け取り、一口。

 温かさが舌を包み、冷えきった心に流れ込む。


 気づけば、頬を伝うものがあった。

 それは、言葉よりも先に流れた“涙”だった。


昼下がりのヴァルグロウ村。

 広場には、焚き火の灰をならした跡と、香ばしい匂いが残っていた。


 その中心で、リョウコは今日も鍋をかき混ぜている。

 彼女の袖には焦げ跡、頬には少し煤。

 それでも、その動きは祈るように静かだった。


 そんな彼女を見つめながら、村の老人が手を合わせる。

「“暴食”の名など、もう似合わん……」

 皺だらけの唇が、やがて柔らかくほころぶ。

「――あの娘は、“食の聖女”だ。」


 最初は冗談のように聞こえた。

 だが、誰も笑わなかった。

 村人たちの心に、しんと静けさが降りていく。


 いつしか子どもたちが、その言葉をまねてはしゃぐ。


「せいじょさまー!」

「おなかのかみさまー!」


 リョウコは、驚いたように振り向き――そして照れ笑いを浮かべた。

「そんな、やめてください……わたしは、ただの料理好きです。」


 そう言いながらも、彼女の手は止まらない。

 鍋の中では、今日も小さな泡が生まれ、静かに弾けていた。


 ――“暴食令嬢”と呼ばれた娘が、“食の聖女”と呼ばれるようになるまで、

 ほんの数日のことだった。


王都ルシエルの礼拝堂。

 白い大理石の床に、朝の光が射しこみ、ステンドグラスの影を描いていた。


 その静寂の中、ミルディアは膝をつき、一枚の報告書を差し出す。

「――“暴食令嬢”の地、ヴァルグロウで緑が芽吹きました。」

「人々は飢えを忘れつつあります。」


 報告書を受け取ったアレクシス王子は、しばし言葉を失う。

 紙の上に並ぶ文字を見つめ、ゆっくりと問い返した。

「……彼女が、か?」


 ミルディアは頷く。

「はい。彼女は“食べ続ける”ことで、命を分け与えているように見えます。」

 その声音には、報告を超えた“畏れ”が混じっていた。


 アレクシスは窓辺に歩み寄り、陽光の中で目を細める。

 遠く、風が聖堂の鐘を揺らす。


「――罪が、赦しに変わることがあるのか。」

 彼の呟きに、ミルディアは答えなかった。


 ただ、ステンドグラスの“金色の光”が二人を包む。

 その光の中で、かつて“暴食”と呼ばれた罪が、

 ゆっくりと、“祝福”へと姿を変えつつあった。




夜の帳が村を包む。

 星々が瞬き、風が穏やかに畑を撫でていく。


 焚き火のそばでは、リョウコが小さな鍋を抱えていた。

 炎に照らされた横顔は柔らかく、

 その目は、煮えたぎるスープの向こうに何かを見つめている。


 村の子どもたちはもう眠っていた。

 遠くで虫の声が聞こえる。

 その静けさの中で、リョウコはそっと両手を合わせる。


「……おいしくなりますように。」

 小さな声が、夜の空気に溶ける。


「明日も、誰かが笑えますように。」


 焚き火がぱちりと音を立てた。

 その火の粉が舞い上がり、星と溶け合うように消えていく。


 まるでその光そのものが、

 彼女の祈りを運ぶ“聖火”のようだった。


夜が明け、ヴァルグロウの村を柔らかな朝日が包み込む。

 かつて“飢えの地”と呼ばれたこの村に、今は――

 ふわりと、香ばしい香りが漂っていた。


 パンの香り。

 どこか懐かしく、胸の奥をくすぐるような匂いだった。


 村人たちは眠そうな目をこすりながら、

 焚き火のそばに立つひとりの女を見つめる。

 鍋を抱えたその姿は、もう誰の目にも“罪人”ではなかった。


「おはようございます。今日は、ちょっと焦げちゃいました。」

 リョウコは照れたように笑う。

 その笑顔に、誰もが知らぬうちに頭を垂れた。


 ――“暴食令嬢”と呼ばれた女は、今や“胃袋の聖女”と呼ばれていた。


ナレーション:


「飢えの地に満ちたのは、祈りではなく、香りだった。

 それは誰の信仰よりも強く、

 ただ“食べる”という命の証を、世界に思い出させた。」


 朝の風が、焼きたての香りを遠くへ運んでいく。

 それは、赦しのように甘く――

 そして、新しい伝説のはじまりを告げていた。







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