第1話 食あたり死と異世界開眼
――舞台は、都内の大食い聖地《赤天地獄》。
鉄鍋が鳴り、唐辛子の香りが立ちこめ、観客席は熱狂の坩堝と化していた。
テレビ特番《真夏のフードキング・グランプリ》――通称「胃袋の祭典」。
「さあ残るは二人! “食神女子高生”涼子選手と、“胃袋の暴君”タカノ選手だぁあッ!!」
マイクを握る司会者・田村の声が、店内を震わせる。
観客は叫び、スタッフはカメラを構え、赤い湯気が渦を巻く。
テーブルの上には、見るも恐ろしい真紅のラーメン。
名物《煉獄の業火ラーメン・Final Hell Ver.》。
スープはドロドロと煮え立ち、唐辛子の粉が雪のように積もっている。
箸を入れると湯気の奥から地獄の香辛地帯が顔を出す。
「これを食いきったら――人間卒業だぜ……!」
猛牛タカノが額の汗をぬぐい、どんぶりに突っ込む。
その隣で、女子高生・**佐々木涼子(17)**はにっこりと笑った。
「食べ残すより、死んだほうがマシ、です!」
彼女の声は軽く、しかし迷いがない。
長い黒髪をひとつ結びにし、瞳は真っ直ぐ、まるで炎を映しているようだった。
司会者「おっと出ましたーっ! 伝説の決めゼリフ、“食べ残すより死んだほうがマシ”!!」
観客「いけーっ! 食神女子高生ー!!」
湯気が視界を奪い、辛味が喉を焼く。
だが彼女は止まらない。箸が踊り、麺が飛び、スープが弾ける。
一口、また一口――彼女の世界は辛味と幸福で満ちていた。
(熱い……でも、生きてるって感じがする……!)
指先まで震える。涙がにじむ。
それでも彼女は笑って、最後の一口を啜った。
「――完食、です!!」
どよめきと歓声。
カメラが一斉にズームする。スポットライトが涼子を照らす。
司会者「すごい! まさかの女子高生、史上最年少で地獄ラーメン完食ーっ!!」
涼子はスープを飲み干し、両手を合わせた。
「ごちそうさまでしたっ!」
――その瞬間。
胃の底で、何かが爆ぜた。
「……あれ、なんか……お腹が……?」
司会者「おおっと!? 涼子選手!? だ、大丈夫か!? おーい、スタッフー!!」
涼子は少し笑ったまま、ゆっくりと机に突っ伏す。
汗が滝のように流れ、呼吸が浅くなっていく。
「……し、幸せ……でした……」
――ドサッ。
床に倒れた彼女の表情は、どこまでも穏やかだった。
テロップが入る。
《挑戦者・佐々木涼子 激辛記録更新中…》
カメラが止まることなく回り続ける中、
観客の歓声が遠くかすれて消えていった。
――それが、彼女の“最期の食事”だった。
……真っ暗だった。
目を開けても、閉じても、同じ黒。
ただ、漂っていたのは――香りだった。
焦がしニンニク。焼けた肉。煮詰めたスープ。
まるで、世界そのものが“厨房”に変わったような空間。
(……ここ、どこ?)
涼子の意識はふわりと浮かんでいた。
体の輪郭は曖昧で、手も見えない。
けれど確かに、胃袋だけはまだ熱く、何かを求めていた。
――ゴウッ。
炎が灯る。
虚空に巨大な竈が現れ、無数の鍋が浮かび上がる。
中には煮えたぎるスープ、踊る包丁、赤く光る唐辛子。
その中心に、炎のような影が立っていた。
???「よう食ったな、娘」
低く響く声。
それは、火と香辛料が混ざりあったような、熱い声だった。
リョウコ「……あれ、地獄? え、まさか……食あたりで死んだの?」
???「その通りじゃ。だが誇れ。お主は“食”に殉じた者じゃ」
炎の影が形をとる。
巨大な角と、竈のように赤く燃える瞳。
その姿は、まさに“暴食”の具現だった。
???「ワシの名は――暴食神バルガスト。
“七大料理流派”の源にして、“食”の根を司る古き神よ」
リョウコ「暴食神……? あの、もしかして……私、食べすぎて神様に呼ばれたとか……?」
バルガスト「呼ばれたのではない。食い破ってきたのじゃ。
ワシの“赤天スープ”を完食した人間など、初めてじゃからな」
リョウコ「……え、それ、地獄ラーメンのスープ!?」
バルガスト「うむ。あれはワシの試練。
“食を極める者”が現れるたび、人の世界に流す“炎の洗礼”よ。
お主は、腹で神を超えた。」
リョウコ「……胃袋で神超えたとか、最高なんですけど!」
神は笑った。炎が弾け、虚空にスパイスの香りが満ちる。
バルガスト「だがな、娘。異世界には、“食を恐れる世界”がある。
人々は飢えを罪とし、味を禁じ、調理を封じておる。
“食”を忘れた国々――そこに、飢えの闇が広がっておるのじゃ」
リョウコ「……食べることが、罪? そんな世界、寂しすぎる」
バルガスト「ゆえに行け。お主の胃袋で、もう一度“食”を取り戻せ。
喰らい、味わい、分け与えよ。食は、生の証じゃ」
リョウコは、胸を張った。
炎の風が彼女の髪をなびかせる。姿はまだ曖昧だが、笑顔だけは、はっきりと浮かんでいた。
リョウコ「食べることで、救えるなら……それ、最高じゃん!」
バルガスト「ふはははっ! よかろう、“暴食の令嬢”リョウコ=ササキーナ!
この異世界で、お主の名は伝説となろう!」
神の掌から、ひと匙のスープが差し出される。
それは金色に輝き、全ての味を内包していた。
リョウコ「いただきます!」
飲み干した瞬間――閃光が爆ぜた。
スープの香りと共に、リョウコの身体は光に包まれ、
遠い異世界へと吹き飛ばされていく。
最後に聞こえたのは、神の笑い声だった。
「――喰らえ。お主の運命ごと、世界を。」
光の渦が閉じ、厨房が消えた。
残ったのは、スープの香りと、ひとつの伝説の始まり。
――眩しすぎる光。
瞼を開けた瞬間、涼子の目に飛び込んできたのは、黄金と宝石に飾られた広間だった。
大理石の床。赤い絨毯。ずらりと並ぶ貴族たち。
そして、天井から吊るされたシャンデリアは、まるで天界の胃袋のように光を吸っていた。
(え……え? ここどこ? テレビスタジオ……じゃないよね?)
足元を見れば、ふわふわのピンクドレス。
胸元には宝石。髪には金のティアラ。
――いや、これはどう見てもお姫様か悪役令嬢の衣装だ。
ざわめきの中、司祭が朗々とした声で宣告を始める。
「暴食令嬢リョウコ=ササキーナ、
貴女は国庫の食糧を浪費し、民を飢えさせた罪により――断罪されます!」
涼子(心の声)
……は? 浪費? いやいや、待って。私まだ口の中ラーメン味なんだけど?
ていうか“暴食令嬢”って何そのピッタリな字面!?
ざわ……ざわ……。
周囲の視線が突き刺さる。
だが涼子の脳内は、まだ“地獄ラーメン”の余韻でいっぱいだった。
(スープ、まだ胃の中に残ってる感じ……ああ、これ夢? それとも転生?)
王座の上に座る青年が立ち上がる。
冷たい金髪、宝石のような瞳――王子アレクシス。
彼は美しく、そして徹底的に冷ややかだった。
「リョウコ=ササキーナ。
貴様は王国の名を汚し、飢えをもたらした。
よって財産の没収、称号の剥奪、並びに――流刑を宣告する」
(……は? 断罪……って、ラノベとかでよく見るあの展開!?
ていうか私、転生して5分で断罪されてるんだけど!?)
アレクシス「最後に、何か望みはあるか?」
場が静まり返る。
すべての視線が、涼子ひとりに集まった。
彼女は考えた。……ほんの3秒。
そして口を開いた。
「……食べたいです。」
――沈黙。
聖職者「な、何を……!?」
兵士たち「今、食べたいと……?」
貴婦人「この期に及んで暴食を……!」
アレクシス「……“食べたい”、だと?」
リョウコ「はい。死ぬ前に、何か食べたいです。お腹、すいちゃって。」
(だって、さっきまでラーメン食べてたんだよ? 胃の流れ的に、まだデザートいけるよ?)
玉座の間が、完全に凍りついた。
兵士の鎧の音さえ止まり、聖職者の聖句も途絶える。
その中心で、リョウコ=ササキーナだけがにこにこと笑っていた。
「……できれば、ちょっと辛めのものがいいです。スパイス控えめでお願いします。」
アレクシス「………………」
冷ややかな王子は、一瞬だけ言葉を失い、
次の瞬間、観念したようにため息をついた。
「……よかろう。最後の晩餐を許可する。
食べ終わるまで、刑の執行は保留とする。」
リョウコ「ありがとうございますっ!」
(やった、異世界でも“完食”チャンスきた!)
――こうして、「最後の晩餐」は始まった。
それが、誰も終わらせられない“永遠の食事”になるとは、
このとき誰も知らなかった。
王宮の大広間。
金色の燭台が灯り、香り高い料理が並ぶ長いテーブル。
貴族たちが見守る中、銀の皿に次々と盛られていく――
**それが、暴食令嬢の“最後の晩餐”**だった。
肉。
魚。
果実。
スープ。
パン。
ケーキ。
皿が運ばれ、涼子はただ無心に食べ続けた。
ナイフとフォークが舞い、パン屑がきらめき、スープが泡立つ。
その動きはまるで芸術。
観客すら息を飲み、皿が空になるたびにため息が漏れた。
「……まだ、食べておる……」
「すでに五十皿目だぞ……!」
兵士たちは呆然とし、
厨房では料理人たちが青ざめながら追加の皿を運んでくる。
リョウコ「これ、美味しい! この香草、少し焦がしてるんですね! すごい香り!」
彼女は誰に命じられたわけでもなく、
心の底から楽しそうに“食”を味わっていた。
「うん、食べるって……生きるって感じ!」
司祭「こ、これが……断罪の場で口にする言葉か!?」
兵士「胃袋の底が見えねぇ……!」
そして、数時間後。
テーブルの料理は消え失せ、皿の山だけが残った。
それでも彼女は、静かにナプキンで口を拭い、微笑む。
リョウコ「はぁ……おかわり、ありますか?」
――その瞬間、玉座のアレクシス王子は完全に固まった。
(……この女、何者だ?)
“悪役令嬢”どころか、“災害”だ。
食卓という名の戦場で、王国の備蓄が音を立てて崩れていく。
アレクシス「……料理長、まだあるのか?」
料理長「も、申し訳ございません……王国の食糧庫は、もう……!」
アレクシス「………………」
沈黙のあと、王子は立ち上がり、
あきれとも感嘆ともつかぬため息を吐いた。
「――食べ終わるまで、流刑にせよ。」
「な、なんと陛下……!」
「まさか、“食事のまま流刑”など……!」
アレクシス「彼女は止まらん。ならば、食いながら行けばよい。
どのみち、我が国では養えん胃袋だ」
涼子は、スプーンを置きながら首を傾げた。
リョウコ「えっ、流刑って……旅のごはん付きですか?」
アレクシス「……好きに解釈するといい。
ただし――途中で食べ尽くしても知らんぞ」
リョウコ「やった! じゃあ、異世界グルメ旅の始まりですねっ!」
王子は呆れたように顔をそむけ、
貴族たちは唖然とし、
聖職者は祈りをやめ、
兵士たちは胃を押さえていた。
だが――
その中でただひとり、リョウコ=ササキーナだけが、
満腹の笑顔で天井を見上げていた。
「ああ、やっぱり――食べるって、最高。」
その笑顔は、断罪の場にありながら、
まるで祝福のように輝いていた。
そして翌日、
“暴食令嬢”は食卓ごと流刑地へと送られる。
その伝説は、こうして始まった。
『断罪の晩餐は終わらない。――食あたり令嬢、異世界を喰らう。』




